「主夫という言葉があるだろう? まず、女ならば料理が出来て当然という考えはもう時代遅れなのだ。そんな考えに未だに取り付かれてるやつがいるから戦争が起こる。これからの時代は女のみならず男も料理をする時代。男女平等ボーダーレス。ノーボーダー。現にハヤテだって料理が上手ではないか。さらにマリアだって料理が上手なのだから、私達が生きていく上で私が料理が上手くならなくてはならない必然性など」
「ヒナギクさん、今日の分のクラス報告書です。瀬川さん達は急用が出来たらしくて、僕とお嬢さまが代わりに持ってきました」
「まったくあの子達ったら……ごめんね、迷惑かけて。……それで、ナギはどうしたのかしら?」
「えっと、明日の授業で調理実習があると聞いて学校を休むと……」




   『strange day』




「ああ、確かに私は料理が下手かもしれない。それは認めよう。だがこの時代においてそれは、個性として許容されるべきものではないか? 誰にでも欠点はあるし、そして欠点だってその人の個性になるのだ。そう、信じられないくらいにハヤテに女装が似合うのはもちろんのこと、絶望的なまでにヒナギクに胸が無かったりするのも──」
「……ナギ?」
 妙な威圧感を感じて演説を止め、ふと我に返ると、いつのまにかヒナギクが私の前に立っていた。
 だが様子がおかしい。片手に持ったカップを私に差し出そうとしたような格好で硬直している。いや、正確に言うと硬直ではないな。小刻みに震えている。
 おそらくカップの中身は紅茶だろう。以前ここに来た時も、ヒナギクは紅茶を出してくれていた。
「ヒナギク、どうした?」
 よくわからないがヒナギクはぶるぶる震えていて、今にもカップの中身をこぼしてしまいそうだ。私に出したものみたいだし、私が持ってやった方がいいだろう。
 そう思って私が手を伸ばすと、ヒナギクは狙い済ましたようなタイミングでカップを引っ込め、生徒会長として愛用している机の上に置き、一、二回深呼吸して、私に向き直った。
「ヒナギク?」
「ナギ、誰がぺったんこですって?」
 ヒナギク、笑顔が怖いぞ。青筋が立ってるぞ。というか私、そんなこと言ったか?
 でもまずい。ヒナギクのやつ怒ってる。ぺったんこなのは事実なのに。まだまだ成長する私とは違って、もう十六歳だからほとんど絶望的なのに。
「ハヤテ! ハヤテーー!!」
 傍にいるはずの助けを呼んでみる……が、来ない。どうしてだ。
 叫びながら周りを見回してみると、ハヤテはすぐそこにいた。何か呟きながら、床に「の」の字を書いてしくしく泣いている。
「僕だって……やりたくて女装してるわけじゃないのに……不可抗力なのに……」
 嘘をつけ。ハヤテが新たな趣味に固い決意を持って目覚めていたとはヒナ祭り祭りの時にマリアから報告を受けているし、私を助けに来た時にはウサミミまでつけていたではないか。まあ安心しろ、私はそのくらい受け入れてやれるから……。
「さあナギ、ハヤテ君もなんだか動けないみたいだし、覚悟はいいかしら?」
「え?」
 ちょっと待てヒナギク、私はお前が胸無しだとは思っていても口に出したりとかはたぶんそんなにすることはないしそもそも事実なんだから逃げてばかりいないで現実を受け入れアッー!!


「調理実習があるから休むなんて私が許さないわ。ちゃんと学校に来なさい」
「別にヒナギクに許されなくてもいい」
「まったく……」
 ヒナギクはやれやれとため息をつきながら、ハヤテが持ってきたクラス報告書を手に取った。ぱらぱらとめくっていたがそれもあるページで止まる。一目見て表情を険しくするあたり、私のクラスの委員長はまともなことを書かなかったようだ。委員長ほか二人が不真面目でヒナギクが苦労しているらしいとは、ハヤテから聞いたことがある。
「お姉ちゃんったら、何やってんのよ……」
 ……今回まともじゃなかったのは委員長ではなく先生の方だったらしい。ああ、そういえば今日の桂先生は二日酔いだとか何かで授業に遅れてきて、頭が痛いからと言って途中からは自習にしてどこかに行っていたな。そしてその分は土曜日や日曜日に補習をして埋め合わせ、しかもその補習の手伝いをヒナギクがやっているらしい。ヒナギクの奴は本当にご苦労様だ。
 弱々しくため息をつくヒナギクに少しだけ同情しながら、私はさっき飲みそこねた紅茶に手を伸ばす。ヒナギクがお説教してくれたせいで、淹れられてから少し時間が経っている。冷めないうちに飲んでしまったほうが良いと思って、私はそれに口をつけた。
 ……うん、やっぱり。
「やっぱりヒナギクの淹れた紅茶は美味いな」
「ん?」
 私がぼそっと呟いた一言を、ヒナギクはしっかり聞き取っていた。
 実際、ヒナギクの淹れる紅茶は美味い。屋敷でマリアが淹れてくれるものに比べても引けを取らないと思う。
 なんとなしに、紅茶の淹れ方についてマリアに訊いてみたことがある。その時マリアは私がそういうことに興味を持ったと思ったのか、それとも単に自分の得意分野だからか、とても詳しく話してくれた。曰く、水には空気を混ぜるだとか、お湯の温度に気を配るだとか……あまり覚えていないけど、いろいろとコツがあって、マリアはそれを実践しているらしい。そして、そんなマリアの淹れる紅茶に引けを取らないのだから、ヒナギクだって相当のレベルのはず。本当に、何でも出来る奴だ。
「そんなに美味しい? なんなら、もう一杯くらい飲む?」
「…………」
 相変わらずか、と思う。ヒナギクは前もこうだった。
 いつだったか、今と同じようにここに来て、ヒナギクの紅茶を飲んだ時。美味しいと感想を言ったらヒナギクはやけに嬉しそうにして、お代わりを勧めてきた。
 その時のヒナギクは、なんとなくいつもと印象が違った。その嬉しがっている様子は、まるで子供みたいだった。少し呆れながら、どうしてこんなに上手に淹れられるのかと私は訊いた。それに答える時には、嬉しいだけじゃなくてどこか誇らしげにも思えて、なんとなく気に食わなかった。
 今だってそうだ。私に紅茶の味を褒められただけのことが、そんなに嬉しいのか?
「……私が明日休んでも何も言わないなら、飲んでやってもいいぞ」
「……む」
 美味しいからもう一杯飲みたいと言ってやるのは簡単だった。実際にそう言えるくらいの味だ。でも、こういう時のヒナギクと話すのは苦手だったから、私は適当に誤魔化してしまっていた。
 話を私にとってあまり都合の良くない方向に戻してしまったと気づいた時にはもう遅かった。何言ってるの、とヒナギクはお説教モードに入る。
「まったく、サボりはダメって何度言ったらわかるの? だいたい料理が苦手だって言うなら、それこそ調理実習で練習して……」
「あーはいはい、わかったよ。明日はちゃんと学校に行く」
 これ以上お説教を受けるのも嫌なので、ここは素直にうなずいておこう。嘘ではないぞ。私は明日も学校に行く気だ。ただ、不幸にも風邪をひいてしまって屋敷から動けなくなるだけなのだ。
 そんなことを考えている私を、ヒナギクは疑わしそうに見ている。まったく、人のことを信用しないなんて、ひどい奴だな。
「ハヤテ君、いい? 休ませたりなんかしちゃダメよ」
「…………」
 私に言うよりハヤテに釘を刺しておいたほうが良いと思ったのだろう、ヒナギクは矛先を変えるが、ハヤテは反応しない。
「……ハヤテ君?」
 どうやらハヤテはさっきからずっと落ち込んだままだったらしい。床にへたれこんで、「もういいです。どうせ僕は綾崎ハーマイオニー……」なんて言っている。ハーマイオニーって誰だ。
 一方ヒナギクは、無視されてご立腹らしい。いつの間に手に取ったのか、右手には木刀がある。
「人の話は……聞きなさーい!!」
「うわ!? 何ですかヒナギクさん!?」
 うん、さすがハヤテ。明日も学校に出てくるようにと脅迫する輩を私から遠ざけるために、自らが囮になるなんて。執事の鑑だぞ。私はその心意気に応えて、今のうちに逃げ出すとしよう。
「あっ! ナギ!」
「お嬢様!!」
 私がエレベーターに乗り込んだのに二人も気づいたが、もう遅い。エレベーターの扉が閉まり、下降を始める。
 こうなってはハヤテだってこのエレベーターが下に行って戻ってくるまでの間、私を追ってこれない。……ちょうどいい、今日は一人で帰ってやる。どうせハヤテと一緒に帰っても、ヒナギク程ではないにしろお説教モードで、明日もちゃんと学校に行くようにくどくど言ってくるに違いないのだ! ハヤテなんて、置いてけぼりにしてやる!!







「ここはどこだ?」
 えっと……あれ? もしかして私、迷子?
 待て待て、よく考えろ。クールになるんだ。白皇を出てから、私はいつも帰る時に通っている道を辿ってきたはずだ。ハヤテの自転車の後ろに乗って通っているのと同じ道だ。道は間違っていない……はず……?
 あれ、そういえばあの道は左じゃなくて右に行っていたような……いや、それよりも、曲がる場所がいつもと違っていたような……?
「ふ、ふん! このくらいがどうしたのだ! 来た道をそのまま戻ればよいではないか!」
 そうだ、もう一度学校まで戻って、そこからもう一度、ちゃんといつもの道を辿ればいいのだ。
「えっと、さっきはたしかあの角を左に曲がったから、今度は右に……」
 左に曲がってきたところを右に、右に曲がってきたところを左に行けば、元の場所に戻れるのだ。記憶を辿りながら、右、左、右と角を曲がる。たしか、これで正しいはずだ。
「次はたしか、この角を右……ん?」
 おかしい。私の記憶ではここを曲がった先には十字路があって、次はそこを左に曲がるはずだというのに。曲がった先に十字路は無く、行き止まりだった。
 もしかして……完全に迷子?
「……ふ、ふふ、ははは! 仕方ない、ハヤテの奴も置いてけぼりをくって寂しがってるだろうからな、私の方から電話でも掛けてやるか!」
 そうだ、今の私には携帯電話がある。前みたいに鞄ごと忘れたりはしていない。ここはハヤテに電話を掛けて、助けに来て……じゃなくて、私がいなくて寂しがってるハヤテにそろそろ合流してやっても良いだろう。
 アドレス帳からハヤテの番号を探し出し、携帯を耳に当てる。コール三回以内に出なかったらお仕置きだからな。
 まずは、一回目のコール…………あれ?
「コールが鳴らない?」
 そんなバカな。話し中だとかじゃなくて、そもそも鳴らないなんて。
 だがもう一度掛けてみても、変わらない。屋敷にいるマリアの方に掛けてみても、同じだった。
 ハヤテの携帯だけなら、もしかしたらハヤテがいつものように何かの事件に巻き込まれて壊れたってことがあるかもしれない。ちょっと前にもそんなことがあった。でも、屋敷の電話にも繋がらないとなると、答えは一つしかない。
「壊れているのは、私の携帯か……」
 そう、私のこの携帯は壊れている。それは疑いようが無い。
 でも、大丈夫だ。落ち着け。携帯が壊れたってだけだ。どうってことはない。
「……まあ、しばらく待ってればハヤテが見つけてくれるさ」
 もう、私が白皇を出てから一時間以上経っている。ハヤテもマリアに連絡を取って私が帰っていないことを聞いているだろうから、既に私を捜し始めているだろう。マリアだったら、SPを総動員してるかもしれない。
 一箇所に留まってるよりも、動き回った方が見つけやすいだろう。私がもう普段の通学ルートから完全に外れてるのは確かなんだから、これ以上迷ったところで別段問題は無い。そうだ、少しその辺を歩き回ってみよう。
「……熱ッ!!」
「ん?」
 誰かの悲鳴と、何かが割れるような音。ちょうど私が歩いて行こうとしたのと逆の方向から、それは聞こえてきた。
 不思議な感じのする声だった。どこかで聞いたことがある気がするのに、それが誰なのかは思い出せない。
 妙に気になったので、進む方向を逆にして、とりあえずその声の主を確かめることにする。すぐ近くにある少し古びた建物から、その声は聞こえてきていた。
「わっ、大丈夫!?」
 さらに続いて聞こえてきた声。私の耳を信じるならその声は……。
「桂先生?」
 そう、いつも聞いている担任の……じゃなかったな。副担任の先生の声だ。この声にもなんとなく引っかかるものがあったが、さっきの悲鳴ほどじゃない。
 とにかく、この建物の中に桂先生がいる。……そう考えると、さっきの悲鳴はどことなくヒナギクに似ていた気がする。こんなところにいるということは、もしかしたらハヤテと一緒に私を捜していたのだろうか?
「まったく、生徒会の仕事がまだあるだろうに……あのお人よしめ」
 言いながら私はドアに手を掛け、開く。
「おーいヒナギク、それに桂せんせ……い?」
「まったくもう、危なっかしいったら……」
 その人はたしかに見た目は桂先生だった。でも、若い。いつも見ている桂先生より若い。普段はマリアと同じくらいに思えるのに、この人はマリアより若く見える。
「あ! お、お姉ちゃん、お客さんだよ!!」
 そして、その隣にいる子は、ヒナギク……か? いや、髪の色とかはヒナギクなのだが……いつの間にそんなに小さくなったのだ? 私より小さいぞ?
「何ぃ!? お客さん!? よく来たな……じゃなくて、いらっしゃいませぇぇぇ!!」
 いや、…………誰だ?





 同姓同名の人間がこの世界に三人いるだとか、すべてにおいて自分に似ている人間がこの世界に三人はいるだとか。誰が言ったのかは知らないが、そんな話を聞くことはある。
 だから、ここにいるのがマリアより若い桂先生と私より小さいヒナギクのどちらかだけだったら、驚きはしても、他人の空似ということでなんとか状況を理解して、落ち着くことが出来た気がする。
 でも、ここにいるのはその両方だ。これほどまでにヒナギクと桂先生に……いや、桂姉妹に似てる姉妹がいるなんて。どれだけ偶然が重なったらこうなるんだ?
 二人に名前は訊いていない。これでもしも私が知っている名前が出てきたら、驚くのを通り越して怖くなってしまいそうだったからだ。
「お待たせ、しました」
「……ああ、ありがとう」
 私が頭の中を整理している間に、妹の方が紅茶を運んできた。さっきから、この妹が慣れない手つきで淹れていた紅茶だ。話を聞いたところ、ここはどうやら、喫茶店らしい。
 喫茶店であるなら、客に出すものをこんな小さな子供が作るのはどうかとも思うが、少なくとも私に関しては客じゃないので仕方がない。お金を支払うことが出来ないのだ。
 財布なら持っている。だが、姉の方に訊いてみると、この店は現金しか受け付けていないらしい。私の財布に入っているのはカードだけだ。
 そう聞いて私は店を出ようかと思ったが、それは姉妹にそろって止められた。まだ経験が少ないので実際の客に対応する練習の相手になってほしい、お金はいらないということだった。私も歩き詰めで少し疲れていたので、休憩がてらその申し出を受けることにした。……正確に言うと、姉の剣幕に半ば無理やり申し出を受けるはめになったのだが。妹の方はわからないが、少なくとも姉の方は、性格まで桂先生に似ているらしい。
 そういうわけで、私は妹の淹れた紅茶を、客として受け取った。たどたどしくはあるが、妹もウエイトレスとして振舞おうとしているようだ。
 紅茶の入ったカップを手に取る。妹の方が緊張した面持ちでこちらをじっと見ている。……そんなに見られると、飲みにくいんだが。それにウエイトレスはそんなふうに客が飲むのをじっと見ていたりはしないと思うが……まあ、小さい子供だし、仕方ないか。私の反応が気になるのだろう。
 実際のところは、口をつけるまでもない。香りだけで、私がいつも飲んでいる紅茶とは違うのがわかる。一口飲んでみるが、やはりそうだ。味に関してはあまり良いものではない。
「……どうです、か……?」
 妹が感想を求めてくる。だが、この妹が紅茶の味について私に期待している答えは、私がお世辞でも言わない限り得られない。
 ……一生懸命にこの紅茶を淹れた妹に、本音を言ってしまうのはどうなのだろう。ほら、私がなかなか感想を言わないから、少し涙目になってきてる。
「はっきり言っちゃっていいわよ? 私達素人だから」
 ちょうど私が妹の涙目に負けそうになった時、今まで見ているだけだった姉が割り込んできた。
 姉がよくても妹がかわいそうだろう……とは口に出さずに堪える。それに『私達』って、姉の方も出来ないのか!? ……というのも考えるだけにする。もしここに咲夜がいたら、全力で突っ込んでいるだろうな。
 それにしても、姉妹そろって素人とはな。そんなのでよく喫茶店なんて……。
「ん?」
 そういえば。妹の方はまだ小さい子供だし、姉だってまだマリアと同い年くらいだ。この二人だけで喫茶店を経営しているなんて、あるはずが無い。そうだ、本来は、私がこの店に入った時に応対するのはこの二人ではなく、二人の両親のはずだ。
「ううっ……」
「え? ……あ」
 しまった。私が何も言わないでいるのを、妹は美味しくないという意味だと受け取ってしまったらしい。
 妹はいつのまにか姉にひっついて、わんわん泣いていた。姉は苦笑いしながら、妹の頭を優しく撫でている。
「はいはい、泣かないの。もっと練習して美味しく淹れられるようになればいいでしょ?」
 ──ん?
 なんだろう。今、何か頭に引っかかるものがあった。
 でも、それが何なのか思い出そうとした時には、もうその感覚はどこかに行ってしまっていた。
 姉がこちらを向いてウインクしながら、片手で「すまない」というようなジェスチャーをする。
 もしかしたらその意味だけじゃないのかもしれないとなんとなく思ったけれど、そのジェスチャーとウインクだけでは、私にはそれ以上の意味はわからなかった。



 姉が「ほら、お客さんに迷惑でしょ?」と囁くと、妹は泣き止んで、涙を拭い始めた。
 本当によく出来た妹だ。ヒナギクにはあまり似ていないみたいだが……。
「いや〜、ごめんなさいね。この子ったら泣き虫で……」
 笑いながら姉は、妹の頭をぽんぽんと叩く。妹はまた目に涙を浮かべながら姉に抗議の眼差しを向けるが、今度は泣き出したりはしなかった。その代わり、
「お姉ちゃん、お客さんの前でそんなこと言わないの!!」
 精一杯の威厳を込めて言い放つ。こんなに小さい子なのに、それがなんとなくヒナギクに重なって見えて、私は二、三回瞬きをした。姉はというと、妹の対応には慣れているようで、そんなことを言われても変わらず笑い続けている。
 おそらくこれが、普通の姉妹というやつなのだろう。以前、咲夜が弟や妹達と遊んでいるのを見たことがあるが、その時のことをつい思い出してしまう。
 そして、同時に、思う。こんな普通の姉妹が、どうして二人きりで店番をしている?
 両親が出かけていて、その間だけ二人が店番している。これが一番簡単だし、私だってそう思いたい。
 でも、姉妹そろって紅茶もろくに淹れられないのに、店番をさせたりするだろうか? 帰ってくるまでは店を開けさせないのではないだろうか? ……ちなみに、店の入り口には「OPEN」とはっきり書かれた看板が出ている。
 この二人は、実際の客に対応する練習の相手になってほしいと言った。二人がその頼みをしてきた時の、どこか切実に感じられる態度を思い出して、一つの考えに辿り着く。
 もしかするとこの姉妹は、私と同じで……。
「ん? どうかした?」
「あ、いや……なんでもない」
 だとしたら、私にはこの妹の気持ちが少しわかるかもしれない。……姉の方はちょっと理解不能だが。
 やっぱり、両親がいなくなるというのは、辛い。借金のカタに両親に捨てられたハヤテに比べたらまだましな状況なのかもしれないが、それでも辛いことに変わりは無い。
 だというのに、この妹は、涙を堪えて頑張ってるのか。
「え……?」
 妹が私の顔を見上げ、疑問の声をあげる。どうして私に、姉にそうされたように頭を撫でられてるのか、わからないといった表情だ。
 私にも、はっきりとしたところはわからない。
 でも、同情ではないと思う。そりゃあ少しは共感めいたところもあるかもしれない。だけど、私がこの子の頭を撫でてるのは、それとは少し違う気持ちのせいだと思う。
「えっと……あの……」
 妹は最初こそくすぐったそうにしていたが、撫でられているうちにおとなしくなってきた。心なしか私が撫でやすいように頭を傾けている。うむ、素直でよろしい。やっぱりヒナギクとは大違いだ。
 まるで、この時間がいつまでも続いていくような錯覚を感じる。……だが、そういうわけにはいかない。気がつかなかったが、ここでかなりの時間を消費していたらしい。外はもう薄暗くなっている。ハヤテ達が心配しているだろう。
 私が手を引っ込めて椅子から立ち上がると、私がここから立ち去るつもりだと気づいたのだろう、妹は名残惜しそうにこちらを見る。
「あら、もう帰っちゃうの?」
「ああ、人を待たせてるんでな」
 今度は私が淹れたのを飲んでもらおうと思ったのに、と姉は笑う。悪いが、お前のはごめんだ。
 ドアを開けながら、私は妹の方に振り返る。案の定、妹は目に涙を溜めて私を見つめていた。
「また来るからな」
 私がそう言うと、妹は溜めていた涙をこぼす。……まったく、お前の姉ではないが、本当に泣き虫な奴だな。
 笑う姉と泣く妹を背にして、私は一歩店の外に出る。閉めようとしたドアの隙間から、妹の声が聞こえてくる。
「もっと練習して美味しく淹れられるようになるから」と。涙でぐしゃぐしゃになりながら、そう言っているように聞こえた。
 私は頷いて、入り口のドアを閉めた。





 道も方角もわからないまま、とりあえず歩きながら、思う。
 あの子はこれからもっと紅茶について勉強して、実際に淹れる練習もして、いつかはきっと、ヒナギクやマリアのようにとても美味しい紅茶を淹れられるようになるんだろう。
 そうだ、いつだったかヒナギクにどうして紅茶を美味しく淹れられるのか訊いた時、あいつは言ってたじゃないか。『昔、たくさん練習したから』って。
 あのぐらいの年の子がそれについて学ぶのは、難しかったり、辛かったりするのかもしれない。実際、私があの店に入った時は、練習の最中に手を滑らせて、危うく火傷するところだったらしい。
 だけど、それでも、あの子はやり遂げるんだろう。
『苦しくて…辛くて…死んでしまいそうな想いのその先に…なにものにも換え難い本当の喜びがあったりするのよ…』
 また、あいつの言葉が浮かんでくる。
 私は、あの姉は桂先生に性格的にも似ているが、妹の方はそうじゃないと思っていた。でも、もしかしたら……。
「お嬢さま!」
「……え?」
 後ろから聞こえた声に振り向くと、ハヤテがこちらに走ってきていた。
「ナギ! こんなところにいたの!?」
 その横には、ヒナギクもいる。やっぱりハヤテと一緒に捜していたらしい。……お人よしめ。
「お嬢さま、よかった……マリアさんも心配してますよ」
「ああ……すまん」
 ハヤテに謝りながら、私は息を切らしているヒナギクに目を向けた。
「ヒナギクさんも心配して、一緒に捜してくれてたんですよ」とハヤテが付け加える。
「まったく……ナギ、明日はちゃんと学校に来ること。それと、私が今日出来なかった分の仕事を手伝いなさい。いいわね?」
「……なあ、ヒナギク」
「ん?」
『苦しくて…辛くて…死んでしまいそうな想いのその先に…なにものにも換え難い本当の喜びがあったりするのよ…』
 ヒナギクは何でも出来て、誰よりもかっこよくて、私に無いものも持っている。そんなふうに思えていたけど。
『昔、たくさん練習したから』
 もしかしたら、そうじゃないのかもしれない。
「……ああ、わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」
「わかればよろしい」
 ……まあ、逃げてばかりいては、またあの子に会った時にどうも引け目を感じてしまう気がするからな。料理の一つや二つくらいは出来るようになってやるさ。
 もっとも、生徒会の仕事は手伝わないけどな。








 ……なんでお前がここにいるんだ。


 失礼ね。ナギがちゃんと出来たか、見に来ただけよ。


 バカにするな! このくらいの料理、朝飯前というものだ!


 ふーん……どう、ハヤテ君? ナギは上手に出来たの?


 …………。


 ハ、ハヤテ!? なぜ目をそらす!?


 ……まあ、そういうことよね。


 く……そ、それがどうした! こんなもの、少し練習すれば……。


 あら、授業以外に自分でも練習する気なの? いつになくやる気あるじゃない?


 ばっ!? ちょ、頭を撫でるな、ヒナギク! ハヤテも笑ってないで止めろ!


 まったく、素直じゃないわね〜……よし、決めた! 私がナギに料理を教えてあげるわ!!


 ちょっと待て、勝手に決めるな! ハヤテ、笑うんじゃない……こらヒナギク、頭を撫でるなと……!!




 おわり。


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