ガチャドンガラガラズダズダ――ボキッ
その騒音をオレが聞いたのは、積んでいたプラモを完成させ、さてどんなポーズで飾ろうかと手を動かし始めたその瞬間だった。
ちなみに最後のボキッという音は手元が滑った音。MSの腕は無残にも折れている。
音からして、誰かが家に入ってきたことはわかった。
問題は誰が入ってきたのか、ということなのだが、両親は買い物に出てしばらく戻らないはずだし、セールスマンや泥棒なら、ここまで無遠慮に家に入っては来ないだろう。
だから、すぐわかった。乱入してきたのは誰かということは。こんなことをする、メチャクチャな性格のヤツが誰であろうかは。
「雪路ぃ!」
そいつ等はキッチンにいた。いや、そいつとその子と言うべきだろう。妹の方は間違いなく無実なのだから。
テーブルを見れば、破れたフィルムとカップ麺が二つ。カップ麺の蓋の隙間からは湯気が漏れている。付け加えれば、そのカップ麺はオレの昼飯になるはずのものだった。
呆れ顔の俺を見た雪路は、妹の頭を撫でながら図々しくもこう言い放った。
「あっ、お茶入れて、お茶」
憎まれっ子世に憚るというのは、こういう状況を言うのだろうか?
「で、どうするんだよ?」
「んー、たしかにこれだけじゃ足らないわよね。冷蔵庫にもロクな物なかったし、ご飯もないのよね。他に何かないの?」
割り箸を確保し、あとはカップ麺の食べ時を待つのみとなった雪路は、俺の質問の意図を理解していないようだった。というか、冷蔵庫はおろか電子ジャーまで探ってたのか、コイツは、図々しいにも程がある。
「そんなこと聞いてねーよ。そもそも、なんでお前は人の家のカップ麺漁ってんだよ」
「は? 食べるからに決まってんじゃない。爪切りたいからってカップ麺漁る? 漁らないでしょ。アンタ、常識ないわね」
「常識ないのはどっちだ。いきなり、勝手に上がってきたかと思えば……」
そこで俺は言葉を止めた。ヒナギクが涙目で、俺と雪路の顔を交互に見ている。俺と雪路の口喧嘩に脅えてしまったらしい。
「いや、ちがうよ。お兄ちゃんとお姉ちゃんは、喧嘩してるわけじゃなくね…」
俺がヒナギクを慰める間に、雪路は蓋を剥がし最初の一口を勢い良くすすりこんでいた。食べ始めてしまったのを止めるのも馬鹿らしいし、無駄なことである。
やれやれ仕方ない。
俺は内心で溜め息をつくと、ヒナギクに頷き、食べることを促す。
こっちの心中なんぞつゆ知らず、暢気な顔で麺をすすり続ける雪路に、俺はさっきの質問を投げかけた。ただし、今度は具体的に。
「先生から電話あったぞ。八千万なんだっけ? 借金。どうするんだ?」
この問いを発することに、何ら意味はない。少なくとも、その雪路が俺に答えることに意味はない。雪路がいかなる答えを返してきたところで、ただの一高校生でしかないオレに出来ることなど何一つとしてないからだ。
バイトして稼いだ金を渡す? 八千万という額、そして利息の前には、火山に如雨露で水を撒くようなものだろう、そんなことをしても。
かといって問わずにはいられないのだ。なんというかだ、その心配なのだ。決まっているだろう?
惚れた女なのだから。
雪路の箸がピタリと止まり、チラリと俺の顔を、そして不安げな視線を自分に向けているヒナギクと目を合わせる。何秒間かそのまま視線を釘付けにした後、雪路は黙々と、しかし凄い勢いで箸を動かし、麺を、次いでスープを胃の中に流し込んだ。
「返すわよ、勿論」
箸を置き、ヒナギクの頭を撫でながら、こともなげに一言そう言った。
「返せるのかよ」
「返さなきゃしょうがないでしょ。何をどう言おうがアイツら諦めないもん。それにまぁ、私が本気になったら、八千万なんてちょちょいのちょいよ、ねー、ヒナ」
そう言いきると、ヒナギクに向かって、暗さの欠片も感じられない笑顔で笑う。
こいつは二人きりの時でも言い切っただろうか?
たぶん、いや間違いなく言い切っただろう。なにせ、こいつはメチャクチャな性格の女だ。
だけど、あんな笑顔は浮かべなかったはずだ。
そう、たぶんあの笑顔は、ヒナギクのためのものだから。ヒナギクの姉としてのものなのだから。
「そういえば、先生って、誰?」
「えっ、あっ、ああ。桂先生だよ。小学校の時の担任の」
突然の雪路の質問に、驚きながらも答える。
「あー。そっか、そっか」
頷いていた雪路は、何を思いついたのか、口元を手で抑え何かブツブツと呟きはじめ――そして笑った。
「そっか、そっか。アイツがいたか」
それは、何と表現したらいいか、分からない笑顔だった。
ヒナギクに向けた笑顔とはまるで違う、そう、強いて言えば邪悪な笑顔だった。
数年後、雪路は信じられないことに借金を完済して、どういうわけか桂先生の養子になり、少々の回り道を経て白皇の教師となった。
メチャクチャな性格はそのままに、いや、さらにメチャクチャとなり、酒まで覚えた完全無欠のダメ人間となっていた。
ついでに言えば、オレと雪路の関係に進展は――
「ていうかあなたみたいな二次元ジゴロには、興味ないわよ」
――ない。
おしまい