「そこは掘り下げなくても良い。何か本当に紫を呼ぶ方法は無いのか?」
「仕様がないわね。紫はこれをやると怒るんだけど……」
「何だ手が有るのか」
「有るんだけどねぇ……。これをやると、危険だから止めなさい、って紫が出て来るの」

(東方香霖堂第十一話「紫色を超える光」より)











 ある日、霊夢さんがお遊びで結界を緩めてから「もう二度とこんなことしない」と心に誓うまでの顛末。










「……さて。お嬢ちゃん、とりあえず、お名前教えてくれるかな」
「名前? 霊夢。博麗霊夢よ」
「はくれいれいむちゃんね。珍しい名前だね。それじゃあ、もしよかったら、どうしてあそこにいたのか教えてもらえるかな」
「どうしてって言われても、結界を緩めたら外に放り出されちゃって……」
「……結界?」
「……あーいやなんでもないわ。私がどこにいようと勝手でしょ」
「……? いや、うーん、でもね、そういうわけにもいかないよね。だってまだお昼だもんね。学校に行ってる時間だよね?」
「がっこう……?」
「うん、学校」
「よくわからないけど、私、行かないわよ。そんなとこ」
「……行かない? 学校に? ……サボるってこと?」
「そうじゃなくて、もともとそんなの行ったことないわよ」
「OH……(なんてこったい)」


 ……私は頭を抱えた。この近辺をふらふらうろついていた少女を、どうせまた不良気取りで学校をサボった子だろうと捕まえてきてみたらこれだ。彼女の見た目は小学生かせいぜい中学生といったところだ。明らかに義務教育の過程にある。それが、学校など行ったこともないと。

「あ。ねえ、そこの机にあるお菓子、食べていい?」
「……ああ、食べたければ食べ」
「んぐんぐ」

 許可を出す前から食べられていた。いや、そんなことはどうでもいい。重要じゃない。
 この気持ちは何だろう。怒りか、それとも悲しみか。無力感でもあるのだろうか。
 多くの少年少女たちにとって、学校に通った記憶というのは大切な思い出だ。毎朝、眠い目をこすって布団に別れを告げ、朝食をかっ込み、友達と一緒に学校へとてくてく歩き、給食や昼休み、放課後の部活や友人との約束を楽しみにしながら席についてノートをとり、黒板を眺める。そんな輝かしい日々を、彼女は奪われてしまっているのだ──


 ……いや、ちょっと待て。
 本当にそうだろうか?


「んぐんぐ……ねえ、お茶とかないの?」
「ああ、そこの急須に茶葉が……もう出涸らしだな。新しいのをいれてあげよう」
「ん、ありがと……んぐっんぐっ」

 昨今の子どもを舐めてはいけない。
 補導されたのを親や学校に内緒にしてほしい、と頼んでくるような子はどれだけかわいいものか。適当に頭を下げてその場を逃れ、後にまた反省なく繰り返す者。連絡先や名前などで嘘をつき、こちらが困るのを楽しんでいる者。このような子はまったく珍しくもないものなのだ。


 さて。
 椅子にちょこんと座って、ばぅむくぅへんをかじりかじりしているこの少女には……少なくとも、悪意は見て取れない、ように思う。
 だが、本人に嘘をついている気がなくとも、結果的に事実と異なったことを言っている可能性もある──少女の服装を見ていると、そんなふうにも思えてくる。いわゆる電波ちゃんのケースだ。失礼だとは自覚しているが……しかし、これが私服とは少々信じがたいではないか。
 紅と白の派手な色彩。大きなリボン、それに袖が上着部分とは分かたれていて、ちょうど腋だけを見せている格好だ……いや、そんなことはどうでもいい。重要じゃない。問題は、彼女の腋下からちらりちらりとその姿を見せる──そう、さらしである。さらし。この時代に、このくらいの歳の子に、敢えてさらし! 彼女の趣味か、あるいは親の趣味か……実際、後者である可能性が高いだろう。彼女の親。わかっていると言わざるをえない。
 そう。
 そうだ。
 親。保護者だ。
「ごめんね、ちょっといいかな?」
「んぐ?」
「おうちのお電話番号とかわかったりしないかな?」
「んぐ、んぐ。……おでんわ、ばんごう……?」
「そう。保護者さん……お父さんお母さんの、連絡先」
「保護者の……連絡先……?」

 保護者の話を始めると、彼女はあからさまに困った顔をした。補導された子にはよくあることだ。……が、その困った様子に、少し違和感がある。普通は保護者に連絡することを嫌がるのだが、彼女は、もっと……そう、まるで、保護者として誰の名前を出せばいいのか迷っているような。父か母以外の選択肢があるのだろうか?

「あー、私、保護者なんていないんだけど」
「えっ」
「あ、これおいしい」
「どういうことなんだ……」
「ねえ、これもっとないの?」
「あ、ああ……ここにまだ一袋あるけど」
「あー、霊夢、霊夢ったら、こんなところにいたのね」
「んぐっ」

 少女が喉をつまらせた。いや、そんなことはどうでもいい。重要じゃない。
 我が職場、我が交番の入り口に女が立っている。黒のスーツ。そして金髪が第一に目に入る。とはいえ、顔を見るかぎり外人ではなさそうだ。それに若い……見た目、若い、のだが、妙に落ち着いた、あらゆる物事に対して慣れているような、不思議な空気をまとってもいる。
 女は気だるげに頭をかきながら少女に近づくと、その手を取った。……と、ただ見ているわけにはいかない。「彼女の保護者の方ですか?」私が訊くと、女はこちらを振り向いて、目をぱちくりとさせ、そして、にっこりと微笑んだ。

「あー、そう、ええ、そうですの。私。この子の。保護者」
「え。ちょっと紫、あんたがいつ私の保護者になったのよ」
「……と、仰ってますけど」
「ああ、この子、反抗期なんです。反抗期。それはもう。なんだろうととにかく親に歯向かわないと気がすまないみたいで」
「誰が親だ!」
「そう、まさしくこんな具合に」
「むきぃー!」
「すみませんねウチの子がご迷惑かけまして……ああ、今日は家の用事で学校を休ませたんですよ。ええ。それがちょっと目を離した隙にいなくなってしまって」
「ウチの子って言うな!」

 ゆかりというらしい、女は暴れる少女の両手を背後から捕まえ、抑えている。
 さて。少なくともゆかりさんがれいむちゃんの知り合いであることはたしかだ。知り合いがわざわざ保護者を騙るだろうか……まあ順当に考えて、おそらくゆかりさんの言い分で間違いないのだろう。学校も保護者の了解の下で休んだというのだし、軽く注意くらいで帰ってもらっていいだろうと思える。
 しかし。しかし、だ。万が一というものがある。れいむちゃんの言い分が正しく、これが誘拐にでも発展してしまったら目も当てられない。……いや実際そんなことはないだろうが、やはり確認はしておきたい。

「えーと、れいむちゃん? このひとは本当にきみのお母さんじゃないの?」
「そんなわけないでしょ! 赤の他人よ!」
「うう、昔はこんな子じゃなかったのに……いつになったらまた『お母さん』って呼んでくれるのかしら」
「紫……あまり調子に乗るんじゃないわよ」
「霊夢ごめんね。お母さんバカでごめんね」
「よし殺す」
「霊夢、殺すなんて言葉つかっちゃいけません!」
「うーん、でも、困りましたね」
「……なにが?」

 ゆかりさんに向かって舌打ちしていたれいむちゃんが、こちらを向く。
 しかしこのゆかりさん、れいむちゃんに嫌がられながらもすごく楽しそうである。なんだかんだでれいむちゃんの反抗期も含めて子育てを楽しんでいるのだろう。

「このひとがれいむちゃんのお母さんじゃないんなら、本当のお母さんに来てもらわなくちゃいけないよね」
「え、あ、えーっと、そうなの?」
「そうなの。だけど、れいむちゃんはたぶん、おうちの連絡先がわからないのかな」
「う、ぐぐ」
「でも、大丈夫だよ。このひとがれいむちゃんのお母さんじゃないなら、そのうち本当のお母さんが警察に連絡を入れてくるはずだからね。ここでもうちょっと待っててね」
「ぐぎ、うぎぎ」
「ハッ……! そうなったら、私は霊夢の母を騙って誘拐しようとした悪人ということで捕まってしまうわ! 霊夢、意地を張らずにお母さんを助けて……!」
「うぎぎぎぎ……!」

 それにしてもこのゆかりさん、ノリノリである。
 一方れいむちゃんは、しばらく自分の中の何かと戦っていたようだが、やがて勝ったのか負けたのか、がっくりと肩を落としてゆかりさんを指差した。

「ごめんなさい……うそついてました……このひとがわたしのおかあさんです……」
「れいむっ……!」

 ゆかりさん、感極まってれいむちゃんに抱きつく。れいむちゃん、されるがまま。
 つまり H A P P Y E N D である。我ながら良い仕事をしたと言わざるをえない。
 れいむちゃんが軽くノンハイライトアイ気味なようにも思えるが、そんなことはどうでもいい。重要じゃない。





 そして親子は帰っていった。
 結局、こちらからは簡単な注意だけで済ませた。紫さんも、「自分の行いについては既に反省してるでしょうから、改めてお説教はしませんわ。私が言って聞かせるよりも、いろいろ効いたでしょうし」とのことだ。よくわからないが、彼女がそれで良いと言うのだから良いのだろう。
 そうそう、れいむちゃんは最初はくれいれいむと名乗ったが、あれはでたらめだったらしい。本名は八雲霊夢。いちおう身分証明として紫さんの免許を確認したときに判明したのだが、いやしかし、自分はこんな家の子どもじゃないと主張するために新たな苗字まで作るとは、なかなか根性のある反抗っぷりである。だが最終的には彼女の口から「ごめんなさい……うそついてました……わたしのなまえはやくもれいむです……」と自己紹介してもらえた。八雲霊夢。よい名前ではないか。


 ……二人の関係がこの先どのように動いていくか。それは私にはわからない。この先再び関わることも、おそらくは無いであろう。
 だが今回の出来事が、娘の反抗期という親子間の壁を打ち破る手助けとなってくれたなら幸いである。頑張れ紫さん。霊夢ちゃんのデレはきっとすぐそこにある──。















「さあ帰りましょ早く帰りましょすぐ帰りましょ」
「霊夢はせっかちねぇ」
「早く帰ってお酒飲んで全部忘れたいの」
「お酒、いいわね。せっかく酒の肴もできたことだし、今夜はみんな呼んで宴会にしましょうよ」
「あのね紫。今日のことを誰かに言ったらただじゃおかないわよ」
「ええー」
「ええーじゃない」
「仕方ない、わかりましたわ。私は今日のことを誰にも言いません。約束しましょう」
「……なんか素直すぎて気味が悪いけど。他言したら本気で退治するからね」
「私はこう見えて約束はちゃんと守るのですよ」
「どうだか。……ところで紫、さっきからいじってる、その、機械? なに?」
「ん? ICレコーダーですわ」
「なにそれ」
「ひみつ」







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