ハヤテの様子が、変だった。
 その挙動にふと違和感を感じ始めたのをきっかけに、少し注意して行動を観察してみると、しきりにため息をついたり、ぼんやりと空を眺めていたりと、不審な点が数多く見受けられた。
 好奇心がうずいた。それを抑えられず、マリアはハヤテに何があったのかと訊いてみた。
 何も変わったことなんて無い。最初はそうやってマリアの追及を退けようとしていたハヤテだったが、そのうちに観念したらしく、人がいないのを確認するように素早く辺りを見回し、マリアの耳に口を寄せると、躊躇いがちに、そう答えた。

「よかったですね、ナギ」
 ほんの数十分前。ハヤテから聞いた言葉を胸に秘めんがら、マリアは呟く。
 ハヤテ君はナギのことが気になるそうですよ、と。
 隣にいるナギが完全に眠っていることを確かめてから、マリアは部屋の明かりを消した。
 月明かりだけが、二人きりの部屋の中を照らす。




    by the brilliant yellow 〜ending〜




「ナギは、どう思いますか?」
 ハヤテ君があなたのことを好きだと知って、と。マリアが部屋の天井を見つめながら発した質問に、返答は無い。
 頭を傾けると、ナギのあどけない寝顔が目に入る。それを見つめて、マリアは頬を緩めた。
 ナギは、どうも思わない。ハヤテがナギのことを好きだというのは、ナギにとって当たり前のことだから。クリスマスイブの夜、彼を執事にするのだと言い出した時から、ずっとそうだったはずのことだから。
「……本当に、いろんなことがありましたね」

 ただの勘違いだったはずのことが、現実のものに変わるまで。
 それまでの時間にあったことは、ハヤテと共に新しく吹き込んできた出来事だけでなく、何の特別性も無い、何事も無い一日に至るまで、すべてが忘れたくない記憶としてマリアの中にある。
 そしてその日々は、何故か──マリア自身その理由もわからないままに──ある種の不変性を持っているように感じられていた。
 ハヤテの気持ちを知った時に、なんだか現実味が感じられなくてにわかには信じられなかったのはそのためだと、マリアは思う。
 この場所はずっとこのままで。
 ナギは、どこまでもハヤテのことが好きで。
 ハヤテはいつまでもそれを知らないで、ナギの想いは空回りして。
 そんな関係を、自分は二人の傍で、少し心配しながら見守っている。
 これからもそうやっていくということ。それは不思議なくらいに自然に自分の中にあって、それを思うたびに、どうしてかとても安心できた。

(……応援してなかったっていうわけじゃないんですよ? でもハヤテ君がここに来た時はまだナギの年齢上いろいろと問題がありましたし、ハヤテ君も年上が好みだって言ってましたから、なんとなくその時の感覚が残ってたというか……)
 私は応援している、と声に出さずに伝えたいつかの夜のように、マリアは心の中だけで話し続ける。
 それは、マリアなりのけじめのようなものだった。
 ナギの恋を応援する気持ちをいつしか忘れかけていたことは、まるでナギを裏切っていたかのような感覚をマリアに与えた。
 結果としてナギの想いが叶った現状、それを知ってもナギは悲しんだりはしないかもしれない。
 そもそも「応援する」というのはナギの前で口に出して約束した事柄ではなく自分の中だけで勝手に約束したことなのだが、それでもやはりうしろめたさがあった。機会をみてちゃんと謝りたい。そうマリアは思っていた。
 いつかきちんと言葉にする予定の事を、今は声に出さずに言い終える。
 少し言い訳じみた部分が多すぎるな、と苦笑して、最後に「ごめんなさい」と、これだけは空気を揺らして発しようとしてナギに顔を向けた時、小さな声が聞こえてきた。

「ハヤテ……」
 自分が「あ……」と呟いていたことに、マリアは気づかなかった。
 ナギは起きているわけではない。寝言でハヤテの名前を呼んでいるのだと、直感的に理解する。
『マリア』と。
 昔は自分の名前を呼んでいたのに。
 今のナギは、他の人の夢を見ている。
 勝手なのだろうか。そんな考えが脳裏をよぎるが、それでも、寂しいという気持ちは抑え切れなかった。
 もぞもぞと布団の中を動いてナギの近くに寄り、ぴたりと体をくっつける。

 暖かい。
 最初に思ったことはそれだった。
 その次にマリアの中に溢れてきたのは、昔はナギがこんなふうに近くにやってきて体をくっつけていた──という、郷愁だった。
 そのまま両手をその体に回してみて、マリアははっとした。自分に比べて幾分か小さかったはずのその体は、いつのまにか驚くほどに大きくなっていた。
 顔の横で、月明かりに輝く綺麗な金髪。変わらないところといえば、それだけだった。
 少し強く抱きしめたからか、ナギが「ん……」と声を出して身じろぎする。だがマリアは、抱きしめる力を緩めようとは思わなかった。
 今は何も考えず、これまでずっと傍にあったこの温もりを抱きしめていたかった。


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