「やっぱり幼女性愛者はまずいですよね〜」
 今日も今日とてハヤテハヤテと、何たらの一つ覚えのように彼にじゃれつくナギを横目に、マリアはぼそりと呟いていた。
 ナギの恋を応援しようと決めていた彼女がその決心を鈍らせ、あまつさえ否定する方向に走っているのには、もちろん理由がある。それは、つい昨日のこと。ナギの数少ない友人と言って差し支えないであろう、伊澄と咲夜が遊びにやってきた、静かな昼下がりにまで時は遡る。
 客人二人に紅茶と菓子を用意したマリアが、幼女三人と綾崎ハヤテが集っている部屋へと向かう途中、聞こえた声がその始まりであったという。

 ハヤテのバカー!!

 めきょっ。

 バタン。

 バタバタバタ……。

 それ自体は、マリアにとっては聞き慣れたものだった。何かしらの理由により感極まったナギが「ハヤテのバカー!!」と叫ぶ。めきょっ。とその頭部に何かをめり込ませる。今日のナギは、人気の漫画を読んで影響されたらしい、将棋の盤と駒を持ち出していたので、おそらくそれだろう。バタン。とドアを開け、バタバタバタ……と駆けて行く。ああ、今日も平和ですね、とマリアは、この後部屋を片付けるという自分の現実から目を逸らす。いつもと何も変わらない。強いて普段と異なることを挙げるのならば、バタバタバタ……。の後についていく、パタパタパタ……。と若干可愛らしい足音が聞こえたことくらいだろうか。伊澄あたりが後を追ったんだろうと、マリアは推測した。後を追ったのが咲夜であったならば、こんなに可愛らしい足音にはならない。
 果たしてその通り、ナギを追ったのは伊澄であり、咲夜はハヤテの元に残っていた。とりあえずは、とマリアが乱暴に開け放たれたドアの近くまでやってくると、部屋の中から咲夜の声が聞こえたのだ。
「ハヤテお兄ちゃん……大丈夫か?」
 ぶっ。
 吹き出しそうになるのを、なんとか堪える。
 お兄ちゃん。お兄ちゃんときましたか。あらあらまあまあ、ハヤテ君ったら妹スキーでしたか。でもこの中にいるのは咲夜さん。ハヤテ君をそんなふうに呼ぶわけはありません。あ、もしかするとハヤテ君の妹さんですか? 生き別れになった兄を求めてこんなところまで……泣かせるじゃないですか。ところで、いくらハヤテ君が天然ジゴロだと言っても、まさか義理の妹だとかそんなオチにはなりませんよね?
 ──と、思考を展開することおよそ三秒。ギギギ、と体を断続的に動かし、扉の端から部屋の中を覗こうとして、
「あ、あの、こんなところでその呼び方は……」
 ピタリ。どこか戸惑ったようなハヤテの声を聞いて、マリアは思わず上半身を乗り出すのを止めた。
 あれ? 「こんなところで」「その呼び方」ってことは、普段は別の呼び方をしているってことでしょうか? おかしいですね、妹さんだったらいつもその呼び方でいいでしょうに。
「え、ええやん、へるもんやなし」
 あら、妹さんは関西弁なんですか? まるで咲夜さんみたいですね──。
 覗き見、再開。マリアが冷や汗を垂らしながら部屋の中を見ると、そこにいたのはハヤテと、その妹などではもちろんなく、見事に顔を赤くした咲夜お嬢さま。
 あらあら、義理の妹どころか、赤の他人じゃないですか。
 ハヤテ君が実は咲夜さんと兄妹だったなんて裏設定は知りませんよ?



 ──思えば。
 綾崎ハヤテは、幼女に好かれる体質だった。
 三千院ナギ。
 鷺ノ宮伊澄。
 そして──愛沢咲夜。
 咲夜があのように顔を赤くするなんて、滅多なことではない。
 それを見てマリアは、忘れかけていたことをふと思い出したのだ。
 ロリコンは、まずいんじゃないかしら?
 「お兄ちゃん」は、まずいんじゃないかしら?
 ナギがハヤテを好きなことは、仕方が無い。
 だから、ハヤテがナギを──分類するならば幼女を、好きになることは、何か引っかかるが、しかし必要なのだ。
 そう思っていた。
 でも。
 「お兄ちゃん」は、まずいんじゃないかしら?
 幼女を好きになることは、幼女への抵抗を無くすことは、どこか引っかかるが、必要だから仕方ない。
 しかし、幼女に対して、「そういうもの」に対して、偏愛を抱くようになるのは、流石にまずいのでは?
 咲夜がハヤテを「お兄ちゃん」と呼んだことは、マリアが忘れかけたいたことを、以前以上にはっきりと意識させるのに十分だったのだ。



 かくして、『綾崎ハヤテから幼女スキーもとい好かれ分をとりあえず一時的に取り除こう作戦』は幕を開ける。
 戦略は、『年上の魅力を理解させる』こと。シンプルであるが、これが一番であるように思われた。ハヤテはきっと、年上の魅力をわかっていない。以前、年下よりも年上の方が良いと嘯いていたことがあったが、それはおそらく、自分の真の趣味を隠すためのブラフだったのだろう。あんな単純な嘘に、簡単に騙されてしまったものだ。しかし年上の良さがわかれば、相対的に、年下への興味も減少してゆくだろう。年上お姉さんを集めて、その魅力でころりとやっつけてしまうのだ。そして年下に対してドライになれば、年下から好かれにくくもなるはずだ。

 ──そのようにしてマリアは、面白そうな暇潰しに向けて張り切っていた。
「やっぱりマリアは無駄に強いからつまらんな……」
「うふふ……ナギ、修行が足りませんよ」
 伊澄と咲夜の帰宅後、ハヤテを避けたのだろうか、将棋の戦術について書かれた本を片手に挑んできたナギに、マリアは上機嫌に笑う。
 そう、この将棋のように。年上お姉さんという駒を自在に操って、敵方の王将であるハヤテを追い込んでいく。そうして最終的に、彼の性格をほんの少し改造、もとい、彼を更生させてやるのだ。
「でも、これならハヤテだったらいい勝負になるかな……」
 負けながらも自分の成長を感じたのか、ナギは再戦しようとハヤテを呼びに行った。
 その後姿を見て、マリアはふ、と笑う。
 もしかしたら、これからハヤテ君は少しだけあなたに冷たくなるかもしれません。
 でも、それは正常なことなんです。だから、負けないで──。
 これからハヤテに、年上お姉さんの刺客を差し向ける。ぱたぱたとナギが廊下を歩く音を聞きながら、マリアは、ふふ、ふふふ、と笑っていた。



 マリアは、気づいていなかった。
 これは、最初から平等な勝負ではないということに。
 マリアには、手駒など殆ど与えられていない。
 将棋ならば、王と歩のみで戦う十枚落ちすら上回る──王のみで戦う、裸王に近い状況であったということに。



 ケース一:貴島サキ

『え、あの、私、そういうのは……だって、若がいますし。あ、いや、別に若がどうとかいうわけじゃないんですけど……ほら、お店ですよ! お店が忙しいので、ちょっとそういうことをやっている時間は……え、ハヤテさんを店まで来させる? いえ、あの、そんな、余計に……だって、お店には若が』
「あー……はい、サキさんはそうでしたね。すみません、お幸せに」



 ケース二:牧村志織

『えー、いくらマリアちゃんの頼みでも、私には彼氏がいるから……』
「ああ、彼氏が──って、ええ!? 牧村さん、そんな、同学年なのに、だってあの頃はそんな素振り全然無くて、灰色仲間だと思っていたのにぃぃ……」
『あれ、マリアちゃん? もしもし、もしもーし?』



 ケース三:桂雪路

『え!? お姉ちゃんをハヤテ君に!? だ、だめだめだめ!! そんなの絶対だめよ!! ハヤテ君ってだけでもだめなのに、ましてやお姉ちゃんをなんて……だめよ! お姉ちゃんは絶対に渡さないわー!!』
「えっと……ヒナギクさん、そこはせめて『ハヤテ君は渡さないわー!!』にしておかないと、ラブコメ的に問題があるんじゃ……ていうか桂先生に電話掛けたのに、どうしてあなたが出ているんですか?」



「桂先生もだめ、と……ふう」
 まだ何か言ってる生徒会長を無視して、受話器を下ろす。これで三人連続で失敗、しかもそれぞれに惚気られているときた。溜め息の一つも出る。
「でも、こんなことで挫けてなんかいられませんね。次は……」
 次は、と受話器を持ち上げる。そして、掛けるべき番号をプッシュ──できない。
 いない。
 年上の女性に、これ以上知り合いがいないのだ。いるにしても、それは伊澄の母らであったり──さすがに、頼むことはできない。初穂などは、頼んだらぽーっとしながらこくりと頷いてしまいそうですらあるため、余計に頼めない。
「そんな──」
 がくりと、膝をつく。既に、持ち駒は無い。たった三枚与えられた歩は、持ち駒がそれだけだと気づきすらしないうちに、何の役割を果たさせることも無く、無造作に使い切ってしまった。
 ──だが。
「……あ」
 将棋というのは、王が取られるまでは続くゲームである。
「……なんだ、簡単じゃないですか」
 王将が、たった一人の年上が、まだ残っていた。
「待っていてください、ハヤテ君。私が直々に、年上の魅力を教えてあげます……!!」
 ところで、将棋というゲームの特異な点としては、取られた駒が相手のものになってしまうということがあるそうで。



「ねえ、ハヤテ君は……年上に興味は無いんですか?」
 とある夜更け、お風呂上りの無防備な格好で問うてみたり。今までも無意識にやっていたことを意識的に。まあ、最初はこんなものでしょうと思いながら。

「ここはこう解くんですよ。まったく、手がかかりますねぇ……」
 二人きりで勉強中、ふと手を重ね合わせてみたり。ボディタッチ開始。手が触れ合うぴくりと反応し、そのまま体を硬直させるのが初々しい──おかしなことに、それはハヤテだけではなかったが。

「そんなに気にすることないですよ……ね?」
 ナギやヒナギクがツンツンするのを真に受けて落ち込んでいるところを、背後から抱きすくめてみたり……大人の所業です。マリアも最初は恥ずかしかったりしたけれど、やってるうちに、段々と悪い気がしなくなっていく。きっと慣れだろうと、マリアは思うことにした。



 そして、数日後。
「完璧ですわ……!! 年上ってどんなことをしたらいいのか正直よくわかりませんでしたけど、ハヤテ君の反応を見るにこれで正解に違いありません!! むしろ、逆にフラグとかいうのが立っちゃうんじゃないかってくらいです……で、でも、次はもうちょっと踏み込んでみるのもいいかもしれませんね……例えば、ほ、ほっぺたに……………………ま、まあ、いずれにせよ、もうしばらくこの路線で続けていけばすべてが上手くいく」
「わけがあるかぁーーーー!!!!」
 どんがらがっしゃーん。
 無駄に派手な効果音付きで部屋に押し入ってきたのは、すみませんここ最近マリアさんに奇行が目立つのが気になってお嬢さまに全部話してみたらいきなり怒り出して、と目線で訴えながらぺこぺこ頭を下げるハヤテと、尋問態勢万全のナギお嬢さま。
「ナ、ナギ……ううっ……」
 悪事のすべてが露見した犯罪者といった様相で、マリアはがくりと頭を垂れる。特に悪事を働いた覚えは無いが、無意識にそうしてしまっていた。
 こうして、『綾崎ハヤテから幼女スキーもとい好かれ分をとりあえず一時的に取り除こう作戦』は、綾崎ハヤテに大きな影響を与えることも無いままに、あっけなく幕を閉じた。



 虚実織り交ぜながら事の次第をナギに説明したマリアには、結局のところ何のお咎めも無かった。
 なんとなしに感じる罪悪感から、マリアはこれ以降ハヤテと多少の距離を取る──有り体に言えば、いくらか冷たくすることを考えたが、それはナギによって止められた。曰く、「お前は世間を舐めている! 今は、ちょっと冷たくしただけですぐにツンデレ疑惑がかけられる腐った世の中なのだ!!」ということらしい。中途半端に冷たくするくらいなら、今まで通りにしていてくれということだ。
 一方ハヤテには、咲夜が彼をお兄ちゃんと呼んでいたことをマリアが報告したことを原因に、いくらかの厳罰と多少のごたごたがあったとのことであるが、それはまた別の話となる。

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