「自分の心に素直になれば……この心のモヤモヤの原因が分かるの?」
「ああ。全ての綺麗ごとを取り去れば、自ずと見えてくるはずだ」
 幽霊神父のアドバイスに従い、ヒナギクはハヤテとの出会いやこれまでの出来事を思い起こしていた。これは恋心なんかじゃない、きっと何か別の理由が……いかにもプライドの高い少女らしい、屈折した思いを抱きながら考えをめぐらせる。ひとつ屋根の下で暮らした3日間、西沢歩との出会い、ダンジョンでの死闘……とヒナギクの記憶は徐々に過去へとさかのぼっていった。
「あ、あの……」
 ところがその回想がマラソン自由形での一件に辿り着くより前に、和服の少女の遠慮がちな呼び声が記憶の旅を中断させる。
「ん? あなたはたしか……」
「えっと……ハヤテさまからこれを……」
「なに? 手紙?」
「はい。うまく説明できないので、要点を文章にしたそうです」
「へぇ、どれどれ……」
 手紙を開いたヒナギクの目に、いかにも男の子らしい達筆で書かれた文章が飛び込んできた。

     明日の夜9時 2人きりで
     白皇学院時計塔 最上階にて待つ
     誰にも内緒で 本当の僕の姿を
     真剣なお願いです 言う通りにして

 ……確かに嘘は書いてない。しかし『対決して倒す』という要素がすっぽりと抜けた概要説明は、ヒナギクの脳裏にコミック本編とはまったく逆の化学反応を引き起こした。
《こ、これって……ひょっとしてもしなくても、ら、らぶれたぁ?》
「えっと……その、詳しくは現地で……」
 戸惑いがちに話しかける和服少女の声など今のヒナギクには届かない。
《そうよ、なにをためらっているの桂ヒナギク! 綾崎君のほうはこんなに熱烈なアプローチをしてくれてるじゃない! 明日が私のお誕生日と知ってて、こんな手紙をくれるということは……そりゃまぁプレゼントくらい、喜んで受け取ってあげるのが礼儀ってものよね!》
 恋心を包み込んだシャボン玉など、ちょっとしたキッカケで簡単にはじけ飛ぶ。それまで悩んでいたのが馬鹿らしくなるくらいに、ヒナギクは気持ちのガードを外して喜色を満面にあふれさせた。『彼のほうが先にアプローチしてくれたんだから』という思い込みが触媒として背中を押したことは疑う余地もない。
「なるほど、よく分かったわ。綾崎君の気持ち」
「えっ……あれ?」
 手紙を返されて読み返す和服少女……鷺ノ宮伊澄。なぜヒナギクがこんなに上機嫌なのか、彼女には想像もつかない。
「そういうことなら、お出迎えの準備をしなくっちゃ。綾崎君に伝えておいて、楽しみにしていますって」
「えっ……あの、説明がまだ……」
「野暮なことは言いっこなしよ(はぁと)」


 そして、ヒナ祭り祭りの夜。白いマントを全身に羽織って時計塔最上階に現れた少年を、無敵の生徒会長は満面の笑みで迎えた。
「いらっしゃい、よく来てくれたわね、ハヤテ君♪」
「は、はぁ……夜分遅くにすみません、ヒナギクさん」
 両手を広げて出迎えたドレス姿のヒナギクの背後には、大きなケーキとそれを取り囲むキャンドル、そして生徒たちから届けられた沢山のプレゼントが山積みになっている。いつになく甘々な空気に気圧された綾崎ハヤテに対し、ヒナギクは嬉しそうに手を引いて部屋の中央へと少年をいざなった。
「お姉ちゃんや泉たちは部屋から遠ざけてあるわ。ここは私たち2人っきりよ、ハヤテ君」
「そ、そうですか……それは、好都合です……」
「さぁ、マントを脱がしてあげるわ、後ろを向いて」
「あ、いえ……これはその、もうちょっと心の準備が出来てから」
 どんなプレゼントを隠し持ってきてくれたのかしら。恥ずかしそうなハヤテの言葉も、今のヒナギクにはお誕生日を盛り上げるための演出にしか聞こえない。
「そ、そうよね……焦ることないわよね、夜は長いんだし」
 恥ずかしそうに頬を染めながらリモコンを操作する生徒会長。部屋の明かりが落とされ、少女の白いドレスと少年のマントが幻想のように目の前に浮かび上がる。時計塔の下で繰り広げられている喧騒など遠い別世界のこと、ここは彼と彼女の2人きり。
「ヒナギクさん……」
「なに? ハヤテ君……」
 肩をすぼめてもじもじとする生徒会長に対し、ハヤテは深々と一礼した。
「……失礼しますっ!!」
 ばさっと広げられたマントの下から垣間見えるメイド服とネコ耳。それを現実の光景としてヒナギクが認識するより速く、マントの下に隠し持たれていた竹刀が高々と振り上げられて、笑顔を浮かべたままの少女の脳天へと振り下ろされた。この日16歳になったばかりのドレス姿の少女は、幸せな幻想を胸に抱いたまま、白目をむいて昏倒した。


 かくして……綾崎ハヤテはヒナ人形の呪いから解放され、執事服を着て白皇学院に通学できるようになったのだった。
 ただしその翌日以降、かつて名前で呼び合っていたはずの同級生の少女から『ふんっ!』とそっぽを向いて軽蔑され、彼女を慕う生徒たちから針のような視線で睨みつけられるという、大きな大きな代償を支払う羽目になったが。


Fin.




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