「ごめんなさい紫。私、年下が好きなの。下はママのお腹の中から、上は自力で歩くくらいまでがストライクゾーンなの」

 こうして八雲紫の恋は破れた。完膚なきまでに、ちぎっては投げちぎっては投げされた。
 しかし悪いこととは続くものである。口から魂を吐き出し放心する紫に、霊夢は邪気の無い笑みで告げたのだ。

「あんたみたいな年増は興味ないのよねぇ。肉体年齢的には若そうだしもっと若くもできるんだろうけどさぁ」

 足元が崩れ落ちるようだった。いや実際に崩れ落ちていた。紫は無意識のうちに足元に隙間を開いて、ここではないどこかへ逃げていた。
 お花畑だった。見渡す限りに咲き誇る花達に、紫は「わぁい」と飛び込んだ。「ひゃっほう」ごろごろごろごろ転がった。すると身体が宙に浮いていた。崖から転がり落ちていた。「へぶしっ」そのまま背中から地面に落ちた。このくらい妖怪の身体にはどうってことないけれど、肺から空気が押し出されるみたいで、少し咳き込んだ。
 青空が見えた。空の青と雲の白が見えた。雲の輪郭がじわじわにじんでいった。

 霊夢は、酷いことを言った。本当に酷いことを言った。断る理由がそんなんじゃあ、紫は何も言えやしなかった。
 なぜなら、紫もまた年下趣味だった。十代の少女が好みだった。それ以上の輩はNO THANK YOU!だった。
 そんな紫だからこそ、あんな断り方をされちゃあ何も言えないのだ。

「ひぐぅ、えぐっ……でもいくらなんでも一言多いわよ……年増って……うう、あうぅ……私には、十代の少女と結ばれる資格は無いというの……?」

 にじむ視界の中で、雲がだんだんと形を変えていくように思えた。もにょもにょもにょもにょ形を変えて、『復讐』という文字を形作った。その傍らに笑顔の雲親父のサムズアップが見えた気がしたが、すぐに消えてしまった。

「復讐……? そんな、好きな人に復讐なんて……」

 いやんいやんと紫が首を振っていると、それまで真っ白だった雲が、急に黒みを帯びてきた。ゴロゴロゴロゴロ轟音が鳴り響き、ピシャーン!と雷が落ちた。その稲妻は空気を読んだのか、器用にも『復讐』の形をしていた。雲親父の悲鳴が聞こえた気がした。

「復、讐……」

 急に、その響きがとても甘美なものに思えた。恋焦がれるような復讐が見たいわ、と誰かが言った気がした。どうでもよかった。
 復讐。そうだ。どうせ手に入らぬ相手。苦しませてしまって何が悪い。

「く、くくく……見ていなさい、霊夢……乙女の純情を傷つけた報いを受けさせてあげるわ……」

 コ ノ ウ ラ ミ

 ハ ラ サ デ オ ク ベ キ カ




  ◆  ◆  ◆




 ──翌日。
 自身の身体に起こった異常に、しかし博麗霊夢は冷静だった。「ふむ」と呟いて、ひとまず自分の胸を撫でた。

 ふにょん、と柔らかさが返ってきた。昨日までの自分ではありえないことである。
 いやそれどころではない。胸を掌が包むのではなく、掌が胸に飲み込まれつつある。
 巨乳、だった。
 年下好きを自認し、その一環として自らの体型にも気を配っていた霊夢としては、吐き気がする程度には嘆かわしいことだ。
 寝床から立ち上がってみると、視界に違和感。手足の長さにも違和感。これはやはり。

「私、成長している……?」
「ふふふ、そうよ霊夢……あいたっ、ちょっ、いきなり殴るのやめて、いややっぱりやめないで……いたいいたいやめてー」

 ノリノリで登場した八雲紫に馬乗りになってガッシ! ボカ! と殴りつけてみると、スラリと長くなった手足も意外と悪くないかもなんて思ったがやっぱりそんなことはない。ちらりと鏡を見てみると、これでは二十代前半か、ひいき目に見ても十代後半の自分がそこにいた。この状態で少女を自称してしまっては、もれなく(笑)が語尾についてくるだろう。

「あなただけじゃない、今頃は咲夜や早苗、それに魔理沙も……くくく、魔法少女なんてリリカルな自称ができたのも昨日までのことよ」
「やっぱりあんたの仕業だったのね……具体的には何をしたの? それにどうしてこんなことを? 私にフラれたから?」
「何をしたって? 別に何もしていませんわ……そう、強いて言うなら、『何かすることをやめた』といったところでしょうか」
「あ、やっぱり私にフラれたからなんだ。小さい女」
「う、うううるさいうゆさいうゆさーいっ!! そんな小さい女呼ばわりするなら、小さい子好きの霊夢としては当然私を好きになってくれるんでしょうね!?」

 ──実際のところ。
 紫の幼女体型(←違和感を覚える方もいるかもしれないが、八雲紫が幼女体型であることは二〇〇八年の春に確認されている、らしい)に関して、霊夢としてはまったく文句無い。が、それは能力による肉体操作のたまもの。それとは別の次元で、純然たる事実として、八雲紫は年増──いや、霊夢にとって老女であった。それを受け入れることは、

「無理」
「うわああああああああああああああああん無理って言ったああああああああああ」
「うゆさい黙れさっさと説明しなさい」

 言いながら、しかし霊夢にも危機感が生まれている。
 このおっぱいを! 忌むべき脂肪を早く取り払ってもらわなくては、自己嫌悪がマッハで自我崩壊してしまう!
 紫の服の襟を掴んで前後に力強く揺らしてやる。「あああああああああ」あぁんあぁんあぁんと反響する紫の声──それが「くけ」ピタリと止んだ。

 狂気。
 紫はグリン!と頭を回転させ、霊夢と互いの息を感じる距離にまで迫った。その壊れた笑みに背筋を冷たくしながら、霊夢はなんとか退くことだけは堪える。

「現実を見ろ、ということよ」
「……なに?」
「ある時、悪霊があなたの前に立ちはだかったことがあったわね」
「……悪霊って、もしかして魅魔のこと?」
「大量の化け物の巣を求めて、幽香と渡り合ったのはその翌年だったかしら?」
「……ん、まあそうだったっけ?」

 紫はへらへら笑いながら、右手の親指をゆっくりと折った。

「そのまた翌年だったかしらね、あなたが魔界に行ったのと、吸血鬼の起こした異変を解決したのは」
「そうだった気がするけど……だからなに?」

 紫はわざとらしく考え込む素振りをしながら、右手の人差し指をゆっくりと折った。

「そうそう、そのさらに次の年だったわね。あなたと私が初めて勝負をしたのは。一緒に宇宙人の元に行ったのもいい思い出だわ」
「ねえ、なに? なにが言いたいの?」

 紫は懐かしげに、右手の中指をゆっくりと折った。

「その次の年には六十年ぶりに花が咲き誇ったのよね。閻魔様に会わなくてよかったわぁ」
「……まさか」

 紫は霊夢の反応を楽しむようにして、右手の薬指をゆっくりと折った。

「山に神が来たのと、あなたたちが月に行ったのは……その二年後だったかしらぁ?」
「あ、あああ、ああああああああ」

 耳をふさぐ霊夢を尻目に、紫は右手の小指と、左手の親指をゆっくりと折る。

「おっと、まだ先があるのよ霊夢。神社が壊れ、地下に潜ったのはその翌年!」
「いやああああああああああああ!!」

 あっははははははと笑い声を交える紫、悲鳴をあげる霊夢。
 阿鼻叫喚となった神社。紫は左手の人差し指をゆっくりと折り。

「宝船を追い、非想天則に騒いだのが今年……!」

 さらに左手の中指を折ると。
 これまでに折った八本の指をばっと開き──。

「ねえ霊夢。種明かしをするとね。この幻想郷に流れる時間には、ちょっとした特殊効果があったのよ。
 幻想時空と書いてサザ○さん時空と読むそれは、少女を永久に少女とするために私が大結界に混ぜ込んだ時空効果。
 少女の少女による少女のための時空──これによって、あなたたちはこれまでもこれからも、何一つの疑問なく少女でいられるはずだった。
 でも、もうそれも終わり。急に自分の年齢が疑問に思えてきたでしょう? 自分の歩んできた年月を意識するようになってしまったでしょう?
 サザ○さん時空を解除して考えてみたら、少女趣味の私には、あなたは本来もう初老と言っていい年頃でしたわ。少女ギリギリ……いえ、少女(笑)とでも言うべきかしら」

 歯の根が合わない。震えがおさえられない。
 足にも指にも力が入らなくて、紫からも手を離してしまって、床にへたれこむ。

「だって、悪霊が暴れた当時のあなたが十二歳だったとすると、今のあなたはにじゅ」

 霊夢は引きこもった。




  ◆  ◆  ◆




 これでよかったのだろうかと、八雲紫は時折考える。
 復讐は成った。だというのに気は晴れず、むしろ引きこもった霊夢の世話を焼いている自分がいる。
 つまるところ、好きで好きで仕方なかったのだ。今ならわかる。少女だからではない、霊夢だから好きだったのだ。あんな仕打ちを受けた後でも、結局それは変わらなかった。これでよかったわけがなかったのだ。当時はついカッとなってやってしまったが、今は反省している。反省しきっている。霊夢がわんわん泣いて引きこもった直後には、紫は再びサザ○さん時空を再現すべく結界に細工を施していた。
 しかし不幸なことに、再びサザ○さん時空を造り出すには早くとも数ヶ月が必要ということが判明していた。結界の過去の状態を保存するシステムを設置するのを忘れていたため、一から作業する必要に駆られたのだ。ログやバックアップの保存はとても大切である。

 霊夢が引きこもって実に一ヶ月。少女(笑)となってしまった自分を見られまいとして、霊夢が神社に張った結界の数は、億か兆かそれとも京か──しかしたとえそれが那由他の彼方であろうと、紫にとっては心情的にも技術的にも、霊夢に逢いに行くには十分に過ぎた。
 もっとも、霊夢は自己嫌悪からか、顔を見せてはくれない。隙間経由で届ける食事はちゃんと食べてくれているようだから、生きてはいるのだろう。

 紫は今日も、たっぷりと愛情を混ぜ込んだ手料理を霊夢の元に届けるべく、神社へと隙間を開いていた。

「霊夢、大丈夫だからね、もうちょっとだからね。風邪ひかないようにあったかくして、お願いだからご飯だけはちゃんと食べてね……」

 これに「うゆさーい!! もう私のことはほっといてよクソババァー!!」と隙間越しに腕を引っ叩かれるのが常である。もうまるっきりアレな子供とアレな親の構図がここ最近続いていた。



 ──が、今日は違った。
 食事をのせたお盆を持って隙間に差し入れた手には、霊夢に叩かれる痛みが返ってこない。「年下!」と何か妙な叫びが聞こえた気がして、それを紫が訝しがっているうちに、恐ろしいほど強い力で手を掴まれた。

「……紫、ごめんなさい」
「え?」

 よく聞こえない。
 隙間越しであれその声が聞き取れないはずは無い。耳が聞いても頭が聞き取ってくれないのだ。
 そんな言葉が、出るはずが無いから。
 けれど霊夢は、手を離さずに。

「私が間違ってた。年増なんて言ってごめん。年下趣味なんて生意気なこと言ってごめん」
「そんな、生意気だなんて……」
「ねえ、紫」
「うん?」
「もしよければ、もしよければなんだけど」

 熱が、伝わってくる。全てが伝わってくる。
 手だけを繋いだ隙間越しのやり取り。まだ、霊夢の顔は見ていない。見ていないけれど、きっと真っ赤になってる。わかる。顔が見たい。顔が見たいけれど、これまでこうやって手を差し入れる以外をすると、霊夢は烈火のごとく怒ってきたから。でも今なら大丈夫かもしれない。いや、きっとだめだ。ずっと引きこもって汚い顔だからと見られたくないに違いない。
 全てが伝わってくる。霊夢が次に何を言おうとしているのかすらも。わからないことといえば、どうしていきなりこうなったかということだけ──けれど、そんなことはどうでもよかった。目の前にただ、こうなったという事実があるのだから。
 紫は、自分の掌を包む霊夢の手を、強く強く握って、ぽろぽろ涙を零した。

「あの時の紫の告白への返事、もう一回、やり直させてもらっていいかな?」




  ◆  ◆  ◆




 暗い昏い部屋の中で、霊夢はひとり、何かを見ていた。
 それは夢だったのかもしれない。少女時代の自分。失われてしまったもの。
 夢の中で、霊夢は、女の子だった。自力で立ち上がれもしないくらいの年齢だった。
 自分のストライクゾーンの中にいる自分を、年下の子は可愛いなぁと、霊夢は第三者視点から見つめていた。
 いつもいつも、その夢を見ていた。たまに起こしに来る紫が鬱陶しくて仕方なかった。


 ふと、日を経るごとにその自分がだんだんと若返っていくことに気づいた。
 自力で立ち上がろうとする熟女。
 素早い動きでハイハイをする適齢期。
 離乳食を食べ始めた若き頃。
 目が見えるようになってきた幼き頃。
 そして、その先へ。


 オギャアオギャアと泣くよりもさらに前。
 命として芽吹くよりもさらに前。
 年下好きとして更なる高みへいけると、霊夢は思った。
 ママのお腹の中の先。年下、年下、更なる年下。
 小さな光が見えた。光の中に、『それ』は見えた。年下の極致。だんだんと大きくなる光は、『それ』が自ら発しているようだった。『それ』は──


 『それ』は、老女だった。


 ああ、老女だ。
 霊夢の主観に照らし合わせて、ではない。ごくごく一般的な目で見ても、既に隠居したであろう老女が。
 前世。
 年下を求め、時を遡り続けた先には、それがあった。
 それまでの価値観が全て壊されるようであった。なぜだ。たどり着く先はここだというのか? いや冷静になるんだ、ここから遡ればまたあの小さくふにふにした肉体に……違う! それではまたいずれ老女に帰ってきてしまう!
 わからなかった。何が答えなのか? 何が正しいのか?


 幼女は老女にして、老女は幼女。すべては繋がって一つの大きな形を成している。
 『年下』の行き着く先は、若さには無かった。
 しかし若さに本質がないのなら、そもそも『年下』とは、何なのか……?


 苦悩した。ひたすらに悩みぬいた。目の前の老女はそれ以上幼くなることもなく、新たな幼女が現れるでもなく、ただ老女のままだった。
 そして二週間後、霊夢は──。


 すべてをありのままに受け入れた。
 幼女の先には老女がいて、幼女の先にはまた老女がいる。それでいいと思った。
 実際もう何がなんだかよくわからなくなっていた。考えているうちにいつのまにか、年下、年下、年下、と呟いていた。「年下、年下、年下、年下……年、下?」と老女を指差した。「………………年…………下…………」と老女に首を傾げながら考え続けた。「年下、年下、年下、年下、年下、」ともうなんかどうでもよくなってとりあえず詠唱していた。「年下、年下……年下! 年下!! 年下!!!」と気がついたら老女を指差してキャイキャイ連呼していた。年下がゲシュタルト崩壊したこの頃には、あれ、なんか老女も意外と悪くなくね?と思えていた。
 もはや霊夢のストライクゾーンは、下は枯れ木のような老女から、上は瑞々しさの塊たる幼女であった。わけがわからなかった。わけがわからなかったが、反省も後悔もしなかった。得体の知れない満足感があった。


 しかし、悟りに至った霊夢にも、問題はあった。
 この老女のさらに年下には幼女がいて、そのさらに年下にはまた老女がいる。無限ループって怖くね? つまりどこかで妥協しなくてはならない。しかし妥協などプライドが許さない。

 二律背反に悩まされている霊夢の目の前で、光がはじけた。
 現実に戻ってきたのだと気づかせたのは、すぐそこに開いている隙間と、そこから差し出される食事という非現実的な光景──ではなく。
 食事を持っている、八雲紫の手であった。

「おお、おおお……」

 彼女こそは、老女にして幼女。幼女にして老女。

「年下!!!!」

 霊夢は持てるすべての力を以ってその手を掴み取り、しおらしい声を作った。

 こうして、年下好きという道を歩いた一人の巫女は、この世の真理(ゆかれいむ)に到達した。



 <了>
 
 
 






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