「夏休み、終わっちゃったね!」
「うあ、ああ、ああああああああああ」

 秋静葉と秋穣子の最大の攻撃に、東風谷早苗は倒れ伏した。
 季節が変わり、本格的に目覚めた姉妹が準備体操がてらふわふわ飛んでいると、この巫女に鉢合わせした。最近は麓の巫女のように、人間以外と見るや見境なく弾幕勝負を挑んでくる彼女である。しかしこの攻撃が効くということを、昨年の経験から二人は知っている。
 最初にくらわせた時は、しばらくすると「あれ、でも私ってもう学校行ってませんよ?」と立ち上がってきたため姉妹は肝を冷やしたが、数秒すると「そうそう、私ってもう学校に行ってない……行ってないんですよね……私の学歴って小卒なんだよなあ……」なんて遠い目で呟き始めるので、逃げるにも追撃するにももってこいなのだ。もちろん逃げる。逃げて、人間の里に向かう。

 今のような季節の移り目、秋の神の第一の仕事は、この言葉を里中の子供に笑顔で告げて回ることだ。まだ夏気分でいる連中に、秋の到来を告げてやるのである。また、どうにも最近、現実から眼を背けたがる子供が多い。夢から眼を覚まさせてあげなくてはならないのだ。


「夏休み、終わっちゃったね!」
「ひえだっ……また締め切りがががが」


「夏休み、終わっちゃったね!」
「だぜっ……アリス、アリス! 魔法で休みを増やそう、魔法なら何でもできる、私たちならできる」
「無理よ、魔理沙……これからは有無を言わさない研究の日々が始まるんだわ」


「夏休み、終わっちゃったね!」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
「いやいや紫様あんた冬春夏と寝過ごして今ちょうど起きたばかりで何を」


「夏休み、終わっちゃったね!」
「なつやすみなんてありませんよ。ふぁんたじーやめるへんじゃあないんですから」
「あらあら妖夢、どうかしたの? ん、美味しそうなお芋の匂い……」



 まったく、神様も楽じゃない。
 現実を認めようとしない多くの者たちに追われ疎まれ食べられそうになり、二人はまた逃げ出した。走って逃げた。空を飛ぶのも忘れて逃げた。亡霊は追ってきた。えへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへなんて笑いながら追ってきた。ホラーだ。亡霊に追われる正真正銘のホラーだ。選択を誤ればスプラッターホラーになる。静葉はすぐさま決断した。

「穣子、標的分散作戦よ! あの十字路、あなたは右、私は左! さあ、いざ! ……え、なんでついてくるの!? あいつはお芋の匂いを追ってるんだから、いや、ちょ、来ないでー! あ、いや、来ないでってのはあなたじゃなくてね、あの亡霊ね? ええそんな、妹を拒絶する姉なんているわけ、せいやっ! ……ふふ、穣子、腕を上げたわね。この時のために密かに練習してきた足払いをそんな見事に避けるなんて。え、私の考えてることなんて何でもわかる? さすが我が妹、地底の姉妹に見せびらかしてやりたいわー!!」

 走って蹴って引き倒そうとして逆に引き倒されかけてなんとかこらえる。二人して、姉妹の片割れを囮にしようと、逃げながらのキャットファイト。姉も必死だ。妹も必死だ。

「お姉ちゃんを倒して、私は姉になる!」
「そうはさせない……!」

 しかし当然ながらそれは逃走の速度を奪う。亡霊が近づいてくる。へひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ言いながら近づいてくる。
 このままではグロ注意になる! どうにかせねばと思った次の瞬間、静葉の頭にこの場を打破する策が舞い降りた。静葉は穣子から手を離すと、ぴたりとその場で足を止めた。

「え、あれ、そんなお姉ちゃん、私のために犠牲に!? うそ、うそだよ、お姉ちゃん、お姉ちゃーーーーーん!!」

 妹の声は順調に遠ざかっていった。姉思いの妹の悲痛な叫びだが、誰かに手を引っ張られてだとか、何かに乗ってて自分の力では止められないだとか、そういう状況での台詞であって、自分の足で全力で遠ざかりながらの言葉ではない。
 しかし静葉は、悪態など一つも吐かず、精一杯に儚げな笑顔を浮かべた。

「さよなら、穣子」

 亡霊がすぐそこまで迫ってきた。「お姉ちゃーーーーーん!!」と穣子が叫んだ。亡霊が静葉の脇を通り過ぎた。お芋の匂いを追っていった。

「 ! ? 」
「さよなら、穣子。あなたは素晴らしい妹だった。地霊殿の連中に自慢できないのが残念だわ」
「……し……静葉ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
「ああ、あなたが私を名前で呼んでくれたのって、久しぶりな気がするわ。最期にそう呼ぶのは、認めてくれたってことなのかな? そうね、思えば私たちっていっつもそう。あなたは、私の紅葉なんかより、自分の農作物や果物の方が大切だって思ってたんでしょう? 私もそう。私も、紅葉こそが一番で、あなたのなんかよりずっと大事だと思ってた。バカね、こんな最期に気づくなんて。私達は、私達二人で『秋』なのに……」

 涼しげな風が通り過ぎて、静葉が顔を上げると、もう誰もいなかった。
 一人になってしまったとはいえ、妹の意志は自分が継がなくてはならない──。





 そんなわけで、紅白の巫女にも夏休み終了を伝えるべく、静葉は博麗神社にやって来たのだ。

「お賽銭、ちょーだい!」

 もちろん静葉の台詞である。
 いや考えてもみて欲しい、秋になればこの場を埋め尽くすは見事な紅葉。その絶景に気を取られてついつい賽銭を落としていく者も数多いはず。つまりこのお賽銭の数割は紅葉を司る神である秋静葉を想って入れられたも同じ、秋静葉には賽銭箱の中身をいくらか持っていく正当な権利があるのだ。

 ──と以前主張して巫女にボコられたということを、静葉は言ってから思い出していた。やっべ、と冷や汗を垂らすも、しかし巫女は何も言ってこない。姿を見せすらしない。よく見ると賽銭箱すら置いていなかった。不思議に思って縁側のほうへと回りこんでみると、

「あ、いた」

 巫女はそこにいた。正確には、毛布を被って寝転がって陽にあたって、惰眠を貪っていた。これでは万が一参拝客が来たところで無視を決め込んでいただろう。なんという夏休み気分。静葉は闘争心を燃え立たせると同時に、凄絶な笑みを浮かべる。幸せそうに眠る巫女の顔が人里で見たような絶望に彩られるところを想像すると、至福の溜息が漏れた。
 しかし、しかしだ。目の前にターゲットがいるとはいえ、激情に任せてはならない。クールに立ち回らなくてはならない。こういう相手こそ、優しく、ソフトに、心を侵すようにして、目を覚ましてやらなくてはならないのだ。

 巫女が被った毛布を、そろりそろりと、静かにとってやる。その速度は、秒速一センチメートル。じわりじわり広がる寒気に巫女は毛布を掴もうとするが、そうはいかない。その手を冷静に跳ね除けてやる。生意気なことをしたお仕置きに、秒速二センチメートルにアップだ。
 器用に手を動かして毛布を取り去りながら、静葉は霊夢の隣に寝転がる。耳元に唇を寄せて、優しく、優しく、

「夏休み、終わっちゃったらば」

 優しく、巫女に頭を掴まれた。優しさに溢れすぎていて頭がパーン! と破裂しそうなくらいだ。

「特に理由は無いけど今の私は機嫌が悪いのでちょっとあんた殺す。あ、理由あった」
「殺すとか言っちゃダメー!」
「じたばたすんな、くっそ、カニはたしか頭じゃなくて両手両足を一緒に持つんだったっけ」
「身体硬いから裂けるわよ?」
「裂けたら何かまずいの?」

 またグロ注意か! きょとん、と子供みたいに首を傾げて訊いてくる巫女にわりと本気で恐怖を覚え、静葉は必死に頭を働かせる。おいちょっとやめてお願いやめてくださいほんと裂ける、なんて言ってもこの巫女は聞いちゃくれないし、秋が来たと聞いてもげんなりして戦意喪失だとかは無い。ただ発狂するだけだ。
 だが。そう、この巫女に対しては、魔法の言葉がある。

「お、お賽銭入れるからゆるして……」

 やっべお金持ってないわ、と言ってから気づいたが、とりあえずこの魔の手から逃れられれば、後のことは後で考えればいい。
 しかし巫女は静葉に、自身の革命的な発想力に悶える暇を与えてはくれなかった。巫女の手は離されない。どころか恐ろしい目つきで睨みつけてきて、悪党みたいに舌打ちする。しかし巫女は呟き始めた時には、既に静葉を見ていなかった。

「お賽銭お賽銭ってよぉ……賽銭入るってのがどれだけ偉いのよ……」
「え? あれ?」
「里のミーハー共ときたら……空飛ぶ船や巨大ロボがすごいとか言って、命蓮寺や守矢の分社にばっかりお参りして……まあ巨大ロボはすごいけど……ちょっと遠くて妖怪も出て、宝船もロボも無いからって、うちのほうにはさっぱり来ないでさ……まあロボは欲しいけど……」

 あらぬ方向を向いてぶつぶつ漏らしていた巫女が、ぐりん! と、首と眼球を回して、歯を剥き出しにして静葉を再び睨みつける。「ひぃっ」と悲鳴をあげてしまうのを静葉は堪え切れなかった。

「おかしいよね……私だって頑張ってるのにさ。こんなふうにたくさん妖怪退治してるのに。なんでうちには信仰が集まらないのかな。ねえ、なんで……?」

 こんなふうってあれもしかして私って退治されかけ? ですよねー!
 なんてノリツッコミする余裕など無い。亡霊を越える本物のホラーはここにあった。ごめんね穣子、姉は志半ばで朽ちます──なんて思っていると、部屋の襖がガラッと開いた!

「話はすべて聞かせてもらったわ!」
「穣子!」
「あんたはたしか……こいつの妹だっけ、姉だっけ」
「姉よ!」
「いも……え、ちょ、芋、あれぇ?」
「そう、姉……そういえばそうだったわね」
「ええ、生と死の境界を乗り越えた私は生まれ変わって姉になった」
「ならねーよ」

 ツッコミとはタイミングなのだと静葉は知っている。故に、タイミングを外した末の、この苦し紛れのようなツッコミがスルーされるであろうこともわかっていた。完全にやられた。今この時より、静葉は妹となったのである。そして妹に許されるのは、自分を助けに来てくれた姉のありがたい言葉に耳を傾けることだけなのだ。

「博麗の巫女よ、冷静になりなさい……そう、あなたは少し数字にこだわりすぎる」
「……数字に?」
「そう、信仰とはそもそも目に映らぬ、計り取ることなど出来ぬもの……それをあなたは、お賽銭という数字で計りとろうとする。そんなもの、信仰の一面しか映し出さないごくごく単純なものでしかないというのに! わかりにくくはあっても、この博麗神社に信仰を寄せている者は山のようにいる! だというのになぜ、なぜあなたがそれを信じてやらない……!!」

 まともだ……。
 ぐぎぎぎぎ、と静葉は唇を噛んだ。おかしなことを言い始めたらそんな流れは矯正して姉に返り咲いてやろうと思っていたのが、まったくの計算違いである。しかしどうしてこの妹に、こんなまともなことが言えるのか。
 場には、流れというものがある。この流れからすると、巫女はおそらく説得されてしまう──。

「うん、私、間違ってた!」
「そう、お賽銭なんて数字ではなく、博麗神社を想う人の心に目を向けるようにする……それが、今のあなたにできる善行よ」

 説得された。
 もはやどうしようもない、下克上は成ったのだ。

「で、そろそろ私の妹を離してくれるかしら?」
「あ、ごめん」

 静葉は巫女の優しい右手に捕らえられたままであった。静葉自身も忘れていたそれを指摘してやるとは、なんという姉力──静葉は、そのままガクリと膝をついた。

「……負けたわ」
「こんなところでへたれこんでる暇は無い……私たちの戦いは始まったばかり。秋はまだまだこれからよ、静葉」

 姉に手を取られ、立ち上がる。
 思えば、姉という立場、名声にこだわることに、どれほどの意味があるのだろうか?
 それこそ、自分達の関係の一面でしかない。巫女がもっと大切なものを見出したように、自分も、もっと別のものに価値を求めるべきではないだろうか──。

「次は紅魔館に、秋の到来を知らせに行かないと」
「……うん、行こう。お姉ちゃん」

 それは屈服ではない、踏み出した一歩であった。

 そうして秋姉妹は今日も行く。この秋を、よりよいものにするために。


















「夏休みなんて関係ない、私には毎時間がお昼休みだ」
「相変わらずやるわね門番」
「……ところで、あんたらって姉妹だったよね」
「こっちが妹よ」
「ああ、三年ぶりかしら、また変わったのね」













  ◆  ◆  ◆





 しばらくの、時間が過ぎた。秋の始まりが、秋の終わりへと移り変わるくらいの、時間が過ぎた。

 博麗神社の境内で、様々な人妖が入り乱れて酒を楽しんでいた。
 秋姉妹の助力により開催されたこの宴会は、この場所への信仰のかたちを今一度思い出させてやろうという取り計らいでもある。
 酒は誰もが適当に持ってきて、好き好きに呑んでいる。静葉の力による紅葉を肴に、穣子の力によって豊かに収穫された作物をつまみに、好き好きに呑んでいる。つまみと紅葉。酒を楽しむには、それだけあれば十分に過ぎる。
 秋は、静葉と穣子の陽気を乗せて去ってゆく。以前の無駄なテンションは影を潜め、二人は、隅のほうで静かに呑んでいた。

「ねえ静葉、いつだったかなー。私たちも、同じようなこと悩んでなかったっけ」
「んー? お姉ちゃん、同じようなことって?」
「ほら、豊穣を司る神なんて実際すごく重要なのにさ、なんでこんな扱い悪いんだーって。ぼろっちい社が在るだけで、賽銭だって全然入んないしさー」
「いいじゃない、収穫祭にちゃんとゲストで呼ばれてるわけだし」
「そうだけどさー、社に来る人とかはいないし、もうちょっとって……」

 やんややんやと騒がしいのは、やっぱり巫女がいるあたりか。
 さっきまで嬉しそうに、楽しそうに飲んでいた巫女は、結果としてずいぶん酔っ払っているようだ。大きな声で、魔法使いや山の巫女を相手に何か話している。

 ──その時、秋姉妹の姉のほうが言ったのよ! 信仰とはそもそも目に映らぬ、計り取ることなど出来ぬもの……それをお賽銭などという数字で計りとろうとすることに何の意味がある! わかりにくくはあっても、この博麗神社に信仰を寄せている者は山のようにいるのだと!
 ──霊夢、霊夢、それ負け惜しみにしか聞こえないぜ。
 ──いえ、でも正しいと思いますよ。たしかにうちはお賽銭もそれなりにもらってますけど、それに驕らないようにしないと……。

「あー」
「お姉ちゃん、どうかした?」
「いやなんでもないわしず、いや、うん、なんでもない。あー、冬休みも春休みも夏休みも早く終わらないかなあ」
「そうそう、早く終わらないと下克上ができない」

 冗談めかして言っても、やはり二人の空気はどこか暗い。秋を少しでも明るくするために、面白おかしくやってきた。だから、しばらくの充電期間。

 また、良い秋を。
 騒ぎ立てる人妖を眺めながら、二人は杯を鳴らした。



 <了>
 
 
 



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