博麗大結界。
 それは常識と非常識とを分ける結界。外側での非常識が内側へと流れ込み、そして常識となる、概念結界。
 だが一方、外側での常識は外側に留まったまま。すなわち内側での非常識となるのだ。

「……紫、また来たんだ。よっぽど暇なのね」
「暇じゃないわよ。暇があれば全部霊夢に逢いに来るのに使ってるだけ」
「……ばか」

 縁側に座り、顔を赤くしてうううと唸る博麗霊夢。彼女の肩を、八雲紫がうふふと抱き寄せようとしたその瞬間のことだった。
 ばちっ! と、見えざる壁から衝撃を受け、紫の手は弾かれた。それどころか紫そのものが吹っ飛ばされた。十メートルほど吹き飛んだ。

「ふんぼるばっはっ!?」
「ゆ、紫ん!?」

 ギャグのように美しく飛んで草むらにダイブした紫を、霊夢は追いかけた。何がなんだかわからないが、助け起こそうと走り寄った。
 しかし追いつかない。たかが十メートル先にいる紫にたどり着けない。霊夢が走るのと等速度で、きっかり十メートルの間を空けて、紫は霊夢から離れていた。しかし紫は走っているわけでも歩いているわけでもない、何かに連続して吹き飛ばされているようだった。

「痛い、いた、あたっ、なに、なにこれ、何か壁があるわー!」
「紫、大丈夫ー?」

 紫の申告によると、霊夢から十メートルの地点に、霊夢と紫の間に位置取る形で、何か壁のようなものがあるらしかった。紫はその壁に蹴られていた。霊夢が近づくごとに蹴られていた。つまりその壁は、十メートルの距離を紫と霊夢に強制しているのだ。これではちゅっちゅできない。

「くっ……大結界の仕業ね!」
「どういうことなの!?」
「大結界は常識と非常識の境界……外での非常識がこちらに流れ込むように、逆に外での常識は、幻想郷では結界に否定されるのよ。これがどういうことか、わかるわね……?」
「まさか……! 結界が、私達(ゆかれいむ)を外の常識、つまり幻想郷の非常識として否定した……!?」
「大・正・解……!!」




 ──それ以来、霊夢と紫は十メートル以上近づくことはできなくなった。霊夢から十メートルの地点に、紫を跳ね飛ばす壁があるのだ。それは紫や霊夢の能力を持ってしてもどうにもできない、強く硬い壁であった。ゆかれいむはそれほどまでに、外の世界での常識と化していたのだ。

 吹き飛ばされても吹き飛ばされても霊夢を求める紫と、吹き飛ばしても吹き飛ばしてもまだ吹き飛ばすのを止めない霊夢。
 そんな光景が三日ほど続いた後、ついに二人は別れた。幻想郷に生きる者として、別れざるを得なかったのだ。




 しかし事態はそれに留まらなかった。
 霊夢と紫が別れた翌日のことである。魔理沙が虚ろな目でふらふらと空を飛んできて、霊夢から十メートル地点で吹っ飛ばされた。
 霊夢は縁側から動かない。魔理沙は地面に倒れたまま、ぶつぶつ呟いた。

「アリスに近寄れない」
「ああ、やっぱり」
「他の奴にもちょこちょこ近寄れなかったりすんだが、なんなんだこれは……? ちなみに霊夢にも近づけないわけだが」
「さあ、ね。なんでもいいわよ、もう」

 今このとき、霊夢は魔理沙との間に、たとえば紫との間にあるような何かがあるわけではない。
 にもかかわらず弾かれる。ゆかれいむやマリアリに留まらない、レイマリも、外の世界では常識と化しているのだ。

「何か知ってるならもったいぶらないで教えてくれよ」
「かくかくしかじか」
「なんということだ……」

 ぐったり呟く魔理沙だが、依然として地面に横たわったままである。目障りなので蹴り飛ばそうかと霊夢が思った瞬間、空から別の声が降ってきた。

「ああ、霊夢さん魔理沙さんお揃いでひでぶっ」

 霊夢のそばに降り立とうとした常識にとらわれない巫女は、外の常識に吹き飛ばされた。どうやらさなれいむも常識であるらしい。
 さなれいむの常識に弾き飛ばされた早苗は、魔理沙の近くに落ちた。あっ、と霊夢が思わず声をあげる。

「魔理沙と早苗って常識じゃないのかしら……? それなりに信仰してる人はいそうだけど」
「絶対数が足りないのかもな。おい早苗、大丈夫か?」
「痛ぁ……。魔理沙さん、ありがとうございます。しかし一体何が……神奈子様や諏訪子様に近寄ろうとしても同じように吹き飛ばされたんですけど」
「それはな、かくかくしかじからしい」
「そんな……。私が未だ外の常識に縛られているなんて」

 それちょっとうまい、などと思いながら茶を啜る霊夢の視線の先、早苗が魔理沙に助け起こされる。
 霊夢はその様をじっと見る。二人の手が繋がってるところを見る。指を絡めたりなんかしちゃってる。お互い見つめあったりなんかしちゃってる。んんん? と霊夢は二人を見る。ああ、と理解して手を叩く。

 ──つまりあれだ、外の世界で常識になるほどの相手から引き離されて、人恋しくなってるところに不意に他人の熱を感じちゃったりして、人間こういう時に一目惚れとか恋に堕ちたりとかするのよねえ。

 こうしてサナマリは成った。
 この時霊夢は何か非常に嫌な予感を感じるのだが、それについて深く考えることは無かった。




 翌日早朝、紅魔館が分裂した。みんな仲が良すぎたのだ。
 レミリアの愛されっぷりなど特に酷いものであった。

「さくやー!」と吹っ飛ばされ、
「フラーン!」と吹っ飛ばされ、
「パチェー!」と吹っ飛ばされ、
「めーりん!」と吹っ飛ばされ、

 そして神社に来て「霊夢ー!」と吹っ飛ばされた。もはや彼女に行き場は無いと思われた。


 しかしその数刻後、命蓮寺の妖怪達も分裂。
 これが多くの者達にとって救いとなった。他勢力との関わりが薄い彼女らは、身内以外に近づいた際に『常識』に阻まれることが殆ど無かったのだ。
 永遠亭や地霊殿といった大勢力も次々に分裂するに至って、事態は友達作りの様相を呈し始めた。
 やはり誰もが独りでは生きられない。近くにいても『常識』に阻まれない相手を見つけて友情を結ぶことがまず急務であった。
 そのうちに『友達作りパーティー』と題された交流の機会が紅魔館で設けられた。霊夢も含めた誰もがその場に赴いた。そこでは皆、次々と新たな関係を構築していった。


 レミパルが成った。
 静こいが成った。
 咲さとが成った。
 ゆゆ鈴仙が成った。
 フラひじが成った。
 天藍が成った。
 アリ空が成った。
 雲霖が成った。
 衣玖妖夢が成った。
 パチュ文が成った。
 かぐこがが成った。
 幽香輪が成った。


 皆が次々新たな交流を結んでいく中、霊夢は動けなかった。
 もとより、誰かに特段の興味があるわけではない。強い妖怪に好かれはしても、それはあくまで、向こうが勝手にやって来るだけだ。紫も魔理沙もレミリアも萃香も早苗も、向こうからやって来た。霊夢自身は、ただ茶を飲んで縁側に座っていただけだ。特に気を使うことも無く適当に相手してやってるのを、向こうが勝手に楽しがっていただけだ。異変が起きるたびに知り合いが増えていったが、あれもまた、向こうが勝手にやって来ただけ。
 たとえばこのような状況に置かれて、自分から友達を作りに動いたことが、果たしてあっただろうか。いや、無い。


 ──もしや私は、自分からコミュニケーション取りに行く能力はあまり無いのでは?


 その認識にたどり着くと同時に、嫌な汗が吹き出てきた。
 静かに以心伝心しているさとりと咲夜を見やって、核兵器装備ロボについて熱く語り合うアリスと空を見やって、「おばあちゃん魔法教えてー!」とじゃれつくフランドール及びじゃれつかれる白蓮を見やって、嫌な感覚はどんどん増していく。

 なんでこの子たちこんな仲良くできるの? ちょっと前まで殆ど関わり無かったよね? こんなこと自分にはとても……いやいやそんなことはない。博麗の巫女を舐めないでほしい。今まで自分からはやっていなかっただけで、本気になれば友達の百人くらい余裕で作れる。
 そう自分に言い聞かせながら、霊夢は、ちょうど目の前を通りがかった大妖精に颯爽と声をかけた。

「あの……えっと……」

 しかし意外と声が出なかった。「えっと……」の時点で大妖精は霊夢をスルーしている。勇気を振り絞ってもう一度声をかけてみようとするが、そうする前に、火焔猫燐が良く通る声で大妖精を呼び止めた。
「そこの妖精さん、あたいが見たところあんたには才能がある! うちでゾンビやってみない?」
「え、ゾンビ……や、やります! 是非やらせてください!」

 あっはっはーと笑う燐に大妖精は付いていってしまった。霊夢は上げかけた腕を硬直させ、ぽかーんとその様を見つめていた。

 なぜだ! なぜ、あんなナチュラルに声をかけられる! 簡単に肩を組める! こちとら気を抜けばすぐに噛んでしまいそうなのに! 手が震えてしまいそうなのに!

 くそっくそっくそっと地団太を踏んでいるうちに、主催たるレミリアからアナウンスがかかった。

「はーいこれにて今日のパーティーは終了よ。みんな新しい友達は見つかった? ……ああ、うん、上々みたいね。まったく妬ましい。妬ましいわ……」

 新たな友人と共にレミリアが親指を噛むと、会場は割れんばかりの拍手で包まれた。霊夢は独り、キョロキョロと周りを見渡す。誰もが楽しそうに手を叩いていた。
 え、嘘、これで終わり? ていうか拍手してる人は何? みんな友達作れたの?
 霊夢が絶望に俯きながら形ばかりの拍手をする中、交流会はそうしてつつがなく終わりを告げたのだった。







「死にたい……」

 そして霊夢は独り、神社の寝室で布団にくるまっていた。外はどしゃ降り。うるさいくらいの雨の音は、けれど暗い思考をかき乱してはくれない。
 交流会から数日、既に神社を訪れる者はいない。パーティー終了直後、「よう霊夢、新しい友達はできたかー?」と声をかけてきた魔理沙や早苗に「あったりまえでしょー!」とサムズアップを返してしまったのがおそらく致命傷だった。霊夢にも新しい友達ができたと認識して、二人は何の後ろめたさも無く霊夢を放ってちゅっちゅしてるのだろう。

 もう機会が無いというわけではない。さらなる交流を求めて、紅魔館では、友達作りパーティーの第二段を企画しているらしい。しかし霊夢には、それに参加する気概が無かった。既に心を折られていた。

「もうやだ……」

 その時、外から、ばちっ! と音が聞こえた。最近は聞かなかった、それは、誰かが十メートル以内に入ろうとして弾かれた音だ。霊夢は驚いて身を起こした。しばらく待ってから、立ち上がり、外へ向かって歩き始める。障子を開け放つまでにばちっ! ばちっ! と何度か音が聞こえたが、それはつまり、音の主が、弾かれているにもかかわらず帰ろうとしていないということでもあった。
 あいつだろうな、と心のどこかで予想していた。

「諦めるのはまだ早いわ、霊夢」
「……何しに来たのよ、紫」

 そこには、果たして八雲紫が、ずぶ濡れになって立っていた。決意を秘めた眼で霊夢を射抜いていた。
 ずいぶんと久しぶりに感じる相手。間違いなく、嬉しいはずなのに。冷たい言葉の理由は、霊夢自身わからない。

「あんたも、新しい友達とかいるんでしょ? 早くそいつのところに……」
「……そんなもの、いないわ。幽々子や萃香、それに霊夢を除いたら、私に友達なんて作れるわけ無いでしょう……!」
「紫……」

 何か涙が溢れそうになったが、ぐっと堪えた。思えば、紫の顔はぐっしょりと雨に濡れてしまっているが、そのうちいくらかは涙なのかもしれない。
 紫は、拳を握り締めた。ガッツポーズをするようにその手を身体の前に構え、何かと戦うように言葉を紡いだ。

「私は、ゆかれいむを諦めない」
「……そんなこと言ったって、どうしようもないじゃない。幻想郷に否定されてるんでしょ?」
「ええ、その通り。私達のことなんて放っておいてくれたらよかったのにね。幻想郷に、世界に否定されてしまった。今こうなってしまったのは、私達のせいじゃない。世界が私達を否定してきたせい。すべては世界が悪い。霊夢もそう思わない?」

 強く語りかけてくる紫に、霊夢は思わず頷く。得られるはずの無かった、貰えるはずの無かった共感に、溜め込んできたものが、流れ出していく。

「思うわよ! ぜんぶ世界のせいだわ! 私達は何も悪くない……!!」
「そうね。だから……」
「だから?」
「復讐しましょう。私達ならそれができる」
「乗った」

 博麗の巫女と境界の妖怪、二人の守護者は手を組み、諸々の腹いせに大結界を破壊した。ボッコボコに破壊した。歯向かってきた連中はみな返り討ちにした。友情パワーで歯向かってきた連中は念入りに返り討ちにした。
 すべてを破壊し終えた二人は、満足げな表情でいつかのちゅっちゅの続きを始めた。こうして幻想郷は滅亡した。
 
 
 



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