「もうちょっとだったのに……」

 と、のっけから遠い眼でどこかを見つめているのは桂のヒナギクさん。このセリフの真意は後に語られるでしょう。

「ほらほらこんなにあるんだからヒナも飲みなさいよぉ〜」

 妹の微妙な空気を察することもなく、勝手に家に押しかけ、さらに教師にあるまじき発言をしたのは、もちろん桂の雪路さん。
 右手に酒瓶、左手に酒瓶、そして口に酒瓶をくわえています。
 そしてヒナギクはというと、そんな姉の姿をちらりと見ると、ふう、とため息。そして、疲れをにじませて言いました。

「つくづく思ったけど」
「む?」
「お姉ちゃんって本当にバカよね」
「む!?」

 もしかしたら彼女の機嫌の悪さ故に出た言葉なのかもしれませんでしたが、それは確かにヒナギクの本心でもありました。

「ちょっとヒナ、聞き捨てならないわね」
「本当のことだからしょうがないじゃない」
「そういえば、ヒナが……いやヒナに限らずみんなが私をバカにしてるけど、何か理由でもあるっていうの?」
「ああ、みんながバカにしてるのは気づいてたのね」
「ぐっ……」

 しまった、認めちゃったよと後悔する雪路さん。そう、彼女は今日のある時を境に、『大人げな〜い』とか『空気読めよバカ』とかみんなに言われていたのです。
 そんな姉を尻目に、妹はまた一つため息をつくと、

「じゃあ私は疲れたしもう寝るから、お姉ちゃんも早く帰って……」
「ちょっと待ちなさい」

 ベッドに潜り込もうとする妹の手を力強く掴み、自分の前に座らせます。

「私の一体どこがバカなのか、はっきり言ってもらおうじゃないの」

 やはりバカにされるのは気にくわないようで、とりあえずその理由だけでもはっきりさせておこうと思ったようです。
 対して妹は実にうざったそうな顔をすると、

「ああ…………そうか、それは私がいたらなかったわね。言葉が足りなかったわ」

 もう口を動かすのもだるいといった感じで続けます。

「いやほんとならお姉ちゃんがどれほどのバカか千の言葉を用いて罵ってやりたいところなのよ。でもいかんせん私の舌はそんなに早く回らないの」

 かつてないほどの毒舌を発揮する妹に、雪路さんは呆気に取られて何も言えません。

「はがゆいわ。もっと言いたいことはあるのにバカの一言に気持ちをこめるしかないの。でもそれだとお姉ちゃんは自分のどこがバカなのか反省しようがないわけね」

 え、これどこかで見たことある文章ですって? 気にしたら負けですよ。

「できることならね、お姉ちゃんのどこがバカなのか万の言葉を用いてレポートをまとめ上げたいのよ。でもいかんせん私はそんなにヒマではないの」

 ヒナギクはやっとのことでそこまで言いきると、

「ふできな妹でごめん、ごめんなさい、本当におやすみなさい」
「まて」

 またベッドに潜り込もうとして、また引き止められました。

「まだ何か?」
「何か? じゃないよ。だまって聞いてりゃ舌のほうもだいぶ回ってきたじゃねえか。まだまだ語ってもらうぞ」

 さて、これ以上みなみけやってても仕方がないので、今日あった出来事について、以上の理由からヒナギクに語ってもらうという建前でやっていくことにしましょう。









 ついに始まったフリーダムマラソン。

 やっべぇ出遅れたけどみんなが地面を踏み固めてくれてこんな走りやすい地面は初めてだぜ俺ってラッキーうっひょー(うろ覚え&適当)とか、
 えっもしかして生徒会はあっち系フラグ立ってんのそいつは燃えるぜ!とか、
 キュアキュアでマックスハートな暗殺拳なんですサインはちゃんと列に並んでねとか、


 いろいろありましたがっ


 それらはすべて省略してここはつり橋の上。
 そう、リクエストスレにもあるように、多くの人の心を動かした今年の名場面です。
 彼らの物語は、ここから始まります。




「バカ!! ヘンタイ!! いじわる!!」

 完璧な少女の完璧でない一面。正直高所恐怖症の理由を描いて欲しかった気がするのは置いといて、ヒナギクは公式設定上唯一の欠点をさらけだしていました。

「あっはっはっ、僕はお嬢様の執事なので、お嬢様のためなら鬼にも悪魔にも……」

 と言いつつも、さすがにハヤテもヒナギクをこの場においていくことはしません。手を貸してあげようと彼女に近づくと、

 ひゅう。

 と、少しだけ風が吹きました。それはとても小さな風で、普段ならあまり気にしないようなものでしたが、高いところにあるこのつり橋は少々揺れました。

 ハヤテはまったく気にしません。しかし、もちろん彼女は気にするっていうかめちゃめちゃ怖がりました。

「きゃあああああああ!!!!」

 ひしっ。

 そして、とりあえずそこにあったそれにつかまりました。
 ギシギシと橋が揺れ、少ししてから落ち着くと、ヒナギクも少しだけ落ち着きを取り戻して、そしてまた落ち着かなくなりました。
 彼女がつかまっていたのはもちろん、そこにあったそれというか、そこにいた誰かというか、つまりハヤテでした。
 しかも必死だったので、つかまっているというよりはむしろがっちり抱きついてしまっています。



 現在、二人の距離30センチ。

 恥ずかしくはあるけれど嬉しさのほうが勝り、高いところへの恐怖も一応あってヒナギクは離そうとしません。
 ハヤテとしても場所が場所で相手が高所恐怖症のヒナギクだけに、きっと恐怖から抱きついているんだろうと思い、相手の了承無しでは離れにくい状況です。

「あの、ヒナギクさん……」

 その声にヒナギクが顔を上げると、その潤んだ目はハヤテのそれと合いました。二人とも心臓がドクン、と高鳴りましたが、もちろんそれを相手に伝えたりはしません。
 ヒナギクは間近で見る彼の視線にずきゅーんとやられてしまったのか、熱っぽい表情になりました。

 あれ、なんだかヒナギクさんが近づいてきているような……とハヤテが思ったのはその時でした。



 二人の距離、20センチ。

 困惑するハヤテをよそに、どこかとろんとした目のヒナギクは、少しずつ顔をハヤテに近づけていきます。
 まるで何か(作者)に操られているかのようで、そこに躊躇のようなものは感じられません。



 既に吐息のかかる距離、残り10センチ。

 え、これってヒナギクさんもしかして。
 主人公には必須の『鈍い』というステータスを持つハヤテも、ようやく気づいたようです。
 ヒナギクは止まりません。



 お嬢様との記録更新、あと5センチ。

 新記録、おめでとう。そしてこのまま最高記録樹立か? という誰かの声が聞こえたかどうかは定かではありませんが、ハヤテもなんだか不思議な気分になってきました。
 なんとなくこのままあんなことやこんなことしちゃってもいいやという投げやりな気持ちです。




 そしてそのまま二人の距離がゼロになろうかという時、




 突然大歓声が響き渡りました。

「「!!!!!!」」

 それをきっかけに二人とも我に返り、ハヤテは急いで顔を離しました。ヒナギクは少しだけ名残惜しそうな、残念そうな顔をしましたが、ハヤテは有無を言わさずヒナギクを抱きかかえると、橋を渡りきってヒナギクを地面に下ろしました。
 気恥ずかしさからか、お互いに相手に背を向けます。正確には、真っ赤になった顔を相手から隠します。
「えっと……」とハヤテはニ、三度くちごもりながらも、言いました。

「お嬢様がそろそろゴールするみたいですが……まだ戦いますか?」

 ナギを一番大事にしていることと、今は自分をあくまで敵だと思っていることがその言葉から伝わってきて、ヒナギクは少しだけ悲しくなりましたが、もうハヤテと戦う元気も残っていなかったので、首を横に振って、なんとか立ちあがると、ハヤテの後に続いて歩き出しました。










  * * * * * *


 それは孤独な戦いでした。
 ハヤテもいない、他に走っている人すらもいない、誰かについていくのではなく、ただ自分の意志で走るだけ。

 ゴールが見える位置まで来た時、最初に出迎えたのは、全校生徒の意外そうなまなざしでした。
 運動が大の苦手であるナギが、最初にゴールの前まで到達したことが信じられなかったのです。

 しかし、残る力を振り絞って必死に走る少女を見て、一人の観客が声を上げました。

「頑張れー!!」

 シンと静まりかえった中にその声が響くと、もう一人、叫びました。

「もう少しだぞー!!」

 一つの声が二つに、二つの声が三つに。
 そして会場は、ナギを応援する声に包まれました。今、ここにいる人達は一つになっていました。

 ナギは、ヒナギクの言っていたことがわかったような気がしました。
『苦しくて辛くて死んでしまいそうな思いの先になにものにも換え難い本当の喜びがあったりするものなのよ』と、彼女は言いました。
 彼女が言わんとしていたことがこの気持ちなのかはわかりませんでしたが、ナギはとても充実した気分でした。
 それは、マンガを読んだりマンガを描いたりしている時に感じる充実感とは、少し違うものでした。


 数瞬の後、彼女はゴールテープを切りました。

 そして、静まりかえる会場の中、「勝ったどーーーー!!!!」と叫びました。

 こうして、フリーダムは幕を閉じました。



 雪路さんがバカと言われた理由?
 それはまあ、つまりそういうことなのでしょう。





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