昔に戻りたいなあ、なんて思うことが多くなった。
 いくらか勉強してたくさん遊んでいれば、時間なんて勝手に過ぎ去って行ってくれていたあの頃。仕事でミスをして怒られることも無ければ、彼氏と些細なことで喧嘩して苛々したりなんてことも無い。
 昔に戻りたいなあ、なんて。仕事の帰りにふらりと立ち寄った店で、呟いてみたりしていたんだけど。
 隣の席でカウンターに突っ伏していた人が呻きながら顔を上げて。ちらりと見てみると、なんとなくどこかで会っていたような気がして。記憶を辿ってみると、どうやら中学の同級生らしかった。



    「懐旧因子」



 久しぶりに会った彼女は、何一つ変わっていなかった。
 お酒を飲みすぎて気持ち悪そうにしているところは少し新鮮かも、なんて思ったけど、思い返してみると成人式でも似たような姿を見かけたような気がする。そう、たしか薫くんが介抱していた。私は私で他の友達との思い出話が忙しかったから、あの場では彼女とはあまり関わっていない。それ以来彼女の姿は見ていない、だから九年ぶりくらいになるのだけど。
 教師をやっているのだと、彼女は言った。新米が来たせいで副担任に降格させられただとか、妹がお金を貸してくれないだとか、そんな愚痴を聞いているうちに、いつのまにか私も同じように現状への不満を連ねていた。彼氏の悪口を言ったら、彼氏がいるということ自体にすごく嫉妬されたりもしたけど。とりあえず彼女には、そういう浮いた話はないらしい。
 私と彼女は、仲が悪いわけでもなければ、特に付き合いが深かったというわけでもなく。分類するなら、友人とまではいかない、知人というのが合っている気がする。お酒が入っているとはいえ、それがこんなふうに腹を割った話をするようになるんだから、不思議なものだと思う。
 一時間ほどそうやって時間を過ごすと、彼女は、場所を変えようと言ってきた。彼女との話は思った以上に楽しくて、ちょうど明日は休みだったから、断る理由は無かった。
 外に出て適当に次の店を見繕っているうちに、もう一つ見知った顔を見つけた。おーい、と彼女が呼びかけるのを聞いて、彼はこちらに近づいてきた。彼女の隣にいる私を見て、戸惑っているような顔をしていた。
 薫京ノ介くん。彼は私のことを覚えているんだろうか。少し興味を持って訊いてみると、やっぱり覚えていなかった。仕方がないと思う。彼と話した記憶は私にも無いし。私が彼を覚えているのだって、彼は彼女のことが好きなんじゃないのかな、と些細な興味があったからというだけだから。
 彼女に引っ張られる形で、彼も私達に加わった。どうやら二人は今も付き合いがあるらしい……男女の意味ではなく。職場の同僚なのだと、彼は語った。彼の様子から、今も彼女のことが好きなんだなあとわかった。同時に、彼女はまったくそういうふうに彼を意識してはいないということも。今だって、彼女の財布にされそうな雰囲気。二人ともそれで納得してるみたいだから、それでいいと思うけど。
 薫くんも粘り強いなあと思う。でもこの場合、いまだに関係が続いている幸運を祝ってあげるべきか、いまだにそういう対象として意識されないことを慰めてあげるべきか、ちょっと迷う。たぶん、いまだに気持ちを伝えられないでいる薫くんが早く勇気を出せるように祈ってあげるのが正解だと思う。いまだに告白してないと思うのは、私の勘だけど。
 彼女がトイレへと席を外した隙に突っついてみると、思ったとおりだった。ずっと好きだけどあと一歩が踏み出せない。伝えられない彼と伝わらない彼女の関係。ずっと前、私達が中学校の制服に袖を通していた頃から、何も変わっていない。それがなんだか嬉しくて、つい笑ってしまった。ほんの少し、羨ましいとも思う。もちろん、すべてがあの頃のままだとは思わない。きっと二人は二人なりに、上司や同僚との関係に悩まされたりだとか、生徒と向かい合ったりだとか、いろんな苦労があるんだろうと思う。だけど、それでもきっとこの二人は、あの懐かしい時間をまだ続けているんだ。



 別れ際、連絡先を訊いてみると、彼女の方は口を濁した。代わりに彼が応じてくれて、二人分のデータを貰ったけど。
 彼女のデータの中にメールのアドレスが無いことに気づいたのは、それから数日経ってからだった。登録された電話番号から考えて、携帯そのものを持っていないらしい。今のご時勢ではちょっと信じられなかったけど、いろんな意味で型にとらわれなかった彼女らしいのかな、とも思う。いちおう電話番号はあるのだから、連絡を取るのには支障はない。
 ただ、少しだけ残念なこともある。薫くんからもらった彼女のデータの中には、彼女の誕生日も含まれていたのけど、それがちょうど今日、あと一時間を残すのみ。普通なら今からでもお祝いのメールを送るところだけど、それはできない。電話をかけるには物足りない用件で、時間も遅い。
 来年は忘れないようにしよう、そんなふうに思って、布団に入ることにした。次はちゃんと事前に連絡を取って、また三人で集まってどこかの店に遊びに行こう。一年後の二人も、きっと変わっていないんだろう。薫くんには悪いけど、二人の関係はあんまり進展していない気がする。
 それを思うとなんだか楽しくなってきて、いつのまにか、一年に一度の楽しみみたいに思えてくる。もしかしたら、もう少し頻繁に会うこともできるかもしれない。二人にとっては、一人が増えただけで普段と変わらずに過ごす時間なのかもしれないけれど。それは私にとっては、懐かしさに身をゆだねて、少しだけ元気を取り戻すための場所。こういうのも、悪くないなと思う。


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