「あら」
「むが」

 東風谷早苗が、ふと蕎麦屋に立ち寄った時のことである。
 どうやら混んでいるようだと気がついたのは店に入った後。相席でよいかと店員に訊かれ、まあいいかと頷いて連れて来られたのが、博麗霊夢の向かいの席だった。
 しばしの間お互いの顔を眺めあって、特に興味も無さそうに霊夢がまた蕎麦を啜り始めたものだから、拒否はされていないのだろうと早苗も黙って席につく。
 安心したように去っていく店員にたぬき蕎麦を言いつけてふと霊夢の丼の中を見ると、立ち上る湯気の中で大きな油揚げが自己主張している。きつね蕎麦である。

「……何?」
「いえ、別に。きつね蕎麦が好きなのかなあと」
「そういうわけでもないけど。あんたはたぬき蕎麦が好きなの?」
「そういうわけでもないですけど」
「そう」

 ずるずるずる、と霊夢はまた蕎麦をすすり始める。油揚げを噛みちぎる。お冷を口に含むくらいしか早苗にできることは無い。まだかなあ、と店の奥の方を見やるが、あとどのくらいで来るのかなんてわかるはずも無い。

 ──きつね蕎麦って、なんとなくこの人っぽいなあ。

 暇にあかせて、そんなことを思ってみる。それはもう、境界の妖怪に付き従う狐をイメージしている。おそらく、霊夢が信頼を寄せているであろう存在。
 ただ、そういった考えに至ってみると、自分もまたたぬきっぽいという話になるような気がする。何かそれに根拠があるかと探ってみても、わかるようでわからないようで、何か面倒になって、早苗はその考えを口に出すのを止めた。

 ずるずるずる、と正面から聞こえる音が一段落する。ほう、と満足そうな溜息を霊夢はついた。
 店の入り口の戸がまた開いて、三人連れの客が入ってくる。霊夢はそちらをちらと見て、相変わらず混むなあ、と呟いた。

「ここにはよく来るんですか?」
「里に来た時には、それなりにね。美味しいし」
「ふうん」
「あんたは?」
「私は今回が初めてです」
「たぬき蕎麦、お待ちー」

 互いに興味薄げな目を相手に向けながら、早苗は割り箸を折って、霊夢はまた丼に手をかけた。
 意外では、あるのかもしれない。彼女がこうやって、外食でそれなりに金を使っているということが。
 ただ、彼女に対するイメージを遡ってみると、信仰やら賽銭やらを欲しているというものはあっても、財政難で苦しんでいるというものは無いようにも思う。どうやら彼女は、普通に金を使う。少しばかり、認識が捻じ曲がっていたのかもしれない。
 だからといってどうすることもないか──と、早苗は歪に割ってしまった箸に顔をしかめた。

 ずるずるずるずる。
 それからというもの、会話は無く、ただ蕎麦を啜る音だけが二人の間にあった。
 そうすると、先にその音が止むのは、早くから食べ始めていた霊夢である。

「んじゃ、お先」
「はい、それじゃ、また」

 席を立つ霊夢と、早苗は口の中の蕎麦を飲み込んで一言交わし、また蕎麦を啜り始めた。




  ◆  ◆  ◆




「あら」
「ふむが」

 博麗霊夢が、ふと菓子屋に立ち寄った時のことである。
 何か食べている東風谷早苗と思いっきり目が合ったのは、当然ながら店に入った後。今さら店を出ようとも思わない。
 早苗は特に慌てるでもなく、霊夢に一度背を向けてから口の中のものをゆっくりと咀嚼、嚥下して、傍らに置かれた茶を一口飲み、改めて霊夢に向き直った。

「新作の試食です」
「そう」
「霊夢さんもどうですか? 美味しいですよ」
「うーん、じゃあ、頂戴」

 掌を広げて、見知った店員に向けてみる。店員から苦笑と菓子を受け取り、口に入れてみる。和菓子特有の甘さが口内に広がる。花の形をした和菓子は、なるほど何か花の香りを漂わせているようにも思えた。

「美味しい」
「でしょう? 評判がよければ来週から正式な形で売りに出されるそうですよ。楽しみです」
「ここにはよく来るの?」

 この店での彼女の振る舞いは、何か、慣れているような感触がある。
 ふとした違和感に素直になって、霊夢は訊いてみた。

「ええ、週に一度くらいは。神奈子様も諏訪子様も、私も、それなりに和菓子とか好きですから」
「へえ……」

 意外だなあ、と続く言葉はなんとなしに飲み込んだ。早苗は外から来た人間だから、もう少し、現代的な菓子が好きなのかと思っていた。
 最近になって里に顔を見せ始めた、洋風の菓子屋。あれらの元は外とこことを自由に行き来できる妖怪であるとも、外の世界から流れ込んでくる本であるとも、あるいは目の前にいるような外来人であるとも言われている。

 外のことはよくわからないが、ああいうものが流行っているのだろうとは感じていたし、早苗のような奴はあっちの方が好きなのだと思っていたが──意外と、そうでもないらしい。
 だからと言って、外の話や洋風の菓子についての話を始めてみたところで自分にはよくわからないだろうし、すべては思うに留めるけれど。

「それじゃあ、来週を楽しみにしてますね。……あ、念のため、一つ取り置いといていただけますか?」

 早苗も特に長話をする気は無いようで、いくつかの包みを持って、それではお先に、と霊夢にすれ違う。

「うん、それじゃ、また」

 言いながら、さっき試食したものを自分も取り置いてもらおうかなと、霊夢は考えていた。




  ◆  ◆  ◆




「最近、あんた達って仲いいの?」
「え、あんた達って、私と……誰ですか?」
「ほら、あの麓の」
「ああ、霊夢さんですか」

 東風谷早苗が、風呂から上がり自室に戻ろうとする途中に行き会った相手は、そんなことを訊いてきた。
 ケロケロ、と童女のように首を傾げる洩矢諏訪子に、早苗は、さてどう答えたものかと首を捻ってみる。自分達の関係がどんなものかは気づいているが、それを神奈子や諏訪子の前で口にするのは少々はばかられた。
 仲が良い、と言ってしまって何も問題は無いのだろう。他人にはそう見える。それを躊躇わせる何かがあるのもまた事実だった。

「なんか最近よく会ってるみたいだし、こないだなんてうちに呼んでたじゃん? 二人で早苗の部屋に閉じこもってさ。何かよからぬことでもしてるんじゃないかって、私と神奈子は保護者としてもう気が気じゃなくてねぇ」

 その心配が嘘であろうとは流石に口に出さないけれど、そんな子供じみた、楽しそうな笑顔で言われたところで、説得力は無い。よからぬことってたとえばどんな、なんて訊いてみてもよかったが、なんとなく藪蛇になりそうな気がして、早苗はそれも避けた。
 見た目とは裏腹に──いやある意味見た目通りだろうか、子供というのはえっちなネタが大好きなもので、諏訪子もそれほど例外ではない。ただ諏訪子は、東風谷早苗という風祝のことを、必要以上に真面目な、固い人間だと思っているふしがあった。もう少し肩の力を抜いてもいいという言い回しを何度聞いたことか。だからそれは、あくまで自分をからかう手段としてのことなのだろうと、早苗は思っている。

「別に何もしてませんよ。二人して本を読んでただけです。霊夢さんは、外の本ですけど」
「ふうん? その本ってのはベッドのし」
「外の、普通の本ですけど」
「……ふーん。何か、話したりはしないの?」
「特には。ずっと本読んでたので」
「それって……息、詰まらないの? 狭い部屋で何も話さず二人っきりって」
「いえ、別に……」

 思えば、神というのは、そもそも人やらなにやらとの関わりを前提に存在しているのかもしれない。それに幻想郷に来てからというもの、諏訪子も神奈子もよりフランクに、人や妖の信仰、彼らとの親交を求めている。
 だから、理解しがたいのだろうか。

 ──それとも。
 長き時を過ごしてきた二人には、これもまた、馴染み深い感覚なのだろうか。

 早苗の思考を肯定するように、一つ二つまばたきして、諏訪子は頷いた。

「あーなるほど、もしかして、そういう関係?」
「……そういう関係って、どういう関係でしょう?」

 その訳知り顔はおそらく正解にたどりついているのだろうと思いながら、けれど早苗は訊く。念のためというやつであり、お約束ともいうやつだ。

「それはもう、私の口からじゃ言えないような……いやいや、冗談ね、冗談。つまりあれだ、無言で二人きりでも、気まずくない関係だ」
「そのまんまですね」
「そのまんまだけど、そうでしょ?」
「……ええ、まあ」
「どうなんだろうね。そうわかってみると、あんた達のは、あんまり健全じゃないようにも見えるけど……あ、これは冗談じゃなくてね。うん、まあ、いいか。あんた達みたいなのには、たぶん、そういうのも必要なんだろうし。私らじゃあそこんとこカバーできないしね……ああ、今もそうなのかな。ごめんね」

 言って、諏訪子は早苗に背を向ける。
 その姿が見えなくなるまで待って、早苗は再び自室へと足を向けた。
 まったく神様は何でもお見通しで、だから、霊夢といる時みたいにはいかない。
 明日もまた彼女の元へ行ってみようか、なんて気持ちが湧いてきた。




  ◆  ◆  ◆




「お前らって最近妙に仲いいよな」
「お前らって、私と……誰?」
「早苗だよ、早苗」
「ああ……」

 神社の縁側で二人して茶を飲んでいると、霧雨魔理沙はいきなりそんなことを言ってきた。
 その言葉になんとなく頷いておきながら、他の人にはそう見えるのかな、という感想を、博麗霊夢は飲み込む。

 実際、友人というには少し位相が異なる関係だと思える。そういうのは、どちらかというと、隣にいる魔法使いが当たるのではないかと。

「普段、どんなことしてるんだ?」
「どんなこと、って?」
「ほら、昨日は私が来たから何か遠慮してたんだろ? 二人してずっとぼーっとしてるし」

 昨日のこと。
 言われて思い出してみても、特別に何かをした記憶は無い。何かをしようとしていた記憶も無い。
 ただ、早苗は最近よくそうするように昨日も神社に来て、早苗は和菓子のお土産と幾つか外の本を持ってきていて、自分は掃除を中断してお茶を淹れてやって、二人して部屋で寝転がって、自分は外の本を、早苗は神社にある書物にぱらぱらと目を通した、そのくらいだ。
 途中で魔理沙が来たような気がするが、自分も、おそらく早苗もその空気に飲み込まれていて相手する気が起きず、適当にあしらっているうちにいつの間にかいなくなっていた。

「別に、遠慮なんてしてないわよ。あいつといるといっつもあんなもん」
「あんなもんって……ずっと黙って本読んでただけじゃないか」
「そうよ。だから、そんなもんだって」
「なんだそれ、つまらないな。むしろ、なんで一緒にいるんだ?」
「……なんでかなあ」

 ──落ち着くから。
 浮かんだ答えを口にしないのには、なんとなく、という理由が最初に来るけれど。
 そもそもどうして彼女といると落ち着くのか、よくわからないからでもあった。

「何もしないなら一緒にいる意味が無いじゃないか」
「……そういうわけでも、ないと思うけど」
「せっかくなんだから、こう、世間話でもしてみろよ」
「……んー」

 気の無い返事は、どこか諦めも含んでいると、霊夢は自覚している。
 自分でもわからないことだからうまく伝えられないし、伝えられたところで、わかってもらえる気がしない。

 魔理沙と共にいるのともまた違う、安心感。
 その正体を、早苗に訊いてみたら何と言うのだろう。
 早苗は、どうして自分と一緒にいるのだろう。
 安心、しているのだろうか。自分と同じように。

 まあいいか、と魔理沙が和菓子を口に入れる。忙しげな彼女の興味は、もう他に移っているようだった。
 ああ美味いなこれ。やっぱり和だよな、和。アリスの家に行くと洋物ばっかり出てさ、いやまああれはあれで悪くないんだが……。
 楽しげに話す魔理沙に、霊夢はぼんやり、相槌を打つ。




  ◆  ◆  ◆




「たぶん私達、どこかしら他の人に興味が無いんですよ」

 だらしなく崩された足に、何か言う者はここにはいない。
 少しばかり風が強いから、いつもの縁側ではなく、閉め切られた部屋の中で。博麗霊夢と東風谷早苗、神社にいるのは二人だけ。普段以上に遠慮の無い空間で、二人は卓袱台を挟んで向かい合わせに座り、茶を啜った。

「霊夢さんがどうしてなのかは知りませんけれど、私の場合は、やっぱり、見てる世界が違ったから。向こう側にいた頃ですけどね。友達って言えるような相手はそれなりにいましたけれど、私が見てるものが他の人には見えないって、私の大切なものの殆どを隠してるって、なんだかそれだけで、本当にわかりあえる相手なんていないんだろうなあって」
「ああ……ああ、そっか。あんたのことはわからないけれど、なんとなくわかるかも、そういうの。なんとなく他の人のことはどうでもよくて、でもそんなふうに思ってるくせに、不安なんでしょ。本当にわかりあえる相手なんていないけど、でも、独りになるのは怖い」
「そういうものですよ、きっと。自分は独りだってわかってるのに独りが怖いから、私達みたいなことになるんです」

 相手のことに興味は無く、相手のことを知ろうとも思わないけれど、ただ、二人でいるという事実。自分以外の誰かが近くにいるという安心。
 結局のところ、二人の欲したものは、それだった。

「にしてもあんた、よくそんな分析できてるわね。自分のことなのに」
「昔も、こういう相手がいたんですよ。ただなんとなく集まって、集まるだけで何もしないって相手が。その時にいくらか考えまして」
「筋金入りってわけだ」
「変な言い方ですけど、そうなるんでしょうか。あの子、元気にしてるかなぁ……」

 ぼんやりしてあらぬ方向を見つめる早苗。霊夢はお茶請けとして用意した煎餅を口に入れる。
 一枚、二枚と食べているうちに早苗の意識は戻ってきたようで、そういえば、と言うように問うた。

「でも、私はともかく霊夢さんはちょっと意外ですけど。魔理沙さんとか他にもいろいろ、友達多そうなのに」
「あんただって、向こうで友達はいたんでしょ? 魔理沙は、うん、友達だと思うけど、たまにすごく距離を感じることもあるのよ。ああ、やっぱりこいつと私は全然違うんだなあって」
「なんでこの人が自分の友達やってくれてるんだろうなあって?」
「そうそう」

 頷きながら、霊夢は湯呑みを手に取る。一口の茶を、その暖かさを身体に染み渡らせて、ほうと息をつく。

「自分と違う相手に合わせたりってのも面倒だけど、そのあたり、あんたはほんとに楽だわ」
「同感です。お互い、自分のことはほっといてほしいって人種ですからね」
「うん。じゃあ、そろそろこの話も終わりってことで」
「そうですね」

 そうして霊夢は早苗が持ってきた外の本を、早苗は霊夢が神社の奥から引っ張り出した書物を、それぞれ開いて寝転がる。卓袱台の向こうに相手の足が見えるけれど、気にはならない。どうせ自分と同じように、相手も気にしていないのだろうから。
 心地よい、静かな時間が、また始まろうとしていた。
 
 
 
 
 
 <了>
 
 



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