しょおらいのゆめ。いちねんえーぐみかつらひなぎく。

 わたしはいま、おねえちゃんとふたりでくらしています。
 おとうさんとおかあさんは、いえをでていってしまいました。
 すごくかなしかったけど、おねえちゃんがいるのでへいきです。

 おとうさんとおかあさんにはしゃっきんというものがあったみたいで、わたしとおねえちゃんはそれをかえさなくちゃいけないらしいです。
 でも、おねえちゃんがいるので、きっとだいじょうぶです。

 そんなわたしには、すごくあこがれてるひとがいます。
 そのひとはすごくかっこいいので、そのひとみたいになるのがわたしのゆめです。
 そのひとのなまえは────




    『あこがれ』




「ヒナって、ハヤ太君を特別扱いしてるよな」
「え?」
 後方から突然発せられた声にヒナギクは振り向き、一瞬だけ後ろを見てまた視線を戻した。
 彼女が生徒会室にいるとき、彼女の後方には常に時計塔からの絶景が広がっている。つまり、彼女は普段は部屋の中に顔を向けていて、時計塔からの眺めを決して目にしない、ということなのであるが。
 そして彼女に声をかけた主──生徒会の一員でもある花菱美希は、そんな生徒会長の様子を微笑ましく思いつつ、話を続ける。
「だって生徒会以外立ち入り禁止のはずのここに、普通に入れてあげてるんだろ?」
「そ、それは……」
「しかも」
 何かしら抗議しようとするヒナギクに、美希はさらに畳み掛ける。
「雪路から聞いたが、ハヤ太君がまだここに編入していなかった時にも入れてあげてるそうじゃないか」
「うっ……」
 そう、それはヒナギク自身もはっきり覚えている。
 ハヤテが執事としてナギに弁当を届けるためにこの学園に不法侵入者として潜入した時、二人は出会った。その際に助けてもらったというか、自分が助けてあげようとしていた小鳥を助けてもらったわけで、その礼として、彼をここに連れてきてあげた。本来生徒会以外は立ち入り禁止のこの場所に。
「いや、それはお礼として……」
 いつになく力の無いヒナギクの言葉。当然美希はそれでは止まらない。
「いくらお礼でも、この学校の生徒ですらない奴をいきなりここに入れるとは、もしやヒナ……」
「……何よ?」
 そして美希としては、いや、この年代の女の子としては、やはり一番面白い、興味のある話は、
「ハヤ太君に一目惚れか?」
「なっ!!」
 そう、恋の話なのであった。
「バ、バカなこと言わないの。そんなこと……」
「顔が赤いぞ、ヒナ」
「美希!!」
 精一杯凄んでみても真っ赤な顔ではまったく迫力は無く、むしろこれでは好きだと言っているみたいではないか。そう思ったヒナギクは、とりあえず美希に背を向け、二、三回深呼吸をする。
 息を整え、完全に自分を落ち着かせてから、再び美希に向き直った。
「ハヤテ君は、そういうのじゃ、ないの」
 それは苦し紛れの言い訳には聞こえない、真剣な響きがあった。それを感じ取り、美希はその言葉の意味を吟味した。
 それが意味するところはつまり、ハヤテはヒナギクにとって恋愛対象ではない、しかしヒナギクにとってハヤテは確かに何らかの意味を持つ存在であると、そう読み取れる。
「それじゃあ、どういうのなんだ?」と美希は訊いた。おそらくそれはヒナギクをからかいたいという気持ちというよりも、むしろ純粋な好奇心から。
 対してヒナギクは、このままではハヤテのことが好きだと誤解されてしまうという危機感からか、仕方ない、と一つため息をして、周りを見渡し、生徒会室に他に誰もいないのを確認すると、
「たぶん、ね」
 小さな声で、そう前置きして答えた。

「憧れてるんだと思う」










 日も傾きかけ、これから寒さを増そうとしている冬の空の下を、二人の女性が歩いていた。
 しかしそのうち一人は女性と呼ぶほどではない、少女と呼ぶのが適切だと思われるほどに、背も低く、幼い。見た目は小学校低学年といったところだった。
 少女は、もう一人の女性──こちらは、十代後半といったところであろうか──の手を強く握り締め、連れ添って歩いていた。
 その背にギターを背負い、足取りも軽い彼女とは対称的に、少女の表情は暗く、その目からは涙が流れていた。
『うっ……うっ…………おとうさん………おかあさん……』
 少女の口から小さな声が漏れる。二人は立ち止まり、彼女は少女の方を向いて、子供をあやすように言った。
『ほらヒナ、泣かないの』
『……だって…………おねえちゃん……』
 目を潤ませて見つめてくる少女に対して、しかし彼女が返したのは笑顔だった。
 自分たちの状況をどうにかできるあてがあるわけではない。
 そこにあるのは、ただ確信だけ。
 どんな状況になってもきっと大丈夫。自分はこの子を守る。
 本当にそうできる根拠など何も無い、それでも絶対の確信のもとで、彼女は少女に告げる。


『だーいじょーぶ!! 何があっても、私が絶対にヒナを守ってあげるから!!』










「……憧れてる?」
 ハヤテについてヒナギクがそのように語るのは、彼女にとって完全に予想外だったらしい。呆気に取られた様子で、それでもなんとか訊き返す。
「なあ、悪いがもう一度言ってくれるか」
「ダメよ。あまり人に言いたい事じゃないんだから」
 しかし彼女にとって、それを言うのは好きな人を教える事のように恥ずかしい事だったようで、驚いている美希から顔をそむけ、そして二度は言わなかった。
 美希はそれについてこれ以上言及しても埒があかないと判断したのか、ふう、と一息ついて、質問を変えた。
「また、なんで彼の事を?」
 なんで彼の事を好きなのか、とでも続きそうな文章にヒナギクは一瞬眉をひそめたが、美希にその意が無いとわかっていたので、すぐにひっこめた。
 そして微妙に言いにくそうにして、少し間を置いて、ぼそぼそと言う。
「私が憧れてる人に似てるのよ」
「はあ?」
 彼に憧れている理由を訊いたら、それは彼が憧れている人に似てるから。
 つまりヒナギクにはもともと憧れている人がいて、ハヤテはその人に似ているから憧れてる、とややこしいことこの上ない答えであったが、それを美希は一応理解し、そして次の質問に移った。
「じゃあ、その憧れてる人って誰なんだ?」
「…………」
 今までは答えていたヒナギクだったが、これには口をつぐんだ。
 なぜならその先には、たとえ相手が誰であっても言いたくはない、自分だけのものにしておきたい大切な思い出があったから。
 しかしここで話を切ると、今までの話がとっさの言い訳だと思われて、あらぬ誤解を招いてしまうかもしれない。そうしたらハヤテにも迷惑をかけてしまうかもしれない。そんな思いが拮抗していた。
「……あ、ごめん、やっぱりいいよ」
「え……?」
 しかし美希はそんなヒナギクの様子を見て、それ以上の追求を打ちきった。ヒナギクが顔を上げて美希を見ると、そこにはもうヒナギクをからかうだとか、そんな意志は無い。むしろ、訊きすぎてしまったかという後悔が感じ取れた。
 そんな親友にヒナギクは少し安心したような、嬉しいような表情を見せ、
「……ありがと」
 笑顔で、感謝の言葉を口にした。



「……ほら、いつまでもさぼってないで、仕事があるでしょ?」
「はいはい。生徒会長は厳しいね〜」
 笑いながら自分の席に戻る美希を、ヒナギクは視線で追いかけ──外の景色が視界に入ろうかというところで、また部屋の中に視線を戻した。
 お互いが無言で、プリントなどに目を通す。
 気まずさなどからではない、心地よい沈黙が流れる中、ヒナギクは改めて思う。
 ハヤテとあの人は、やはりどこか通じるところがあると。
 言ってくれれば助けに行く。ある意味無責任にもとれる言葉であるけど、それを、まるでそれが当然であるかのように、軽々と口にする。そんな様がなんとなく、似ていると感じた。
 もし彼がただの考え無しで、それが本当に無責任に言っただけの言葉であったなら、彼について今のように思うことは無かったのだろう。
 でもそう言った彼は、自分が呼んだとき、まるでどこかのヒーローみたいに、本当に助けてくれた。
 それはやっぱり、あの人と重なるところがあった。
 そう、かつて自分に『絶対に守ってあげる』と言って、今の自分と年もそう変わらなかったというのに、自分を支え、励まし、そして本当に守り通したあの人と────


「……頑張らなきゃね」
「?……何をだ?」
 突然呟いたヒナギクに、美希は当然の疑問を投げかけるが、ヒナギクは答えなかった。
「よくわからないが……まあヒナなら大体なんでもできると思うから、頑張れ」
 そんな簡単なエールに美希の信頼を感じ取ったヒナギクは、不覚にも嬉しさにピクリと肩を震わせ、
「ああ、高い所では何もできないけどな」
 そして今度は聞き捨てならない、しかし否定できない発言にピクリと肩を震わせ、
「……余計なお世話よ」
 完全に美希に背を向けた。
 背後からクスクス、と笑われる気配を感じ取りながら、ヒナギクはふっと笑みをこぼし、
「……ありがと、ね」
 今度は美希には絶対に聞こえないように、小さく呟いた。


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