もう少しで着きますよと、ハヤテ君がちらりとこっちを向いた。
 もう着いちゃうのか、と少しだけ名残惜しかった。




   『sky high』




 まだ、陽も高い。こんなに早く着いちゃうなんて。自転車を早くこぐのは得意だなんて言ってたけど、やっぱりハヤテ君って、すごいよね。
 そういえば、ハヤテ君って昔、自転車便のバイトをしてたんだっけ。遊びに誘ったりしても、よくそれで断られた気がする。
 なんだか不思議。ずっと見送るしかなかったハヤテ君の背中が、こんなに近くにあるなんて。
 両腕の力を抜いて、体をハヤテ君に預けてみる。私の頭がハヤテ君の方に乗って、こつんと音を立てた。
 西沢さん、と声をかけてくるハヤテ君に、私は答えない。
 あ、そういえば私、汗いっぱいかいちゃってたんだ。……でも、ハヤテ君の背中はすごく温かくて、心地よくて、もう少し、このままでいたい。目を閉じて、すうすうと息をして寝た振りをしているうちに、ハヤテ君の視線が私からはずれるのを感じた。そっと目を開けると、すぐ近くにあるハヤテ君の顔は、少し赤くなっているみたいに見える。私はまた、目を閉じた。

 幸せ。言葉にできないくらいに。
 どこまでも続いているみたいに思える道。少し塩気を纏って吹き付ける、涼しくて優しい風。見たことが無いくらいに青くて、広い空。
 まるで、世界が丸ごと変わっちゃったみたい。


 ねえ、ハヤテ君。
 私がここにいるのは、全部ハヤテ君のおかげなんだよ?


 ……私ね、ハヤテ君が学校を辞めちゃうって聞いた時、すごく悲しかったんだ。
 ハヤテ君が自分でアルバイトして出していた学費を両親が勝手に持って行って、それで退学なんてあんまりだと思って、でもハヤテ君はさよならだって言って。
 ……気がついたら、告白しちゃってた。

 どうしてかな、ってずっと思ってた。ハヤテ君が好きだって、ずっとそれだけは言えなかったのにって。
 だって、ほら。私、まだまだ先延ばし作戦中だったんだよ?
 高校生活はまだ二年以上あったんだし、それに、高校生の告白といえばやっぱり修学旅行とかじゃないかな? それだってまだだったし、いざとなれば卒業式だってあるなんて……そんな風に思ってたんだよ?

 だから……ハヤテ君に初めて告白して振られてから、ずっと後悔してた。それまで先延ばし作戦で逃げてたって、ずっと後悔してた。ハヤテ君が学校を辞めちゃったのは私にはどうしようもないことだったかもしれないけど、逃げないで勇気を出していたら私達の関係は違う結果になってたんじゃないかって……ずっと後悔してた。

 宗谷君達はね、私はハヤテ君に積極的にアタックして勇気がある、悪いのは鈍感なハヤテ君だなんて言って慰めてくれたけど……きっと、違うんだ。
 まあ、確かにハヤテ君ちょっと鈍感なところがあるけど……ううん、結構そうかもしれないけど…………あれ、よく考えたらやっぱりハヤテ君いくらなんでも鈍すぎないかな?

 ……うん、最初は、私だってもしかしたら勇気があるって言えたのかもしれないよ。
 休み時間に話しかけてみたり、放課後に一緒に帰ろうって言ってみたり……。

 でも、いつのまにか気づいちゃってた。
 ハヤテ君は、好きだって直接言わない限り、私の気持ちに気づいてくれないんだって。遠回しにアプローチしても気づいてくれないんだって。

 だったら直接言えばいいって思ったんだけどね。そうしようとすると、なんだかすごく怖くなっちゃって。
 告白は明日にしよう、やっぱり来週にしようなんて思ってるうちに……いつのまにか、先延ばし作戦中なんだってことにしちゃってた。
 私から気持ちを伝えるんじゃなくて、ハヤテ君から私の気持ちに気づいてくれるのを待つしかできないようになってた。

 だから、私が本当に勇気を出したのは、きっと、あのバレンタインデーが最初。ハヤテ君が学校を辞めるって言った時は、気がついたら告白しちゃってたからね。
 一度告白したはずなのに、本命のチョコを渡すのはすごく怖かった。一度告白してるんだから怖いものなんて無いと思ってたけど、そんなことはなかった。最初は勇気が出なかった。
 でも、しょうがないんじゃないかな? 私はきっとヒナさんみたいにカッコよくなれない、普通の女の子なんだから。

 だから、本当なら、私の気持ちはあそこで終わってたんじゃないかなって思う。ハヤテ君に渡したのが、義理チョコのままだったら。それでもハヤテ君はホワイトデーに何かくれたのかもしれないけど、それだと私は、ここにいなかったんじゃないかと思う。
 ハヤテ君を呼んで来るように頼んだのが、偶然ヒナさんだったから。ヒナさんが、ハヤテ君に私を追いかけるように言ってくれた。
 私に、勇気を出す最後のチャンスをくれた。
 そして、その最後のチャンスを、私は……。

 ……自転車がゆっくり速度を落としていく。どうやら、着いたみたい。
 目を開けて、ハヤテ君に預けていた体を起こす。ここまででいいよと道端に止めてもらった。
 ハヤテ君が駅に向かって歩き出す。私も、おばさんの家を探し出さないと。今は、ここでお別れ。次に会えるのは、いつになるんだろう。できるだけ近いうちの方がいいな。
 そんな気持ちを込めて、またね、と手を振ると、ハヤテ君も手を振って応えてくれた。
 そういえば、ハヤテ君が学校を辞める前にもこんなことがあった気がする。バイトに向かうハヤテ君に私が手を振って、ハヤテ君も手を振り返して。その時とやってることは同じだけど、でも何か違う気がするのは、私が浮かれすぎてるのかな?
 そんなことを考えているうちに、私はいつのまにか笑っていたみたい。私って単純なのかな?
 ……さあ、それより早くおばさんの家を探し出して、頭が良くなる温泉に行かなくちゃね。




   『sky high』   -fin-

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