鳥目、鳥目。
 地面に大の字で倒れ伏して、月を眺めながら、ルーミアは口ずさむ。墜落したルーミアの、空から地へのその軌跡は、無残に折れ裂けた木々の枝だ。本来ならその隙間から、月の光が差し込んでくるのだろう。今は違う。そこから見えるのは、紅みがかった夜空だけだ。幻想郷を覆う紅い霧は、日光のみならず月の光をも遮断している。



 鳥目、鳥目。
 鳥目の巫女ときたら、少々力んでいたらしい。身体の痛みの具合を確かめながら、ルーミアは息をついた。
 スペルカード。加減することを前提にしたルール。楽しむことを第一にしたルール。だというのに、どうやらあの巫女は、少しバランスを崩していたように思える。
 たぶん、力を抑えることに必死だったのだと思う。慣れない戦い方だ。このルールの戦いは、巫女の心身に刻まれた、『退治』のやり方とは少し違う。ルーミアも、力を抑えて戦ったからいくらか不自然な動きだったかもしれないけれど。巫女のはそれ以上だ。勝手に『退治』に動こうとする手足を無理矢理に制御して、だけど負けるわけにはいかない。そんな状況で、加減も難しかったのだろう。それに、今は『夜』だ。巫女の時間だ。仕方ないかと呟いて、ルーミアは苦笑した。



 スペルカードルール。幻想郷という世界の、大きな変化。いちおう発案者は巫女ということになっている。不安もあるのだろう。今回の異変、ちゃんとみんなはこのルールに従ってくれるのか。従わないものが居たら居たで、彼女は彼女の実力で、そいつをねじふせるだろう。けれど、それは彼女の勝利ではない。従わない、賛同してくれないものが居た時点で、彼女にとっては敗北のはずだ。
 もしも道中、誰かに面白半分で『殺し合い』を挑まれたなら。彼女はほとんど泣きそうになりながら、今までと同じように、その妖怪を『退治』するのだろう。……本当にそうだろうか。今の彼女に、それができてしまうのだろうか。それとも今の──夜の彼女なら、やはりそれもできるように、傾いてしまうのだろうか。どちらにせよ、その時点で彼女たちの幻想は崩れる。ひどく、ひどく寂しくて、つまらないことだ。



 鳥目、鳥目。
 ルーミアの知っている彼女は、夜になると目が見えなくなる。視界が狭くなる。視野が狭くなる。
 夜の彼女には迷いがない。夜は、妖怪の時間。だから、妖怪退治の時間だ。それを見てればいい。それさえ見てればいい。夜の彼女はそうなる。他のものを見ようとしなくなる。鳥目になってしまう。

 昼の彼女は。今の、昼の彼女は、少し違う。昔はそうでもなかった。彼女は昼でも鳥目だった。太陽が出ているかなんて、彼女には関係なかった。妖を前にした、そのときが彼女の『夜』だった。夜になると、見えるものが極端に少なくなってしまう。それが彼女だったから、実のところ、スペルカードルールが創られるのにはそれなりの騒ぎがあった。なんせ妖の側から、妖怪が気力を失っている現状をなんとかしようということで、巫女に相談を持ちかけたのだから。
 戦う気もない、ただ相談に来ただけの連中を、妖怪と見るや退治してやると追っかけまわす様は、おおいに笑わせてもらった。それを遠くから見ていたら、仲間だと誤解されて理不尽に巻き添えをくらったのもいい思い出だ。



 ルーミアは、見ていた。弾幕決闘法が成立するまでの、数日の間。
 巫女との小難しい話し合いはお偉いさん方にまかせて、ただ見ていた。どうせやることなど何もないから、ずっと見ていた。巫女の癖なのか、縁側の戸は滅多に閉められることがなかったので、そこから見ていた。昼日中、暗がりに、暗闇に身を隠して、ずっと見ていた。
 彼女のことを。巫女のことを。博麗霊夢のことを。





 ●

 何度目だっただろうか。話し合いに来ただけだと主張する妖怪たちに、理解不能といった目を向ける霊夢。ひとりが土産だと言って渡した、高級な菓子と茶葉。霊夢は子供みたいに目を輝かせて、唾を飲み込んで、だけど力一杯に首を横に振る。毒じゃないかと疑っているのだ。
 渡した妖怪は毒見をしようと申し出るけれど、霊夢は変わらず首を振った。もしかしたら、妖怪に効果は無い、人間にだけ効く薬を混ぜ込んでいるのかもしれないと。

 ●

 神社に張られた、妖怪の力を減じる結界。その中でさらに、能力を封じる特性の札を何枚も貼られること。そうすれば信じてやるなんて言うくらいには、霊夢は妖たちのことを信じてなくて。早くぼろを出せ、すぐに退治してやる。そうやって意地の悪い笑みで語って。迷わず条件を呑んだ妖怪たちに、目をぱちくりさせて。やっぱり理解不能というように、どこかたじろいだ様子で、札を貼り付けて。

 ●

 妖怪たちは、酒やら食料やら勝手に持ち込んで、話し合いなんてどこへやら、昼だというのにバカ騒ぎだ。実際のところ、昼だから、だった。太陽が沈もうとするその前には、全員が神社を出るようにと霊夢は命令していた。
 騒ぐ妖怪たちに、話し合いはどうしたと、霊夢は額に青筋を浮かび上がらせていたけど。妖怪たちは何度叱られても懲りなかった。断られても断られても、何度も何度も、霊夢に酒や食い物を勧めた。霊夢はすべて突っ返した。

 ●

 夜になると、妖怪たちは、約束通りにいなくなった。神社は、それまでが嘘みたいに静かになった。
 霊夢の夕食は、ひとりきりだった。昼間の霊夢は、ひとりきりだったんだろうか。けっきょく妖怪に心を許したりはしなかったから、あの中でひとりだったといえば、そうだったのかもしれないけれど。
 霊夢は黙って箸を動かした。物を食べる以外に、口を動かす理由が無かった。
 薄暗い部屋の中。夜の霊夢の隣には、誰もいない。
 誰も。

 ●

 そんな日々が、しばらく続いた。
 弾幕決闘法の草案は早いうちにできていたみたいだったけれど、他でもない、霊夢がその案に頷かないようだった。
 理由を、霊夢は言わなかったらしい。ただ首を横に振るだけ。たとえばそれがまともな会合の中でなら、その時点で話し合いは進まなくなってしまったかもしれない。けれどそこは、どちらかというと楽しく騒ぐ場だった。たまに思い出したように真面目な話もするけれど、思い出さなければ食べて飲む場だった。
 霊夢は、悩んでいるようだった。それまでと同じように、妖怪からの食べ物や飲み物を拒否して、ひとりで、部屋の隅にいた。

 ●

 霊夢が何を悩んでいたのか、結局どうして弾幕決闘法の案に頷いたのかは、ルーミアにはわからない。ただ、少なくとも、すべてがまとまる直前の出来事。それだけはルーミアも見ていた。聞くには少し声が小さくて、距離もあったから、見ていただけだ。
 妖怪たちは、淑女然とした一人を除いて、全員が眠りこけていた。部屋の隅からその光景を見つめる霊夢の目は、ゆらいでいた。わけのわからないものを見るように、明らかに動揺していた。
 霊夢は、起きていた一人に、話しかけた。なんで、どうしてあんたたちは。それだけが聞こえた。妖怪が小さく微笑んで、気持ち良さそうに寝ている連中を見渡して唇に人差し指をあてたから、その先は聞こえなくなった。

 だからルーミアには、見ることしかできなかった。
 床に転がっていた、幼い少女の姿をした妖怪──その妖怪の髪が肩までくらいの金髪で、まとったドレスは黒色だったから、ルーミアには、まるで自分がそこにいるような、不思議な感覚があった──が、寝ぼけ眼で、霊夢に抱きついたこと。霊夢が、熱いものにでも触れたように、びくりと身をすくませたこと。霊夢と話していた妖怪が、くすくすと笑んだこと。

 霊夢は唇をとがらせて、笑んだ妖怪に何か言ったみたいだった。そのままいくつか言葉を交わしたのだろう──少しして、霊夢は驚いたみたいに目を見開いて、話し相手の妖怪を見つめて、何度かまばたきをした。
 そうしてまた、霊夢は、自分に抱きついてきた少女を見た。抱きつかれたときに、霊夢の瞳に宿ったもの──驚愕だとか、恐怖だとかは、すべてがなくなっているわけではなかったけれど。一方的に抱きつかれていた霊夢は、おっかなびっくり、だけど自分から、彼女の頭に手を伸ばした。
 霊夢が頭を撫でてやると、彼女はむずがゆそうに、気持ちよさそうに、表情を緩ませた。それは、彼女だけじゃなかった。ほんの一瞬だけだったけれど、霊夢も、また。

 ●





 紅い館の方から伝わってきていた吸血鬼の魔力の奔流が、ぷっつりと途絶えた。
 霧が晴れる。木々の隙間から、月の光が差し込んできた。異変は無事に、ルールにのっとって、巫女により収められたらしい。ルーミアは小さく息をついて、鳥目、鳥目と囁いた。
 目をつむる。それでも月の光が容赦なく目蓋の裏を焼いてくるから、ルーミアは闇に呑まれることにした。球形の暗闇を小さく展開して、目を開ける。閉じた目の裏よりも、この暗闇の方が、よっぽど何もなくて、落ち着くのだ。

 暗闇の中にいるのは、すごく楽だ。ルーミアみたいな、自分が一番大事だとうそぶいて生きている妖怪だって、やっぱり目に入るものは気にせずにはいられない。闇の中は、何も見えないから、何も気にしなくていい。
 だからきっと、鳥目でいるのも、楽なことなんだと思う。狭い世界に見えるものしか、薄い視界に映るものしか追えないから。それ以外を追わずにいられるから。
 霊夢も、昔は、そうだった。
 今は、少しだけ、違う。
 霊夢は今、はざまにいる。見えなかった、見ようとしなかった世界へと、それまでの世界との境界を、一歩踏み出してみようとしている。その結果、どうなるのかはわからない。こっぴどく裏切られて、霊夢は鳥目のまま、それで見えていた世界だけをよしとするのかもしれない。否定できない未来。今回はうまくいったようだが、いつか、別の結末が現れることもあるかもしれない。霊夢の進む道。その先に何があるか、今はまだ誰にもわからない。

 ルーミアは。
 ルーミアも、はざまにいた。霊夢と同じ場所にいた。こう見えて長いこと生きてきた。暗闇の中で生きてきた。闇の中には誰もいなくて、何もなくて、それはすごく楽だけど、ここらで何か変化があってもいいと思った。いや、それだけじゃない。これまで人食いに精を出していたルーミアが、今回、そうじゃない方に回ったのは。
 たぶん、『あれ』が。
 羨ましいとまではいかなくとも、ああ、ああいうのも悪くないなあと、そんなふうに、素直に思えたからなのだ。それは、今まで人間を食料か暇つぶしの道具としてしか見てこなかったルーミアには、すごく新鮮で。けれど一方で、当たり前のことのようにも思えて。ルーミアは、自分の存在を。妖怪という存在を、知った。

 妖怪は、人間を好むようにできている。それは、食料としてだけじゃあない──妖怪は、人間に恋するようにできているのだ。

 人間は、でも、たぶん逆だ。妖怪を忌み嫌う。妖怪というのは、そんなふうにできている。
 霊夢の道は、ルーミアや他の妖怪のそれよりも、だから、ちょっとばかり険しいんだろう。だけどもそれは結局は霊夢の道だから、同じ道を行くものとして、ルーミアに何かしてやれることなんて少ない。
 少ない、のだ。まるっきり無いわけじゃあない。だからさっきの戦いは、ルーミアの、せめてもの餞別だった。スペルカード。巫女に破られるべき、打ち砕かれるべきその最初の幻想。鳥目と名づけたその願掛けに、霊夢は応えて、先へと進んだ──



 ふと。
 声が、聞こえた。
 闇の中では、視覚が遮断されるぶん、他の感覚が増す。人間の声だった。方向がはっきりしないけれど、おそらく神社の方から聞こえたのだと思う。また聞こえた。今度は笑い声だった。複数人の。ちょっと幼いような声も混じっていた。

 行ってみようと、唐突に、だけど強く思った。闇を解く。ゆっくりと身体を起こして、宙に浮く。木々の背を越える。開けた空に、霧はない。久しぶりの、見通しの良い夜。
 だからかもしれない。光が見えた。神社の方だ。境内の辺りだろうか。明るく、強い光だ。まぶしく感じるはずのそれに、ルーミアは吸い寄せられるように向かっていった。脳裏をよぎる光景があった。薄暗い部屋。誰の声もない場所。ひとりきりの巫女──


「わ、あっ……!!」


 そこには、酔っ払って千鳥足の氷精がいた。心配して駆け寄る妖精がいた。背筋を伸ばして正座しながら、うつらうつらする妖怪がいた。苦笑しながら酒を運ぶ悪魔がいた。酒を受け取りながらも本から目を離さない魔女がいた。料理を手に走り回るメイドがいた。巫女にしなだれかかる吸血鬼がいた。メイドの手から料理をかすめとる魔法使いがいた。それだけじゃあない。紅い館のメイド妖精か、あるいはそこらから勝手にやってきたのか。妖精たちが、数えるのも億劫なくらいに集まって。灯りの範囲が狭いからと、新たな焚き木がどんどん組まれて、神社の境内は、昼とも見紛うくらいの光に包まれていた。
 そのすべての中心に、霊夢がいた。

「ルーミア?」

 目が合ったとき、たぶん自分は笑っているんだろうと思った。微かな既視感が伝えてくるのは、あのときも──霊夢が小さな少女の頭を撫でたあのときも、自分は笑っていたんじゃないかということ。
 宴会場をふわりと横切って、そのままルーミアは霊夢の胸に飛び込んだ。「どーん!」が、成せなかった。霊夢は咄嗟に、吸血鬼を盾代わりにした。頭どうしがぶつかって、鈍い、いい音が響いた。

「いたーい」
「急に飛びかかってきてどうしたのよ。びっくりするでしょ?」
「うう……だって……」

 そうしたかったんだもの。頭を押さえて涙目で呟いてみると、霊夢の返答は溜息ともう一つ。ルーミアの手に、霊夢のそれが重なった。

「まったく……大丈夫? ほら、ちょっと手どけてみて」
「あ……うん」
「んー……うん、大丈夫でしょ。だいたいあんた妖怪だしね」

 口調とは裏腹に、霊夢の手は、幼い子供にするみたいに優しく。いつかのように、口元に僅かに笑みを浮かべながら。ルーミアは、目をつむってそれを受け入れていた。
 宴会の灯は、閉じた目の中にも入り込んでくる。明るい、暖かい灯。限りない安心の中で、ルーミアは微笑んだ。

 霊夢の道。まだ始まったばかりの、先の見えない道。鳥目の霊夢には見えなかったかもしれない道。鳥目のままで、その道を見失ってしまう未来も、もしかしたらあったのかもしれない。
 だけどもう、そうはならないのだろう。だって、霊夢のもとには、こんなにも明るい光がある。簡単ではない道かもしれないけど、この光を知っているのだから、彼女はきっと前に進んでいける。

 気を失っていたのか、飛び起きた吸血鬼が、そいつだけずるい! と半泣きでルーミアを指差した。邪魔されたルーミアは一瞬頬を膨らませて、だけどふと湧いた思いつきに従って、一枚の符を取り出す。それだけで吸血鬼には通じたようだった。通じてくれたようだった。吸血鬼も一枚の符を取り出す。同意と見るや、すぐに二人して空に舞い上がった。魔法使いと妖精たちが、やんややんやと囃し立てる。歓声を送る連中の中に、霊夢の苦笑が見えた。
 目の前の吸血鬼を見据える。命の取り合いでもなんでもない。巫女に撫でられる権利なんて、そんなしょうもないものを賭けた勝負。だけど不思議と心が沸き立つ。吸血鬼も同じだと、信じるまでもない。霊夢の歩むこの道での、この世界での自分の力を強く掲げて、ルーミアは光のように笑んだ。

「──さあ、いくよ!」







 夜符「ナイトバード」 / あなたに見てほしい世界 <了>







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