「──え?」
 情報を扱うことにおいて、自分の右に出る者はいないと、堀内愛理衣は自負している。
 電気を媒体とした彼女の特殊型の“虫”は、あらゆるネットワークに潜り込み、それらを意のままに操作する。様々な用途を可能とするこの能力において、愛理衣がそれを最も頻繁に利用しているのは情報の収集においてであり、それは彼女がこの能力を持つにいたったきっかけ──彼女の持つ夢に由来している。
 世界中の秘密を覗いてみたい──純粋な好奇心から端を発した彼女の夢は、しかし、無残に傷つけられ、歪められた。
 その夢を叶える手段がある、と誘われた。まだ幼く、無垢なままでいた愛理衣は、一片の疑いも無く、割れた鐘の音が響く中で、自らの夢を口にした。
 そうして気づいた時には、“虫”を通じて、何もかもが流れ込んできていた。暴走した“虫”は、愛理衣に与える知識を選ばない。思いもよらないほどに汚いことが、世界には溢れていた。
「嘘、ですよね……」
 力を使い続けることで知りたくないことを知ってしまう絶望と、力を解除することで何もわからなくなってしまう不安。それらに縛り付けられて身動きが取れなかった愛理衣を救い出したのは、一人の少女だった。
 戦いを止めさせるのだと、理想を決意にして。虫憑きが大好きになったのだと、笑いながら頭を撫でてくれた。
「亜梨子さん……」
 その少女の末路が。一つの戦いの結末が。知りたくなかったことが、“虫”を通して流れ込んでくる。
「あなたがいなくなったら、私はどうしたらいいんですか……!!」
 ──あなたが分からないことは、私たちが教えてあげるわ。
 優しさに満ちた声は、もう聞こえない。



「中央本部所属異種五号局員“C”。あなたを降格します」
 機械的な口調で告げられる降格命令。笑みを浮かべたままの相手とそれ以上一言の会話も交わすことなく、愛理衣は踵を返した。
 度重なる任務放棄を理由とした、降格通知。それを言い渡されても、愛理衣の心には何の感慨も湧かない。
 亜梨子が照らしてくれた進むべき道は、また暗闇に閉ざされてしまっている。亜梨子が取り除いてくれたはずの不安に、押し潰されそうになっている。世界は相変わらず汚いことに溢れていて、わからないことも、きっとたくさんあるのに。教えてあげると手を取ってくれた亜梨子は、いなくなってしまった。
 どうしたらいいのか、わからなくなってしまった。
「亜梨子さん……」
「……ん? なんだ、てめぇもかよ」
 一人で呟いた言葉に、聞き慣れた声が返ってくる。
 俯かせていた顔を上げる。視界に入るのは、目の覚めるような金色の髪。呆れたような顔をした、“霞王”がそこに立っていた。
「……“霞王”さん、てめぇも、とはどういう意味ですか……?」
「あー、いや、“かっこう”の野郎が一之黒亜梨子のことで沈んでるように見えたからな、ぶっ殺してやろうと思ったんだが」
 言いながら“霞王”は、背後のトレーニングルームを親指で指し、どこかばつが悪そうに続ける。
「沈んでても、腑抜けちゃいねーんだよ。“大喰い”は絶対に倒すとか言いやがって……」
「えっ……?」
 どこか複雑な表情の“霞王”を見つめながら、愛理衣は不意に思い出していた。
 一之黒亜梨子が、優しい理想を持って手を握ってくれたその前に。
 自分の横っ面を引っ叩いて、悪い夢から覚めさせてくれた人がいたことを。
「“かっこう”さん……」
 “霞王”の横をすり抜けて、トレーニングルームの扉の隙間から中を覗く。銃弾と共に放たれる轟音を聞いて、確実に破壊されていく標的を見て、愛理衣は、一心不乱に撃ち続ける“かっこう”に、新たな道を重ねていた。
 “虫”を生む元凶を滅ぼす。長く厳しい道だと知りながら、一之黒亜梨子を失って尚も歩み続ける彼は、まるで自分達の救世主のようで。塞ぎ込んでいた自分との差に感動すら覚えながら、彼さえいてくれれば大丈夫だと、その確信を、いつの間にか抱いていた。
「……私も、できる限り協力します」
 そうして愛理衣は、決意を口にする。
 いつか、亜梨子にもそんなことを言わなかっただろうか──心地よい日々の感慨を、もはや実現することの無い理想への期待を心に押し込めるために、愛理衣は唇を噛んだ。
 自身のすべては彼のために。そう考えることにすら、躊躇いは無い。
 自分の夢を守り、救い出してくれた二人。その片翼を失った今、愛理衣には残ったものは彼以外に無かったのだ。
 小さな拳を握る愛理衣の横で、おぼろな輪郭のシーアゲハが、バチリと翅を広げた。


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