「ハヤテ、なんかちょっとやつれたな」
「ええ、ちょっと献血で……」
 貧血で、と口に出そうになるのを抑えてフラフラの借金執事は小さな主人に微笑みかけた。幽霊や妖怪のことを人一倍怖がる少女を気遣って少年が選んだ、精一杯の無難な表現。しかしその一言が、予想外の角度から三千院ナギの琴線を刺激した。
「なにぃ、許さん! 誰だ、誰に血を取られた?!」
「お、お嬢さま? そんなにムキにならなくても……」
「うるさい! ハヤテは心も身体も全部、私のものなのだ!! 他の奴なんかに髪の毛1本だってやるものか!! さぁ吐け、誰だ、誰がお前の血を持ってった?!」
「え、あ、いやその、伊澄さんの大祖母さんに……」
「なんだと?」
 少女のあまりの剣幕に思わずガードを解いてしまったハヤテ。怪訝そうに見上げてくる主人に向かって、少年は仕方なく限界ギリギリにされてしまった顛末を説明するのだった。


 ところが……予想に反して、話が進むにつれて引きこもりお嬢さまの瞳は楽しそうにランランと輝きを増していった。彼女は幽霊話などは苦手だが、実は超伝奇ライトノベルは大好きだったりするのだ。
「血を吸うと若返るんだって? ヨボヨボの婆さんだったのが、屋根から屋根へと飛び回る子猫好きでセクハラ大王なロリロリ暗殺者に変身だって? すごい、すごいぞ!」
 胸の前で拳を固めながら、胸の高鳴りを抑えきれない様子で13歳のメインヒロイン(4位だけど)は元気な声をほとばしらせた。
「それであれか、不思議なパワーを充電するためにハヤテに襲い掛かってきたのか! さすが闇のアサシン、人を見る目はあるみたいだな!」
「え、えぇ、なんだか複雑な気分ですけど……」
「でも変だよな、ハヤテの血を吸う前からそいつは若かったわけだろ? それまでは誰の血を吸ってたんだ?……あ、そうか、伊澄のとこの黒服たちか!」
「えっ、まさか」
「だって変じゃないか、単行本2巻で伊澄が初登場したときには黒服の連中がいっぱい追いかけに来てたのに、ちかごろ全然姿を見せないぞ? きっとその吸血婆さんに身体中の血を吸われて使い捨てにされてるんだ、きっとそうだ!」
 世間知らずのお嬢さまの想像力はとどまるところを知らない。
「そうだハヤテ、お前も会ったんだろ? 伊澄のお袋さんに」
「え、ええ、まぁ……」
「異常に若かっただろ? いや、私も前から不思議に思ってたんだが、ハヤテの話を聞いて腑に落ちた! きっとあの母親も若い男の血を吸って若さを保ってるんだ、そうに違いない!」
「そんな、いくらなんでも」
「いいや、有り得る! あの俗世間ばなれした家族のことだ、何があったって不思議じゃない!」
 よりにもよって三千院ナギに世間知らず呼ばわりされるとは、鷺ノ宮家の一族には同情を禁じえない。
「おぉ、そういえば伊澄の家って父親も爺さんも大祖父さんもいない女系家族だったよな! ひょっとしたらあれ、旦那は嫁さんに魂ごと血を吸われるのが伝統になってるのかも知れないぞ! あなた、私の胸の中で一緒に生きてください、なんて感じで! 耽美だ、シュールだ、デカダンスだ!」
「お、お嬢さま……」
 冗談にしても度が過ぎている。さすがのハヤテも主人の暴走を止めようと表情を引き締めた、まさにその瞬間。

「いいかげんにしなさ〜い!」

 とめどなく膨らんでいく腐女子の想像にブレーキを掛けたのは、彼女の姉代わりである美人メイドさんだった。紅茶を乗せたトレイを両手に持ってさえいなければ、きっと少女のほっぺたをつねりあげていたに違いない。
「お友達のご家族のことを悪く言うものじゃありません! だいたいそんな、非常識なことが起こるわけないでしょう? ありえませんわ!」
「……いかん、うちの魔女が怒り出した。続きは後でな、ハヤテ」
「誰が魔女ですか、誰が!」
 頭から湯気を立てるマリアを横目に、蜘蛛の子を散らすように駆け出していってしまうナギ。ハヤテはマリアに一礼してから主人の後を追いかけた。あっという間に部屋に置き去りにされてしまったマリアは、憤懣やるかたない様子で頬を膨らませると紅茶のトレイを乱暴にテーブルに下ろした。
「まったくもぉ、ナギったら……後できつく叱ってあげないといけませんね」


 それからしばらくして。庭の掃除をしに出たメイドのマリアは、大切にしているシクラメンの花壇のそばで立ち止まった。そして周囲に誰もいないことを確認すると、花壇の脇にしゃがみこんでそっと両手を合わせ、静かに目を閉じながら小さなつぶやきを漏らした。
「見てますか、姫神くん……ほら、あなたのおかげで、いまでも私、キレイですよね?」


Fin.




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