「ゆかれいむは病気です」

 深呼吸一つの間で覚悟を決めて、八意永琳はその言葉を発した。
 人里の中心に集められた聴衆。永琳の視界を、四方を埋め尽くす彼ら彼女らは、無理を言って集めた幻想郷の住人ほぼすべて。ゆかれいむシンドローム(八意永琳命名。原因不明の病)の患者達──ゆかれいむに憧れ、愛で、思考力のすべてをそれに捧げる敬虔なる信徒達──と言い換えることもできる。八意永琳はその中心に、大地から数メートルほど浮き上がって在った。
 圧倒的アウェー。これほどまでに勝算の薄い戦いは、億単位の年月を生きている八意永琳にして、初めてのことであった。

「病気なんです」

 繰り返してやると、呆気に取られていた患者達にやっと反応が現れ始める。
 多くは当惑。そして反発。八意永琳の一言によって皆が夢から醒める──そんな奇跡のような光景は、当然ながら見られない。

「ゆかれいむを当然と思って疑わない。他のすべての可能性を投げ捨てることに、何の疑問も抱かない。おかしいことだと思いませんか!? この幻想郷には、もっともっと様々な可能性があったはず。いろいろな組み合わせがあったはず! ──ねえ、魔理沙」

 ざわめきが広がって大きくなる前にと、すぐ近くの地面で聞いていた白黒の魔法使いに声をかける。
 呼ばれた霧雨魔理沙は、「何言ってんだコイツ?」とでも思っているのだろう、心底不思議なものを見るような視線を返してくる。

「忘れてしまったの? 自分と霊夢の組み合わせを──幻想郷の始祖たる、レイマリを」
「何言ってんだお前? 霊夢の相手は紫以外にありえないぜ」
「──アリス! アリス・マーガトロイド!」

 唇を噛むのは一瞬。魔理沙はもうダメだ。
 その魔理沙の傍らに立つ、冷静で思慮深い魔法使い。霧雨魔理沙はしょせん人間、流されやすい人間だ。それよりも抵抗力の高いと思われるアリスならあるいは。

「あなたなら憶えているはず! 幻想郷の清涼剤、レイアリ……関係の古さなら魔理沙に次ぐ、あなた達の……」
「……何の話をしているのかしら? 私と霊夢がなんて、そんなことあるわけないじゃない。霊夢の相手は八雲紫だけ。あんまりふざけたこと言ってると……」

 怒りのあまりか、アリスの傍らに浮かんでいた人形が、パァン!と爆発して弾け飛んだ。
 微かに舌打ちする永琳は、既にアリスのことを諦めている。ゆかれいむシンドローム『レベル・ファイブ(L5)』──他の組み合わせを認めないどころか、実力で排除しようとする兆候すら出ている。魔理沙のように手の施しようが無いという段階のさらに上、手を施そうとするほうが危険な状態だ。もはや放置するしかない。

「──早苗! 東風谷早苗! 同じ巫女のあなたなら……」

 自分を取り囲むように集う聴衆をぐるりと見渡し、緑色の巫女の姿を探し──そして見つけ、永琳はくずおれそうになった。
 哀れみの目だ。
 神を信じない者を、信じることができない者を、心の底から哀れむ目。

「……まだよ、まだ……」

 ──それでも、信じるもののために、この戦いをやめるわけにはいかない。
 俯いて、目を閉じて、心の中でそう唱えて。
 そして顔を上げた、永琳の視界にあったのは。



 ──目。

 目、目、目、目。

 哀れみの目。怒りの目。狂気の目。
 つまらないものを見るレミリア・スカーレットの目。レイレミは潰された。
 どうでもよさげな十六夜咲夜の目。咲霊は失われた。
 シャッターを切ることすら忘れて無言の抗議をする文。霊文は夢と消えた。
 雲山が厳しげな面持ちを向けていた。……………………。
 向けられるすべての目が多種多様にゆかれいむを肯定し、多種多様に八意永琳を否定していた。

 言葉が出ない。どうすれば皆を説得できるのかわからない。
 そのうちに、興味を無くして一人がその場を去り。二人がその場を去り。そして誰もいなくなるまでには、数分とかからなかった。












「……もうだめだわ。幻想郷は滅亡する」

 研究室兼自室に閉じこもり、永琳は患者用のベッドに身体を投げ出して、独り呟いていた。
 完全なる敗北。もはやゆかれいむシンドロームを止める手立ては無い。
 幻想郷はゆかれいむに飲み込まれる。それは、永琳の理想が潰えることをも意味していた。
 はぁ、と溜息を一つ。すすけた天井しか映らない視界を静かに、ゆっくりと閉ざす。

 ──結局、自分の蒔いた種を刈り取ることすらできなかった。

 ゆかれいむシンドロームは、八意永琳の意地と好奇心によって生まれた。
 発端は一人の外来人であった。彼が竹林に迷い込み、里からの帰りであった永琳に偶然保護されたことから、すべては始まった。
 彼は、なにか精神の病気にかかっていたようだった。彼は、「蓮子」「メリー」「ちゅっちゅ」の三語をのみ話した。いくら調べても身体に異常は無かった。精神に入り込んですらみても常人と変わり無く、むしろ人よりも純粋──ピュアな精神だとすら思えた。
 ただ、言動のみがおかしい。病気の正体を、永琳は掴めなかった。彼が寝言で「ひっひっふー」とひたすら連呼しているのと、紙とペンを与えた時に稀に「秘封」との文字を書くことから、ひとまず『秘封病』と名づけた。永琳がその病気に対してできたことといえば、名をつけることだけだった。

 それは永琳にとって初めての敗北であった。永琳の闘志に火をつけるには十分であった。
 どんな形であれ、彼が正常でないというのは事実。となれば、外来人とはいえ、幻想郷の医療の最先端を担う永遠亭に、治療のため滞在させる──もとい、調査研究のため逃がさずにいる──ことには大義名分が生じる。
 たとえ誰かに見つかろうとそれで押し通そうと内心ほくそ笑み、永琳は彼を自身の研究スペースに閉じ込め、誰にも会わせることは無かった。

 しかし、数年の研究を経ても、わかったことは幾つもなかった。
 発見の一つは、外来人の間で性別等関係なく秘封病は伝染するということだった。これは殆ど偶然の産物である。彼と同じように竹林に迷い込み、同じように永遠亭に保護された外来人──こちらは、女性であった──に、何か参考になることでもあればと、隔離している彼の様子をガラス越しに見せたのだ。
 結論を言うと、彼女から得られた情報は二つであった。外の、ごくごく一般人である彼女は、秘封病の存在など聞いたことも無いということ。そしてもう一つは、翌朝には彼女も「蓮子」「メリー」「ちゅっちゅ」以外の言葉を必要としなくなったという、ただの事実だった。

 八意永琳最大の失態は、完全に隔離したはずの彼から、彼女へと病が伝染するとは予想していなかった、その一事に尽きる。
 結果として彼女の隔離は遅れ、異常に気づいた時には、既にウサギが彼女に接触してしまっていた。

 外来人から幻想郷の住人へと宿主を移し──ここで、秘封病に変化が起きる。
 ウサギ達は、外来人二人に比べると、いくらかまともに会話が成立するようであった。秘封病は幻想郷の住人には効果が無いのだろうかと、首を傾げた。彼と接触した幻想郷の住人は自身のみ。抵抗力ではそんじょそこらの奴に負ける気は無いから、秘封病が幻想郷の住人に効果があるか、自身を以って調べることはできなかったが──。
 博麗霊夢と八雲紫のことを妙に口に出すのが気にはなったが、どうせ今さら収集はつかないというのもあり、永琳はウサギたちを拘束しなかった。秘封病が変異したゆかれいむシンドローム、その根源を、世に送り出してしまったのだ──。




 事態が深刻化したことに気づいてから走り回ったものの、すべては遅かった。
 秘封病は幻想郷に入ることでゆかれいむシンドロームへと変化する。不思議でも興味深いことでもあるはずだが、どうしようもなくなった今となっては、永琳にとってさしたる意味を持たない事実だった。

 今になって、思うことがある。
 彼は病気なのではなく──そもそも正気だったのではないか。
 正気のうちに狂気に身を委ね、何かを求めてただ邁進していたのではないだろうか。

 鈴仙・優曇華院・イナバという名の弟子がいる。
 彼女はいつしか、ゆかれいむが自身を生かしてくれていると信じるようになっていた。ゆかれいむへの信仰が自分を健やかにしてくれていると確信するようになっていた。
 自分の心の支えとなってくれているゆかれいむに、何かを返したい。その想いの先に彼女がたどり着いたのは、ゆかれいむへの『感謝』であった。今では一日一万発、感謝の「幻朧月睨(ルナティックレッドアイズ)」を放っては倒れて眠るという毎日である。狂気を操る彼女は、自身が狂気へ落ちることはない。つまり彼女は、正気のままで狂気の行いをしているのだ。
 それを成しているのは、信仰と、信頼。
 自分にもそのくらいのものがあれば、あるいは違ったのだろうか。潰えた夢に、永琳は想いを馳せる。

「かぐれいむが浸透することは、もう無いのね……」

 かぐれいむ。蓬莱山輝夜×博麗霊夢。
 天真爛漫で、永遠に飽いていてあらゆるものに興味を持つ箱入りお姫様と、あらゆるものに本質的に興味を持たない箱入り巫女。
 黒髪同士が映えるこの組み合わせ。かつて永夜で相対した二人を見て「いける!」と拳を握り締めたのが、遠い過去に思える。
 霊夢を巡る組み合わせが戦国時代の様相を呈していたあの頃。
 群雄割拠の隙を突いて、かぐれいむで一旗起こしてやろうと野望を持っていた、あの頃。
 すべては遠き日の夢。ゆかれいむという大国が、いつのまにかすべてを支配していた。もはやどうにもならないのだ。

「だいたい、八雲紫なんて、あんな小娘に……」

 永琳からしたら、紫もまだまだ若い──いや、幼い。子供と言ってしまってもいいくらいだ。少々月の民に突っかかってくることがあるが、それも含めて可愛いもの。
 八雲紫が博麗霊夢を子供のようにあしらう姿。博麗霊夢が八雲紫の前ではまるで子供のようになるその姿。
 患者達は「まるで親子のようだ」と、それらに悶え息を荒くするようだが、永琳からしたら、まだ十にも満たない子供が少し年下の妹の手を引っ張っているようなもの──。

「──あれ? こうして考えてみると、悪くないかしら?」

 十にも満たない子供が、年下の妹の手を引っ張って。
 紫と霊夢をそうやって見てみると、意外と悪くない、微笑ましい気分になる自分がいるような気がした。
 なるほど、ゆかれいむもなかなか良いも

「うわあああああああああああああああっ!!!!!!!????」

 ふとした気づきに、永琳は叫び声をあげた。頭をばりばりばりばりかきむしった。恐怖に身を震わせた。
 思考の片隅にさりげなく現れた、紫と霊夢の情景。それは恐ろしい速度で永琳の脳を侵食し、ほんの僅かな時間で自らの正義──かぐれいむを忘れさせ、「ゆかれいむもなかなか良いものじゃないか」との結論に落とし込もうとしていた。
 これは本当に自分の思考なのか? それとも、いや、まさか──。

「ついに私も、ゆかれいむシンドロームに……!?」












(以下、八意永琳の日記より抜粋)


 Jan 22, 2010

 朝起きたら、何も考えずにゆかれいむと呟いてしまった。
 ウサギ達が妙に静かなので、様子を見に行ったら数が全然足りない。
 神社でイチャイチャする紫と霊夢が三日ぶりに見られたというくらいで逃げるなんて。
 輝夜に見つかったら大変だ……と思ったら輝夜も神社に見に行っていた。




 Jan 24, 2010

 昨日、ゆかれいむ以外を思いうかべてしま、たウサギが一匹、洗脳された、て はなしだ。
 夜、からだ中 あついゆかい。
 かぐれいむもう想で 胸かきむしたら 偽乳がくさり落ちた。
 いったいわたし どうな て




 Jan 25, 2010

 やと ねつ ひいた も とてもゆかれ
 今日 おなかすいたの、 ゆ か ぐれ のモウソウ する




 9

 かぐれ

 いむ




 Feb 1, 2010

 昨日ゆかれいむを受け入れてからすっかり体調も良くなった。
 さらに職場で気になっていたお姫様から今晩デートに誘われた。
 弟子の独り立ちも決まったし、今最高の気分です。
 やっててよかったゆかれいむ
 
 






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