かつて忘年会にて、ほろ酔い気分の博麗霊夢は言った。

「もし、来年の元日にお賽銭が千円(現在の貨幣価値でおおよそ一千万円弱)集まったら、みんなの『お願い』一つずつ聞いてあげるわぁ」

 彼女は、幻想郷の人妖の執念と、自分の人気を甘く見ていた。
 多くの者達の努力と才能の無駄遣いによりその額が本当に集まっちゃって、二重の意味で開いた口が塞がらない博麗霊夢と、いやぁ新年早々良い仕事したなぁと爽やかな汗を流す面々とが、一月一日の夜に集まり、今まさに約束は果たされようとしている。
 このお話は、そんなところから始まる。




    霊夢が何でもお願いをきいてくれるようです 〜ねえ霊夢、○いて〜




 ──とはいえ。
 彼女らは霊夢をいじりたくはあってもいじめたいわけではない。あまり度を過ぎた真似をすると、保護者役なのか旦那役なのかもはやわからない八雲紫(出資額六百円・筆頭株主)が牙をむいてくることも知っていた。
 あくまで健全で、度を越えない、しかし面白みのあるいじり方をする──それは思考を縛るには少々曖昧すぎる条件で、逆に何をしたらいいのかわからないという者が大半だった。




 ○萃香のお願い

 そんな中、先陣を切ったのは伊吹萃香だった。彼女は霊夢に蜜柑を差し出しながら、
「『剥いて』」
「え? ……それってもしかして命令?」
「うん」
「そんなんでいいの?」
「うだうだ悩むのもめんどくさいからねぇ」

 蜜柑に何か仕掛けられてやいないかと用心していた霊夢だったが、果たして普通の蜜柑だった。
 何事もなく皮を剥き終え、「はい」「どうもー」と言葉を交わして、それで萃香の『お願い』は終わってしまったのだが──。




 ○輝夜のお願い&妹紅のお願い

 蓬莱山輝夜がもそもそと霊夢の元にやって来て、にこりと笑う。
「それじゃあ私のお願いね。『さいて』」
 輝夜のこの一言に、皆は「ほう」「うん」「なるほど」と思い思いに返す。誰もが『○いて』の文字をイメージしていた。言わばお題として、○の中に何かを入れるという形式はどうかと輝夜は提案したのだ。反対意見は無かった。

「さいて、ってどういう意味? 頭咲いてるとでも言いたいの?」
「それでもいいんだけどね。私が言ってるのは、引き裂く、って意味の『さく』」
「何を引き裂くの?」
「アレ」

 アレと言われて指差された藤原妹紅は、自分のお願いを考えていたのか、上の空だったようで、ひどく鈍い反応をしていた。
 しかし状況を理解するや、ゆらり立ち上がって「か〜ぐ〜や〜」と、のっしのっし近づいてきて。

「お前ってばほんとに、私にちょっかい出すのが好きね。他にやること無いの?」
「あら、どうせロクなお願いも思いつけなさそうなあなたに、せっかく晴れ舞台をプレゼントしてあげてるというのに。酷いこと言うのね」
「ふん、お願いくらいもう考えついてるよ」
「そうなの? それじゃあ余計なお世話だったかしら。てっきり、苦し紛れにもんぺの替えを持ってきて『履いて』なんて言い出すんじゃないかと思ってたわ」
「えっ……」

 生涯の好敵手に向けていた妹紅の目から、一瞬にして強さが抜けた。
「おいおい輝夜、さすがにそりゃ妹紅を舐めすぎってもんだろう」
 霧雨魔理沙の一言に、妹紅は「え……?」と弱々しげな呟きを漏らした。
「この場合ペアルックと言うより、もんぺを履くこと自体をネタにしている自虐の一種なのかしらね?」
 アリス・マーガトロイドの相槌に、妹紅は迷子の子猫の目で辺りをキョロキョロ見回した。
「もう考えついてるって言うし、次は妹紅でいいわよね。さ、どんなお願いするの?」
 輝夜の、悪意溢れる満面の笑みに、妹紅の膝は地に着いた。肩を叩かれて顔を向けると、歴史喰いの友人が生暖かい笑みをくれていた。




 ○早苗のお願い

 チャンス、と東風谷早苗は思った。
 このグダグダな空気。ぶっちゃけ気の利いたお願いなんて考えていない自分には、この流れに乗る以外に生きる道は無い! 後々に回されては必然的に期待も高くなる──このグダグダにあやかるしかないと、天界との通信教育で鍛えた早苗の空気読み術が主張してやまないのだ。ネタは無いが、この機会を逃すな!

「霊夢さんっ」
「ん、次は早苗なの? あんたは何?」
「えっと……そ、そう、『ういて』ください!」

 ──と、機を焦って先走りすぎたことに気づいたのは、お願い事を適当に口にした後のことである。
 飛べるのが当たり前のこの面子で、「浮いて」はさすがに無い。外の世界で言うなら「歩いて」と言ったようなものである。

「『ういて』? 意味がよく……」

 案の定、霊夢は疑問顔で真意を尋ねようとするが、そこに、輝夜に付いて霊夢の傍まで来ていた因幡てゐが、なにやらぼそぼそ耳打ちをした。「え、そうなの?」と霊夢の驚きを含んだ声。いったいどんなことを耳打ちしたのか問いたかったが、てゐが早苗に飛ばしたウインクが、そのタイミングを絶妙に奪い去った。

「……えっと、あんた、私に『ういて』ほしいのね?」
「え、あ……えと……はい」
「うーん、まあ、そりゃ、別にそのくらいいいけど」

 しかし、やっばいやっちゃったやっちゃったどうしよう、と混乱する心は、その最悪の発言に対するフォローすら満足にできないのである。怪訝そうな顔で見てくる霊夢に縮こまった返事を、ほぼ自動的に返してしまうのだった。
 霊夢はまだ何か納得しきれないでいるようだったが、ゆっくり立ち上がると、早苗の元まで歩いて腰を下ろした。そうしてその場で、早苗のお願い『ういて』を実践した。


 なでなで。なでなで。なでなで。なでなで。


 何が行われたのか?
 擬音の通りである。霊夢は早苗の頭をひたすらに優しく撫でまくった。早苗はというと、硬直して撫でられる役に甘んじている。

「えっと……霊夢さん、何を?」
「何って……『愛いて』ってあんたが言ったんじゃない」
「可愛いって意味で『愛い』って言葉があるのは知ってたけど、それと似たような感じなの? 可愛がるって意味で『愛いる』なんて言葉があるのね。知らなかったわ」
「それが、あるんだウサねぇ……」

 うんうんと、したり顔で頷くてゐ。
 もちろんそんな言葉は無い。つまりこれは、霊夢に嘘を教えて危機を脱した格好。この状況に早苗は──。

「そ、そう、あるんですよ、そういう言葉。いやぁ霊夢さんのなでなで、あったかくて気持ちいいなー」
「……うー、そういうことあんまり言わないで黙って撫でられてなさい」

 当然ながら、全力で乗っかることにしたのだった。
 何故か撫でている方の霊夢も可愛い感じだしで、東風谷早苗大成功(結果オーライ)である。




 ○魔理沙のお願い

「……けっ」

 そんなさなれいみんぐを見て悪態をつくのは、霧雨魔理沙。
 恋慕的な意味ではアリス・マーガトロイドに振れているとはいえ、幼馴染として、霊夢が誰かといちゃついているとなんとなしにもやっとする。ほぼ反射的に、「私が一番うまく霊夢を扱えるんだ。一番、一番うまく扱えるんだ……」と盛大な自爆をかましそうになってしまう。この台詞は八雲紫との戦争フラグ及びアリス・マーガトロイドからの粛正フラグである。
 しかし、そもそも今回は『お願い』という正式な手順を踏んでいるがため、もう五分近くも続いているあのなでなで(いつのまにか早苗も霊夢を撫でてる!)に何かを言うことはできない。そもそも八雲紫が何も言っていない以上、自分に何か言う権利は無かろうと思うくらいはできた。思うくらいはできたが、もやもやは積もった。
 ようするに、そのあたりのイライラが魔理沙の『お願い』に凝縮したのである。

「『抱いて』」

 目をぱちくりさせる霊夢に、「抱いて」魔理沙は繰り返した。

「や……ちょ、何言って」
「なんだ、してくれないのか? だったら私からやるぜ」
「わふっ」

 抱き霊夢──
 背が低い魔理沙は、霊夢を座らせたままで自分は立ち膝の体勢になった。両腕を腋に通して掴んでやると、「ひゃっ」と霊夢は震え上がる。自分の胸に彼女の顔を抱き寄せてやると、甘ったるい髪の毛の匂いが鼻をつく。魔理沙はそのまま霊夢の髪に顔をうずめた。霊夢はもぞもぞ抵抗していたが、やがて動かなくなり、控えめに魔理沙の背に腕を回した。

 魔理沙が感じている懐かしさを、あるいは霊夢も感じているのだろうか。
 昔はよく、こうやって霊夢のことを肌で感じていたものだ。しかし時が経ち、幼さから脱却していくにつれてだんだんと減り、霊夢は紫、魔理沙はアリスという相手を見つけてからは、あくまで幼馴染、良い友達としての付き合いを続けてきた。

 たまにはこういうのも悪くないよな──魔理沙は思いながら、突き刺さってくる紫とアリスの視線に、三分ほど努めて無視で対処し続けた。




 ○アリスのお願い

「別に全員参加ってわけじゃないし、私はいいかなって思ってたんだけど」

 「え、全員参加じゃなかったんですか?」と驚いている早苗を尻目に、アリスは立ち上がった。『抱いて』の命令が終了したその後も霊夢の隣に居座っている魔理沙を見やり、満面の笑みを作る。

「そうね、せっかくだし、『聞いて』もらおうかしら。魔理沙のこと」
「私のこと?」
「たいしたことじゃないわよ。たとえば耳掃除するときは目をぎゅっとつむって私の服を掴んでたり」
「おいアリス。なんだかわからないが冷静になってくれたほうがきっと私は非常に嬉しい」
「冷え性だから身体が冷たくなっちゃうって言ってきたのはいつだったかしら。湯たんぽじゃやだって言うから、しょうがないから私が」
「アリス、待て、アリス」
「そうそう、どこぞの巫女じゃないけど、腋が弱いのよね。布団の中でいじってやったら飛び上がったり」
「アリス、おちついて」
「意外と体重とか体型とかも気にしてるのよね。お風呂に入った後は鏡の前で胸をぺたぺたして溜息ついて」
「あの、アリス、その、ごめ」
「風邪をひいた時は、『寒い……寒い……アリス、あっためて……』なんて」
「さっきのはごめんなさい調子乗りました出来心だったんです許して」
「許さない」




 ○咲夜のお願い

 誰もが聞きながら誰もがスルーする惚気話をBGMに、咲夜は、まぁ変なことを頼むもんじゃないなと事なかれ主義に走ろうとしていた。
 さて何をお願いしようかと考えているうち、ふと、夜が更け、少し寒くなってきていることに気づいた。お気に入りのマフラーは、酒を飲んで温まる体には必要なかろうと、ついさっき脱いでどこかに置いた──軽く場を見回して、それが霊夢のすぐ傍にあることに気づいた。

「あー、霊夢」
「ん?」
「私からの命令。そのマフラー、『巻いて』」
「これ? 巻けばいいの?」

 言って霊夢は、咲夜のマフラーに手を伸ばし。
 ぐるんぐるんと、自分の首に巻きつける。「ちょうど冷えてきてたのよねぇ、ありがとー」と笑顔。

 あれ? 違わね?

 一拍置いて気づいた咲夜は、のっしのっしと霊夢に近寄り。
 霊夢の眼前に仁王立ち、びっと指を突きつけた。

「いや違うわよ、私の首にそれを巻いてってこと」
「え、そうなの?」
「そりゃそうじゃない」
「もう、それならそうと言ってよね」

 霊夢はのそりと立ち上がる。咲夜よりもやや低い背丈。
 そのままマフラーの片端を手で掴み取る。ぐるりぐるりと一度二度首の周りを回すと、霊夢の首に残る半分ほどを差し引いた、半分程度の長さが霊夢の手に確保された。霊夢は咲夜に近づき、顔を寄せて、確保した分を咲夜の首に回した。

 そう、これでいいのよ、と咲夜は頷いた。
 頷いて、ふとレミリアの顔を見て、非常に微妙な表情をしているのに気づいて。
 周りからも、「おお……」「伝説の二人一マフラー……」「咲霊! まさかの咲霊じゃないか!」「これだから天然どもは……」などと言われるに当たって、自分達の状況に気づいた。

「……なんで私達、二人で一つのマフラー使ってるの?」
「……あんたの首にこのマフラーを巻けって、咲夜がそうしろって言ったんじゃない」

 言ってない。言ったけど言ってない。この天然め。
 そしてよく見ると霊夢の顔は少し赤みを帯びている。こいつ、照れている。片側が照れてしまうと、マフラーを通じたわけでもないだろうに、その照れが伝染してしまうのだ。どうしよう。なんだこれ恥ずかしいカップルじゃないんだから。でもいちおう自分からやれって言った手前、マフラー外しにくい。かと言って霊夢の方から外すこともできない。

 ──と。
 かしゃん、杯が落ちる音が響き渡った。その音の主はレミリア。
 この状況を脱する機会をくれた──思って主の元に馳せ参じようとした咲夜だったが、「あーんこぼしちゃった、霊夢『拭いて』」の一言にその動きは止まる。レミリアは「そんなに霊夢がいいのね咲夜の馬鹿」とでも言いたげに、ぷいと顔を背けた。

「ごふっ」

 咲夜は吐血した。








 ○紫のお願い

 皆が騒ぎ騒いで、そろそろ宴もたけなわ。
 霊夢へのお願いも、殆どの者が終えて。ぽつりぽつり、ある者は誰かの肩を借りて家路につき、ある者は神社の一室を借りて横になり、またある者は誰かの膝を借りて眠りにつき……。

 霊夢もまた、八雲紫の膝を借りて寝転がっていた。その代わりとでも言うように、紫の指は霊夢の髪をゆっくりと梳いている。霊夢はされるがまま。眼をつむって、「疲れたぁ」と呟いた。

「ふふ、まあいいじゃない。これだけお金があれば向こう数年は安泰でしょう?」
「まあそうだけどね。それにしたっていろいろ疲れたわ……だいたい、あんたがあんなにたくさんお金集めなければ……」
「だって、私も霊夢にお願いしてみたかったんですもの。少しくらいのお金なら惜しくないわ」
「……そういえば、あんたのお願い、まだ聞いてないけど」

 嫌なことを思い出した、と嫌そうな顔で霊夢は言う。
 紫はにこりと笑んで、「聞きたいの?」と。
 霊夢は持ち前の勘で何かを感じ取ったのか、頬を赤くして、首を左右に動かして、「いいわよ別に」と。
 だから紫はくすくす笑って、霊夢の耳元に唇を寄せた。

「早苗とか魔理沙とか咲夜とか、いろいろ変な関係ができそうになってたけど……これからも変わらず、私だけの霊夢でいて?」

 霊夢は答えず、寝返りを打って、紫の太股に顔をうずめた。
 紫は黙って、また霊夢の髪を梳く。
 黒い髪の隙間から、真っ赤に染まった耳が顔を覗かせていた。













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