「なーんか、さー」

 ──その日の霊夢は鬱霊夢だった。

「私だってさー、こう見えてけっこうがんばってるのにさー、お賽銭は入らないしー、そもそも参拝客来てくれないしー、来てくれても妖怪だしー、なんか里とかじゃあ博麗神社は妖怪に乗っ取られたとか言われてるらしいしー」

 鬱霊夢。霊夢NO.8。数ヶ月に一回の頻度で発生。賽銭が長いこと入らなかったりひもじかったり妖精にからかわれたりまあとにかく精神的にちょっとキてるときに酒が入ると低確率で発生するレア霊夢だ。
 卓袱台に突っ伏したり床をごろごろ転がったりしながら愚痴を言う。まあこのくらいならわりとよくあるが、鬱霊夢はここからさらに、

「あーもうほんと私ってなんなのかな……私なんで巫女やってるんだろ……私が巫女やってなくても誰も困らないんじゃないの……? そうよ私のことなんて誰も必要としてないのよ……うう……もっと私のこと見てほしいよぉ……ちやほやされたいよぉ……」

 酒を片手にえぐえぐと自分の意味やら価値やらを疑問視し始める、このワンステップがあるのが特徴だ。鬱霊夢は微妙に殊勝な一面があるのだ……途中からはなんだかちょっと違ってる気もするが。
 さて、霊夢の扱いに慣れた霧雨魔理沙さんこと私は、もちろんこの状態から回復させる方法を知っている。「そんなことないぜー」「れいむはちゃんとみこやってるとおもうぜー」「みんなばかだからしっかりみてないだけだぜー」「わたしはちゃんとれいむのがんばりをしってるんだぜー」「だぜーだぜー」即ち適当な相槌である。まあどうせ霊夢もそんな本気で悩んでるわけもないのだし、このくらいがちょうどいいのだ。
 久しぶりに鬱霊夢と遭遇した私は、いつものごとくこのちょっとめんどかわいいくさい霊夢と酒を片手にまったり二人きりの夜を過ごしていた。そして夜が終わればまた元の残念巫女が戻ってくるはずだったのだ、が。

「話はすべて聞かせてもらったわ」

 ガラッと戸を開けて登場したのは、鬱霊夢よりも遥かにめんどくさい奴、八雲紫であった。こいつがまた、けだるそうにしてたり真面目な雰囲気だったりするならそれほどでもないのだが、今のように楽しそうに生き生きウキウキしてるときは、できれば関わり合いになる前に逃げるのが得策である。
 しかしどうやら、逃げるまでもなく、紫は私に興味が無いようだった。駄々をこねる子供のように床をごろごろしていた霊夢を馬乗りになって捕獲、その手を取って、両手で包むようにして、霊夢の目をじっと見つめて、何を言うかと思えば。

「霊夢、私にすべて任せておきなさい。私のプロデュースで、あなたをアイドルに……トップアイドルにしてあげる」

 紫もついにおかしくなったかと思ったが、そういえばこいつは元々おかしい奴であった。
「ふぇ? あいどる? とっぷあいどる? なにそれ?」
 霊夢の疑問はもっともだが、紫はひるまない。「難しい理解は必要ないわよ。一つだけわかっていればいい……そう、トップアイドルになれば、あなたはもっとみんなに見てもらえるわ。ちやほやだってしてもらえる」

 その一言に霊夢の目が動いた。

「え……ほ、ほんと……?」
「本当よ。霊夢には才能がある。私のレッスンで磨き上げれば誰にも負けない宝石になるわ」
「れっすんはやだ……」
「ふふふ、そう言うと思ったわ。でも大丈夫、あなたにはぶっつけ本番でステージに立っても上手くやれるほどのポテンシャルがある。騙されたと思って、一度ステージに立ってみなさいな……あなたはもう、アイドルという道の虜になっているわ。過酷なレッスンを苦と思わないくらいに」


 さて、まったく無視される形になった私。
 紫が霊夢をアイドルにするとか言い出したのには驚いたが、まあ霊夢がそんなアイドルなんてやれるわけないし。
 あの修行嫌いお仕事嫌いむしろ動くことが嫌いな霊夢が、辛く厳しくなによりめんどくさいレッスンをまともにやる気になるわけがないのだし。
 なんだか紫に乗せられそうになってるけどいったい何日何時間いや何分もつかなー投げ出したときは思いっきり笑ってやろう今から楽しみだー、なんて思いながら酒をちびちびやっていた。



  ◆  ◆  ◆



 その後、霊夢は人里での野外コンサートで巫女アイドル博麗霊夢としてデビューし、適当なダンスを天性の体捌きでなんかそれっぽいものに見せ、色とりどりの弾幕とそれにあわせて空を舞うというなんとなく綺麗なビジュアル演出のさなか、かわいいから許されるというある意味最強の鼻歌もどきヴォーカルで、今までアイドルという概念を知らず娯楽にも飢えていた里の連中の心を鷲掴みにし、湧き上がる霊夢コールや「霊夢ちゃーん! かわいいよぉーっ!!」「やっぱり霊夢ちゃんがいちばんかわいいです!!!!」「霊夢さああああああああああん霊夢さんうわああああああああああああああ」「霊夢さんが淹れたお茶が飲みたーい!!」等々の声にえへへへへへへとだらしない笑いをこぼし、「みんなありがとーっ!! わたし、これからもがんばりまーす!!」の言葉通り、紫のレッスンに従い基礎能力を向上しつつステージに立ったり人里を地道に回って名を売ったりを繰り返しているうち、いつしか幻想郷中から愛されるトップアイドルとなった。



  ◆  ◆  ◆



 そう、霊夢はトップアイドルになった。
 どういうことなんだぜと言いたいがそういうことなのだ。
 そして霊夢は今日も神社にいない。


 神社でタダお茶とタダ飯をかっくらう私の素晴らしき日々は、鬱霊夢の夜を最後に終わりを告げられていた。そもそも私が神社に足を運ぶこともあまりなくなっていた。

 いくつか理由がある。
 まず、営業やらライブやらその他のお仕事やらで霊夢は忙しい。少なくとも昼間は神社にいない。レッスンすらも、非公開ということで紫の棲家で行っている。帰ってきても、疲れているからと夕飯をすぐに済ませ夜も早くに寝てしまう。タイミングが悪いと、私が夕飯目当てに神社に行ったときには霊夢は既に寝てしまっている、ということもあるのだ。
 というか里に行っている場合は既にお腹いっぱいになって帰ってくることも多い。里をうろついているだけで、おじいちゃんおばあちゃんからこれお食べなさいと甘味などを貰えるのだ。おじいちゃんおばあちゃんやらおじさんおばさんやらに囲まれて、満面の笑みで差し入れのお菓子をもぐもぐしている霊夢を見たときには、私ともあろう者がバカみたいに口をポカーンと開けてしまったものだ。

 まあそんなこんなで、神社に行っても食事にありつけないことが増えた、というのが一つ。
 そしてもう一つ……霊夢がいない、誰もいない神社に行くのが、ひどく落ち着かないのだ。

 昼間の神社に来ると、境内には落ち葉や細かなゴミが目立っている。なんだかんだで霊夢は、箒を持つ手を動かしていたのだ。
 以前はほとんどいつも空っぽだった賽銭箱も、稀にやってくる熱心なファンにより、蹴っ飛ばしてみるとジャラジャラ音がする程度にはお金が溜まっている。霊夢の人気を考えると少ないように感じられるが、博麗神社の賽銭箱はこれ一つではない。里にいくつか設置した分社に備え付けられたものは、どれもお賽銭でいっぱいのはずなのだ。
 霊夢のファンである者たちは、ファンであるがゆえに、霊夢のことをより深く知ろうとする。それまで視界の外にあった博麗神社に興味を抱き、知り、そして信仰へと発展するケースは決して珍しくはなかった。いまやこの神社が得ている信仰は、以前とは比べ物にならないほどだろう。

 しかし、当の神社には、参拝客を除いて、本当に誰もいない。
 ファンの間では、霊夢が昼間にいないからこそ霊夢目当てではない敬虔な気持ちで参拝できるといった認識が広まっており、霊夢もそれを嬉しがっているようなのだが……しかし、かつて霊夢を目当てに集まっていた妖怪や妖精連中がまったく来なくなった。そう、あいつらは真実、霊夢を目当てに集まっていたのだ。この神社に溜まり場としての慣れを持っていなかったわけではないだろうが、目的はあくまで霊夢。今は吸血鬼に鬼にブン屋にその他退屈を嫌う連中諸々が、アイドル博麗霊夢の追っかけと化している。そしてこれがまた意外と楽しいらしい。

 いったい追っかけの何が楽しいのか──霊夢がライブの際に行う、ファンとの交流と称した弾幕勝負がその秘密だ。
 この弾幕勝負、実体は新曲披露会ならぬ新弾幕披露会なのだ。なにやら私たちの知らない神様を降ろしたり、新たな技術や発想を用いたりすることで編み出したできたてほやほやのスペルカードを、希望する者──主に追っかけの妖怪や妖精たち──にぶつけているのだ。……私は、なんとなしに、その場には立ち会わないようにしているけど。


 そう。いまの霊夢はまともに修行をしている。
 アイドルに飽きやマンネリは大敵だと紫もわかっているのだろう。霊夢は変わっていく。強く高く、そして新しくなっていく。弾幕好きな妖怪たちもそれに群がっているのだ。


 紫によるダンスレッスンは、地上でのダンスのみならず空中での機動練習も並行して行っていて、弾幕決闘における無駄のない動きを身体で覚えると共に、体力や集中力も向上させている。

 ビジュアル──ルックスやダンス以外の見た目によるアピール──のレッスンは、新たな弾幕の習得、あるいは既存の弾幕の精密操作やアレンジが多くを占めていたが、最近は別の方向性として、札や針、陰陽玉といった小道具の練習、それに弾幕アピールを向上するために結界術の基礎部分を固めるのにも力を入れているらしい。これもまた霊夢の実力を磨き上げているのは明らかだ。ファンとの弾幕交流会こそ見ていない私だが、ステージ上でのダンスや霊夢自身によるビジュアル演出を見るだけで、以前とは違うのがわかる。

 ヴォーカルに関しては紫はレッスンをしていないようだが……しかし、弾幕巫女アイドルというビジュアル特化スタイルと、早期に多くのファンを取り込んだその勢いが、欠点を隠し補っている。たまにまともに音程が来ないことすらある霊夢だが、ファンにとってはそれも含めてかわいいらしい。いずれ必要にはなるだろうが、紫は伸びるところを先に伸ばす主義なのだろう。たとえ未熟でもそれを含めてファンが楽しんでいるなら問題はない。かわいいは正義なのだ。


 霊夢はアイドルとして成長し、そして強くもなっている。……正直なところ、アイドルとしてのレッスンがこんな効果を持つなんて、考えもしなかった。
 また、うまく回っているのは霊夢自身のことだけじゃない。その強さに惹かれた妖怪たちとの弾幕勝負、ライブ時の新弾幕披露会は、霊夢が妖怪退治を行う巫女であるというアピールも兼ねているのだという。
 ……私が知る限り、アイドル博麗霊夢の活動はおよそすべてうまくいっていた。

 聞いたところによると、紫が急にプロデュースだのなんだの言い出したのは、外の世界のとあるゲームにハマったからというだけで……このような事態に至るというのは、一つの可能性として考えていないこともなかったが、まあどちらかというと暇潰しがてら霊夢で遊ぼうというノリで動いていただけ、とのことらしい。

 そして結果的にだが、修行嫌いだった霊夢が真面目にレッスンもとい修行をするようになり、里で妖怪神社と囁かれていた博麗神社への信仰も取り戻しと、紫にとっても悪くない状況になったため、霊夢が辞めようとしない限りは数年単位でこの流れを維持していくという話だ。幻想郷のバランサー、調停者たる立場ゆえだろう、博麗の巫女たる霊夢の怠惰っぷりと神社の寂れっぷりには、紫も頭を悩ませていたのだ。


 元は、ゲームにハマった紫のおふざけ。
 しかしすべてがうまくいってしまった。



  ◆  ◆  ◆



 霊夢のライブは飛べる者ならば空から見ることも許されていて、妖怪連中は多くの場合そうしている。
 妖怪たち、たとえばレミリアや萃香といった余裕のある連中や、場の流れに乗るのが好きな妖精どもは、むしろ地上で人間のファンたちに混ざって騒いでみたかったりもするようだが……紫から、今はまだそういうことは避けてほしいと言われているらしい。
 人間のファンたちが妖怪のファンたちを怖がり、霊夢の人気に悪影響が出ることを恐れているのか……本来妖怪は人間に恐れられるものだと思うが、まあたしかに時機というのはあるものだ。妖怪の賢者の考えはよくわからないが、まだ早いということなのだろう。

「みんなーっ!! 今日は来てくれてありがとーっ!!」

 私も箒に跨って、数多の妖怪ファンどもに混ざり、霊夢と、霊夢に熱狂するファンのうねりを、ライブ会場の上空から眺めていた。

 ステージに現れた霊夢は、ノースリーブにミニスカートという、私も初めて見る姿だ。
 活動を始めた初期の頃はステージ衣装も巫女服だったが、最近は外の世界の服も参考にして、さまざまな装いを見せている。霊夢も最初は恥ずかしがっていたらしいが、今はもうよっぽど露出が多いものでもなければ抵抗無いようだ。
 時には真っ黒なゴシックロリータファッション。時にはきらびやかな白色のワンピースドレス。Tシャツにショートパンツといったラフな格好で激しいダンスを披露したかと思えば、真っ紅な下地に白い蝶の柄で彩った和服の時はマイクの前から一歩も動かなかった。そのほかにも、外の世界の女学生が着るという服。スーツ姿の男装。基本的に霊夢のやつはなんでもありだった。もちろん衣装のチョイスの段階で紫の試行錯誤があったのだろうし、衣装そのものも霊夢が映えるようにと考えて作られていたはずだが、しかしそれとは別次元に、霊夢はあらゆる衣装を着こなしていたように思う。


 騒霊の演奏に合わせて、霊夢がステップを踏む。鼻歌もどきとまではいかないが、それでもまだお世辞にも上手いとはいえない歌に、観客の合いの手が飛ぶ。相変わらず下手だなあと思いながら、同時に、私はなにか胸の内に引っかかりも感じていた。霊夢は楽しそうに、嬉しそうに、惜しげもなくその歌声を響かせる。一曲。二曲と歌い上げる。三曲目に至って、私は気がついた。

 お世辞にも上手いとはいえない。
 上手いとはいえない、けど、鼻歌もどきではなくなっている。
 以前よりも、良くなっている。
 紫はヴォーカルレッスンをしていないという話だったのに、どうして? ……さほど考えるまでもなく、答えが出た。


 霊夢だ。
 霊夢が、自分で、拙いながらも練習しているのだ。


 ……ステージ上で駆け回る霊夢を見て、私は何かを言おうとした。でも言葉は出ないまま、引っ込んだ。何を言おうとしたんだろう。私自身、わからなかった。
 そうこうしているうちに、霊夢は一度ステージの端に引っ込み、衣装を変えて駆けてくる。今度の衣装はいつも着ている巫女服の、紅い部分を黒色にアレンジしたものだ。「かわいいよぉーっ!!」「似合ってるよぉーっ!!」観客の声に、霊夢はステージ中央で立ち止まりがてら、笑顔でくるりと回ってみせる。

 ……ひとつ、もしかしたら、と思うことがある。
 ステージのたびに新たな魅力を切り開く霊夢は、その一助となっているあれらの衣装についてどう思っているか。

 私は知っている。ライブで用いられた衣装は、少なくとも今のところ、別のステージで再び使われたことは無い。今は新しさを追及しているということだろうが、それではそれらの衣装はどこに行っているのか……答えは、霊夢だ。神社に届けさせて、保管しているのだ。
 かつての霊夢は、春も夏も秋も冬もいっつも同じ格好をしていた。私は、霊夢が、女の子なりのおしゃれというようなものに、あまり興味がないのだと考えていた。巫女なんだから巫女服を着なくちゃいけないと規律を口にするのは、関心の無さの言い訳なのだと思っていた。
 ……でも。本当は、ただきっかけがなかったり、少し恥ずかしかったというだけだったんじゃないだろうか。

 アイドル活動は神社の信仰集めでもあるという大義名分を持った今のあいつは、いろんな衣装をきっちり着こなしているじゃないか。それは果たして、服装への興味、思い入れ、愛情なくしてできることなんだろうか。霊夢。霊夢。もしかしたら、私が知ってる、私が知ってた、私が心の中に思い描いていた霊夢は、……。



 これ以上考えたくない。考えちゃだめだという気がした。だから思考を打ち切った。考えるというのはつまり、心の中で言葉にすることだ。この先にあるなにか。それを言葉という明確な形にしてしまうことが、なぜだかひどく怖かった。
 曖昧なまま、頭の中をかき混ぜる。考えない。考えない。考えない。それでも心の重みは消えない。なにかすごくもやもやする。嫌だ。嫌だ。嫌だ。私の中のなにかが叫んでる。

 いつのまにか私は箒にしがみついて、ステージから離れているみたいだった。
 お世辞にも上手いとはいえない歌声が小さくなって、そのうち聞こえなくなった。



  ◆  ◆  ◆



「魔理沙、……魔理沙。扉を乱暴に開け閉めするんじゃない。壊したら直してもらうからな」
「…………うるさい」
「霊夢のライブはどうしたんだ? まだ続いているだろう?」
「…………うるさい」
「またいじけて途中で逃げてきたのか? まったく、そんなに霊夢に嫉妬しているのか」
「……………………えっ?」
「えっ」
「えっ……? いや、え、なんで?」
「なんでって?」
「いや、なんで私が霊夢に嫉妬するんだ?」
「ふむ? 君は、アイドルとして成功した霊夢が羨ましいんじゃないのか?」
「…………」
「沈黙するということはやっと自覚したかな」
「……あのな、香霖、一つ教えるが、人間ってのは相手に呆れた時も言葉が出なくなるものなんだ」
「む? つまり僕の推理は間違っていると?」
「間違いも間違い、大間違いだ。……そういうんじゃないんだよ」
「じゃあどういうのなんだ」
「うるさい。……ああ、香霖の勘違いについては教えてやる。まず私は、『アイドル』ってものが大ッ嫌いだ」
「そうなのか?」
「そうなんだ。霊夢だって、こんなことになるってわかってたらあの時に止めたのに……まさかあいつ自身ここまでのめり込むとは」
「たしかにそれは予想外だったね。この店にも来なくなったし」
「だな。寂しいか?」
「いや、別に」
「ツンデレか?」
「そうでもない」
「無理すんなよ」
「少し早くなっただけさ」
「何がだ?」
「いなくなるのがね」
「ん?」
「霊夢だけじゃない。魔理沙、君もだ。君だって、大人になってからもここにたかりに来ようとは思わないだろ?」
「えっ」
「えっ」
「…………」
「…………まあ、霊夢は、少し早く巣を立ったんだよ。そういうものだと僕は思ってる」
「……そういうものかな」
「そういうものさ」
「……ふーん」
「…………」
「…………」
「…………」
「……でも」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………霊夢は、ああいうのじゃない」
「…………」
「…………」
「…………そうか」
「………………うん」
「…………君がそう言うなら、そうなのかもしれないな」
「……………………………………うん。……ああ。そうだ。それに、私は、『アイドル』が嫌いだ」
「そうか」
「うん」
「まあ、君がそう言うなら、そういうことにしておいてもいいかもしれないな」
「……なんだその差は」



  ◆  ◆  ◆



 既に日は沈んで辺りは真っ暗だったけど、賽銭箱の上に堂々と座る私を見つけるくらいは、さすがに容易いようだった。
 疲労のせいだろう、今にも落っこちそうなくらいにふわふわと危なっかしく飛んできていた霊夢だったが、私を認識すると、ふにゃけていた顔がいつもの形を取り戻したようだった。

「魔理沙……ここでこうやって会うの、なんだか久しぶりな気がするわね。でも、さっきのライブ、どうして途中で帰っちゃったの?」

 アイドル博麗霊夢には、ストーカーもちょこちょこ出るらしい。だが武力持ちアイドルであるところの霊夢には、ストーカーさんなんて何の脅威にもならない。問答無用で夢想封印だ。
 その点、ライブを終えて帰ってくる霊夢を神社で待ち伏せなんてこれ以上ないほどそれらしいことをしながら、私こと霧雨魔理沙さんが夢想天生の対象にならないのは……なんだかんだで長いあいだ気の置けない関係であったことだけでなく、私が霊夢のアイドル活動にあまり興味を見せずにいたことも理由の一つだろう。

 もっとも、数分後には札や針を向けられてるかもしれない。
 私は霊夢に、弾幕勝負の意志を伝えに来たのだ。ライブ後で疲れている霊夢が、今すぐに勝負を受けるとは思わないが──

「魔理沙、どうかしたの?」

 私の苦笑を目に留めたようで、霊夢は前かがみになって、上目遣いで覗き込んでくる。霊夢は何も意識してないんだろうけど、その接近は、視界を埋めるその顔は、危険な不意打ちだった。
 半歩で抱きしめられるくらいの距離は、私と霊夢にとっては、何か意味を持つほどに特別なものでもない。こいつの顔だって、今まで何度も、数え切れないほど見てきた。近くで見たからって今さら何の感慨も無い、はずなのに。
 近くで見ると、霊夢の目は、少しとろんとしていた。けれど、眠気や疲れからそうなっているんだろうとは、まったく思えなかった。その目は私の全てを見通してしまいそうで、しかしその実、私のことなんてまったく気にも留めてないような。……それは上位者が下位者に、下位者にだからこそ向ける、大きすぎる優しさに似ていた。私はその目を知っていた。幻想郷でも屈指の大妖怪たちが、時たま見せる目だった。

「い、いや、なんでもないぜ」
「? ほんとに……?」

 また一歩近づいてくる霊夢からは、熱の匂いがした。
 常にはない疲労にくたびれた身体は、巫女を滅多にないほど無防備に見せ。普段よりも少し深い息は、ライブの昂揚を失わずにいてどこか甘ったるく。滝のように流されたであろう汗の残滓がほのかに香り、霊夢の中の、私の中の野生を引きずり出そうとしているようで。

 こんな霊夢は初めてだった。
 こんなにも生々しい魅力をまとっている霊夢を──妖しく美しい霊夢を、私は見たことがなかった。

「霊、夢」

 やっとの思いで言葉を搾り出す。口元を吊り上げて、冗談めいた笑みを貼り付けようとしたつもりだったけど、酷く卑屈な笑みに見えてしまってる気がしてならない。
 アイドルとしてこれまで以上の強さを得た霊夢に弾幕勝負を挑み、そして勝つことに、何らかの計算や保証があったわけじゃない。でも、決意だけはあったはずだった。私は霊夢に勝つ。そして霊夢を取り戻す。その気持ちだけは疑いなく、その気持ちを押し通すために、ここに来たのに。

「霊夢。お前、アイドルなんて……アイドルなんて、やめちゃえよ」
「え……?」

 ……だけど、どうしてだろう。
 勘というやつだろうか。
 恋色の魔法使いは、心のままに戦ってきた。信じるものを貫き、押し通す。もちろん全ての勝負に勝ってきたわけではないけど、気持ちで負けたことはないつもりだった。心で、全力で、ぶつかっていく。意地と我侭さでは負けやしない。それが普通の魔法使い、普通の人間としての、私の小さな強さなのだと信じていた。
 だけど、その、気持ちに。
 私の真ん中に、冷たいものが差し込んでいた。

「アイドルなんてやめちゃえ。またグータラ巫女に戻って、それで前みたいに日がな一日茶でも飲んでようぜ」
「ん? なんで……?」
「なんでって、そりゃ……私が嫌だから、だ」
「んー……?」

 この霊夢に、まったく、勝てる気がしなかった。イメージが湧かなかった。この霊夢が私に負けるイメージが、かけらも浮かばなかった。不思議なほどに、私は確信していた。疲れ果てているはずの霊夢は、それにもかかわらず、私が弾幕勝負を持ちかけると、今ここで受ける。そして私を、まったく寄せ付けることなく完勝するだろう。
 テンションが違う。
 言葉にすると安っぽいけれど、こんなにも大切な要素はない。私が普段からほどほどに良い勝負をし、勝率四割程度を確保できていたあの霊夢とは、明らかにステージが異なっている。妖しさだ。隙間妖怪、亡霊嬢、吸血鬼、永遠姫……幻想郷の大妖怪たちがふとした時に見せる何か、私の危険察知能力を強く揺さぶる何かを、今の霊夢は持っていた。底知れない……と言うより、目の前の相手の底に穴が開くような、豹変。奴らが持つ何かのスイッチが入るかのようなその感覚を、普通の人間である私は、今までに何度も肌で感じてきた。
 そして今、霊夢のスイッチは間違いなくオンになっている。──弾幕決闘は美しいものが勝つ。そんな言葉が何故か脳裏をよぎった。
 勝てない。今の霊夢はルナティックだ。

「アイドルなんてさ、ファンの勝手なイメージを押し付けられるだけの存在だよ。私が知ってる霊夢はそんなんじゃなかったぜ……もっと自由で、誰にも縛られない奴だった……」
「そんなこと言われても……魔理沙、アイドルに妙な偏見持ってない……? というかその言い分は……」

 弾幕勝負の前口上としてイメージしていたそれら言葉だけを投げつけながら、私は考えていた。ここは一旦退くべきだろうか? この折られかけた気持ちのままで? いや、それこそ、こんな気持ちのままで霊夢を動かすことができるわけがない……。
 霊夢が常にこうであるとは限らない、ひとまず機を窺えばいいだろうと、理屈ではそうわかっていたのに、心が不思議といつまでもざわついて、落ち着いてくれなかった。霊夢と向かい合って、言葉を交わしているというこの状況が、今の霊夢を見て、声を聞いているというのが、どうしてだろう、ひどく辛くて、逃げ出したくなるくらいだった。

 ──と。
 霊夢が何かに気づいたように口を閉ざした。人差し指を口に当て、「うん、うん、うん……」と自分の考えを確認するように何度か頷き、そして再び私に視線を戻した。にっこりと、満面の、あらゆることを疑っていないような笑顔で、


「そうよ、魔理沙もアイドルやってみればいいのよ!」


 なにかが。
 かちりと、はまったような気がした。

「……え?」
「アイドルやりましょうよ。二人で一緒のステージに立ってみたりとか、きっとすごく楽しいわ。ねえ魔理沙、私も最初はめんどくさかったけど、やってみると意外と面白いのよ?」

 私の頭の歯車は既に動き出していた。神の啓示を受けたかのような確信、そうするべき、そうするしかないという無根拠な信頼が私の中に生まれていた。運命を語る吸血鬼のことも、今なら信じてしまいそうだった。
 プランが組みあがっていく。今回の件において弾幕勝負はあくまで手段。霊夢にアイドルをやめさせることが目的。
 手段は必ずしも弾幕決闘でなくてよかった。霊夢が納得し、私に勝算があるものならば。それは真っ向勝負でなくてもいい。搦め手でもなんでも。

 努力は当たり前の前提。その上で、私は私にできることを尽くす。
 私は、結局、そうなのだ。そうだったのだ。そしてそれを、今さらどうこう思ったりもしない。
 いつものように、自然に、口元が動く。きっと私は、私らしい不敵な笑みを、霊夢に突きつけている。

「……いいぜ。私も、アイドルとしてステージに立ってやる。だがな、お前と二人でじゃない。勝負だ霊夢。お前の側と私の側、観客からの投票でより多く票を集めた方の勝ち。お前が負けたら、アイドルは引退するんだぜ」

 得意げだった霊夢の顔がだんだんと曇って、剣呑な雰囲気も帯びてくる。
 やっと霊夢は、私の本気を認識したらしい。何か言いたげにじっと私を睨んで、数秒ほどそうしていて、そして、ふん、と鼻を鳴らした。

「そんなにやめさせたいのね。いいわよ。受けて立ってあげる。その勝負はいつ?」
「お前を倒すくらいなら……そうだな、霊夢、お前たしか十日後にまたライブやるんだったろ。十日でじゅうぶんだからな、そこで勝負だ。お前のステージが終わった後に乱入してやるよ。それで、会場に来ている連中にどっちがよかったか投票してもらうんだ」
「十日って……甘く見てくれるわね。というか、いまからそんなにライブのスケジュール変更したら紫が大変そうね」
「紫には言わなくていいぜ。本当の意味で乱入してやるから。音源やライトもこっちですべて用意する。投票の準備も含めてな。お前は何もしなくていいよ」
「……あーはいはい、面倒だしもうそれでいいわ」

 刺々しい態度から判断するまでもなく、霊夢はとっくに機嫌を悪くしていた。会話もさっさと打ち切ってしまいたかったようで、それじゃあそういうことでね、今日はもう疲れたから寝るわ、と社務所の中に入っていく。
 私もそれを追わない。霊夢に背を向けて、箒に跨る。プランはあるが、それを成すためにはクリアしなくてはならない課題がある。勝つための種は既にいくつか仕込めたが、それでも、十日間という時間はまったく長くない。余裕はなかった。戦いはもう始まっていて──そして、霊夢のやつがいざ勝負と思う頃には、すべて終わっている。そうしなくては勝ち目はない。



  ◆  ◆  ◆



 霊夢は、『勝負』と聞いて、どういうものを想像しただろう。
 あいつはあれでけっこう箱入り巫女だから……いや、だからというわけではないのだが、ともかく、変なところで常識に疎かったりする。さまざまなものを見通す目を持つわりに、あいつの視界は意外と狭く、偏っているのだ。
 あいつは、わずらわしいことにとらわれない。あいつは自分が見たいように世界を見て、楽しみたいように楽しもうとする。それが祟って妖精やら妖怪やらにいいようにされてからかわれることもあるけれど、あいつにとってはおそらく『それはそれ』でしかない。ある意味この上ないくらいの鳥頭と言えるかもしれない、しかし、それがあいつだ。博麗霊夢だ。
 そして、そこを突くのが私の作戦だった。

 アイドル。偶像。その正体は、ファンが抱く幻想に縛られる存在なのだと、私は知っている。今は違っていても、きっといずれそうなる。霊夢の熱狂的なファンたちを見ていると、疑いなくそう思える。
 そしていつかそうなった時。『アイドル』にのめり込んだ霊夢は、彼らの作り上げた幻想の中に、自らを置くことを選んでしまうのではないか。……おそらく、私はそれを危惧しているのだ。
 あいつをそんな小さなものに閉じ込めるなんて、我慢がならない。あいつは縛られない、とらわれない、自由な巫女なのだ。私の心はそう望み、確信している。



  ◆  ◆  ◆



 赤いチェックのスカートに、半袖の白色ブラウス。外の世界の女学生の制服を意識したものであるらしいが、霊夢にはこれもやはり似合っていた。

「それじゃあ、名残惜しいけど次でラストね! 最後は新曲『わたしはアイドル』よ!」

 一瞬、霊夢の視線がこちらを向く。不敵な笑み。自分が負けるわけないと、疑ってすらいない笑み。らしいと言えば、霊夢らしい。

 十日間はあっという間に過ぎた。……あっという間に過ぎてしまうくらいじゃないと困る。
 霊夢は、天才だ。やろうと思えばなんだってできる。下手に時間を与えて、私との勝負に勝つためのレッスンをしっかり施されてしまうと、こちらの勝ち目は限りなく薄くなる。十日というのは、こっちが最低限の準備を整え、そして霊夢には時間を与えないためのギリギリの妥協線。
 さらに霊夢は、十日で私がアイドルとしてまともに勝負できるくらいまで仕上がるとは考えていなかっただろうし、今も思っていないだろう。当然だ。霊夢自身もたしかに最初は、ぶっつけ本番でステージに立った。だがその後数ヶ月に渡ってレッスンを続け、今はもうあの頃とはまったくレベルが違う。霊夢もそれをわかっているから、『素人に負けるわけが無い』と思っているのだ。

 私の側に時間が無いほど、霊夢の油断を誘える。そしてどうやらこの目論見は成功したようだ。ステージの袖から霊夢を見つめる紫に、普段以上の緊張感が見られない。私たちを意識している様子も無い。
 つまり、霊夢は慢心して、この勝負のことを本当に紫に報告してすらいないのだ。紫に言わなくていいと言ったのは私だが、まさか本当にそうするとは……まあこちらとしては好都合だ。たった十日間とはいえ紫が本気になるのは怖い。こちらの小細工がほとんど見破られるだろうし、それにこの勝負には、紫が本気になるだけの理由もちゃんとあるのだ。この勝負に負けて引退というのは、紫からしたら回避すべき事態でしかないのだから。
 ……だが結果的に、紫はこの勝負において完全に蚊帳の外だ。すべてが終わった後に大いに驚いてもらいたいものである。


 そして残りの問題は、私の側の準備が整うか、だったのだが。
 これがまた、整いすぎるほどに整ってしまった。


 乱入前提の私たちが控えるのは、ステージの袖ではない。普通の客と同じ、ステージの上空。協力を依頼した紅魔館の連中が周りに控えているのを見て、霊夢はしかし何も思わなかったようだ。ステージに立つにあたって私一人で全てをこなすのはいくらなんでも不可能だからと、そう判断したんだろう。その理解は間違ってはいない。

「霊夢の歌もこれで聴き収めかー。最後だし音程さん帰ってくれないかしら」
「また宴会の時にでも頼めば歌ってくれるんじゃないですか?」
「でもこういうのってしばらくしたら冷静になっちゃうものでしょ。酒の力があっても歌ってくれるかどうか」
「たしかに、お嬢様も今となってはモケーレ・ムベンベなんてお酒があってもできませんものね」

 レミリア。レミリアには感謝しなければなるまい。こいつがパチュリーを説得してくれなかったら、わりときわどいところだった。面白いもの見たさというか、怖いもの見たさなのだろうが。それに雑用として咲夜と妖精たちの貸し出し……霊夢のアイドル活動を楽しんでいたところのあるレミリアから、こんなにも直接的な協力が得られるとは思わなかった。
 思うにレミリアというのは、本当に大切なこと以外はさほど頓着しない……霊夢に似た心の置き方をしているのではないか。ありのまま、流れのままに世の中を楽しもうとしている。そんなふうに感じる……いや霊夢と似ているのではなく、霊夢が、こいつのような大妖怪に似ているのかな。

「はぁ……なんでこんなことに」
「もうここまで来てしまったんだから覚悟を決めましょう……ああ、でもせめて魔界の皆だけでも帰ってくれないかしら……」
「全然覚悟決まってないじゃないの」
「うるさいわね。あなたは身内が少ないからまだいいじゃないの」

 ここよりもさらに上空、アリスが見つめる先には、聖輦船……より正確には、魔界からの遊覧観光船が浮かんでいる。幻想郷二泊三日ツアー。こちらの秩序を乱さないことを条件に船に乗り込んだ魔界の住民たちは、霊夢のステージに盛り上がりながらも、この後のイベントをこそ真に楽しみにしているはずだ。彼らもまた、アリスを引き込む上で大きな働きをしてくれた。
 パチュリーにアリス。この二人を引き込めるかどうかが鍵だったが……もう逃げられない状況になってしまった以上、やるからには全力を尽くしてくれるだろう。二人のことは信じるしかない。


 そして、信じるのは、アリスとパチュリーだけではない。
 自分で言うのもなんだが、霊夢にとどめを刺すためには、やはり私自身の力が要る。こればかりはアリスにもパチュリーにも、他の誰にも頼めない。やはり十日間という時間は短かった、短すぎたが……それでも、誤魔化しが聞く程度には、取り戻したつもりだ。
 私は私を信じる。弾幕ごっこのように、四割程度の確率ではない。間違いなく勝つ。勝たなくてはならない。そして、霊夢を、……


「ほら魔理沙、行ってきなさい。無様なステージだったら承知しないわよ」
「……ああ」
 咲夜に肩を叩かれる。
 霊夢の歌が終わった。歓声の中、霊夢はファンたちに手を振り、──そして再び、こちらを見る。
「よし、行くか」
「……はぁ」
「……はぁ」
 ぐんにょりしている二人は、私と同じように紫のローブを羽織っている。
 行くぞ、ともう一度言うと、さすがに覚悟を決めたようだった。その袖を掴み、箒から身を躍らせる。重力に身を任せ……それでもそのまま墜落してはシャレにならない。速度減衰、減衰、減衰……と緩やかに魔法をつなげ、ふわりとステージに降り立つ。霊夢の隣に。
 霊夢は案の定驚いたようで、目を見開いて、私を──私たちを見つめている。それはそうだろう。
 このステージに私以外が立つとは、霊夢は思っていなかったはずだ。


「みんな聞けーーーーっ!!!! このステージは私たち『マジョカ☆マギカ』が乗っ取った!!!! 私たちとこの霊夢、どっちがいいステージをやるか、よく見ててくれ!!!!」


 客への最低限のアピール……ともかく、霊夢と比べてもらわないことには話が始まらない。
 そしてそれ以上は要らない。グダグダと喋って、観客を落ち着かせてはならない。闖入者への驚き。この意識の隙間に、私たちの印象を刻み付けるのだ。

「魔理沙、え、『私たち』って……? え? なんでアリスとパチュリーがいるの?」
「おいおい霊夢、何を混乱してるんだ? 私は一度も、私一人で勝負に挑む、なんて言ってないぜ? この二人は私の──そう、ユニットメンバーだ!!」
「はぁ……なんでレミィはあんな乗り気になっちゃったのかしら……?」
「楽しいこと好きで頭が空なんでしょ……ああ、魔界のみんなもそうね……」
「お前らアピール! 客にアピール!! 霊夢はステージから降りる!!」
「え、あ、うん……」

 まだなにか納得してないような霊夢だが、こんな個人間の口約束による勝負は、押し込んだ方の勝ちなのだ。
 ソロVSトリオの構図。策の一つはこれだ。
 ここにいる観客たちには、アイドルユニットという概念が今まで無かった。こうやって、複数人がグループを組むということそのものが一種のブレイクスルーになる。『魔法少女』でくくったアイドルユニット。勝負の条件設定の際、お互いソロでといったような約束はしていない。『お前の側と私の側』。このやり方が許容される曖昧な文言にしておいたのだ。
 もちろんこんなもの、ユニットとして息が合っていなければ無様なステージにしかならない。本来なら、十日程度の準備時間で取れる手ではないのだが……それは、私たちが普通の人間だったらの話だ。


「それじゃあいくぜ!! 曲は──『レ・ロマンス』!!」


 意外な才能を見せたレミリアが二日で作詞作曲した曲。生演奏するは鬼教官咲夜がデスマーチで仕込んだ楽器担当妖精部隊だ。
 羽織っていたローブを三人同時に投げ捨てる。私、アリス、パチュリーそれぞれが、ホワイト、レッド、ブルーを基調とした、チューブトップにショートパンツの光沢衣装だ。……アリスやパチュリーのこんな姿を見るのは、多くの連中にとって初めてのことだろう。というか私も数日前まで見たことなかった。

 紅魔館の妖精たち、聖輦船に乗り込んだ魔界民たちの悲鳴じみた歓声に共鳴するように、驚きざわめいていた地上の観客たちにも熱が生じ始める。注がれていた注目、『こいつらは何なんだ?』という純粋な疑問が、興味と好奇心へ変わりゆくのを感じながら──私たちの手と足はイントロにあわせて動き始め、そして観客の目の色はまた驚愕に塗りつぶされる。

 霊夢の驚きは観客たち以上だろう。結成して十日経ってないはずのユニットが、一糸乱れぬ、ぴたりと揃ったダンスを見せているのだ。ダンスそのものの難度が低いわけではない。空こそ飛んじゃいないが、霊夢のそれと同程度か、むしろ難しいくらいだろう。右、後ろ、捻って開いて前後、ひ、だ、り、右、左右……と普通にやったら五秒で忘れそうになる、むしろ霊夢だったら忘れてるだろう。

 霊夢は一人でステージに立つ。その上、観客たちもそんなに細かいとこなんて見ちゃいない。だから、やろうと思えば、不自然にさえならなければいくらでもアドリブし放題……というか、あいつは細かいところはちょこちょこ適当にやってる。私が見た限りだが。
 それに比して私たちのこれは、仲間のダンスという『比較対象』がすぐそばにある。しかも全員が同じように踊っているのだから、一人のダンスが乱れたら、そんなのはどんな素人にでもはっきりわかってしまう。……言い換えれば、練度の高さが、普段ダンスをあまり見てないような連中にもわかりやすいのだ。霊夢との勝負、すなわち比較の場である今この時においては、これは非常に大きい。


 しかし私たちのアピールはこれだけではない。
 観客の視線が私たちの背後に吸いつけられる。そしてどよめきが広がる……どうやらきっちり成功させたらしい。

 赤、青、黄、緑、紫の五色の石は、パチュリーのスペル。火水木金土符「賢者の石」。弾幕決闘時のようなばら撒きではなく、曲のテンションにあわせた色の弾幕を計算して放ち、ステージを彩る──私たちのビジュアル演出の核である。
 ちらりと視界に入ったステージ脇の霊夢はやはりというか、口をだらしなくポカーンと開けて停止している。その視線は私よりもパチュリーに向いているように思うのだが、まあ無理もない。私も同じ立場だったらそこが一番気になる。このアグレッシブなダンスをあのパチュリーがキレのある動きでこなしているとか、これはもう一種のギャグだろう。目の前で展開される光景が信じられないのも無理はない。……だが私たちは不可能を可能にしていた。

 軟弱な魔女の身体は息もつかせぬダンスを耐え切ることが出来るのか?
 喘息の魔女の気管は演出のための魔法詠唱を続けることが出来るのか?



 出来る。
 出来るのだ。



 いやまあほんとはたぶんできないけど。



 タネはアリスにある。そもそもどうして急造ユニットの私たちが、こんなにも息の合ったダンスを見せることができるのか──
 それは、私たちが自分で踊っていないからなのだ。

 これはアリスによる人形操作。
 私、パチュリー、そしてアリス自身までもを『アリスの人形』という概念下に置き魔力糸を繋ぐことで、人形遣いによる操作を可能にすると共に、肉体の基本スペックまでも強化する。人形に対してしか使えないという制約の下で構成された、アリスの操作魔術及び強化魔術。短い準備期間で高精度のダンスを披露するための切り札、もといインチキ技だ。

 しかしこうして遣われてみると、アリスの人形操作は、本当に繊細かつ効果的だ。力の流れを意識し、身体に余計な負担をかけないよう、それに逆らわない動きを模索し……そうやってこのダンスをチューニングしていった。
 今回の件ではアリスのことも見直したというか……『人形』としてなら簡単に踊れるこのダンスを『人形』としてではないアリス自身が試しに踊ったところ五秒ですっ転んで顔面から床に突っ込んだというあの残念エピソードがなければ、ちょっと尊敬すらし直していたかもしれない。
 まあそれはさておき、だ。


 アリスとパチュリー。二人の意識が私に向くのを感じる。
 二人はきっちり役目を果たしている。残るは私だ。

 この勝負、やれることは全部やった。これまで打った手は、すべて上手くいった。この後の段取りも、ここまでに紫の介入が無かった以上、おそらくは問題ない。
 まだ賽の目の行方がわからないのは、たった一つ。私たちの最後の武器。それを手にして、切りつけるのは、私の役目だ。

 ビジュアル特化の霊夢にぶつけられるレベルのビジュアル演出。
 霊夢をはるかに上回る、洗練されたダンス。
 そして霊夢の未成熟なヴォーカルを叩き潰すのは──他の誰でもない、私の歌だ。今回この歌は形式的にはアリスと私のデュエットだが、実質ほぼ私一人がメインになって歌い上げる。自身も含めて三人分のダンス制御を担当しているアリスや、ダンスがアリス任せとはいえ身体を動かしながら「賢者の石」の詠唱をこなすパチュリーに、これ以上の負担はかけられない。
 そしてヴォーカル、これだけは魔法で補助できない領域。私と霊夢の、真っ向勝負。

 技術ならほんの少しだけど取り戻した。もう本番だから、それ以上を今さら重ねることはできない。
 だから意識すべきは、心に置くべきは、気持ちだ。
 マイクを握り、私は、私の今までのすべてをもって、大切に思うものを取り戻すために、歌を紡ぐ。



  ◆  ◆  ◆



 魔理沙は此処のアイドルになりなさいね、と何度言われたか知れない。
 幻想郷には存在しなかった言葉。外来人の母さんが持ち込んだその概念を、当時の私は理解できなかった。
 あいどるなにそれおいしいの。
 おいしかった。
 母さんのレッスンをお利口にこなすとお菓子がもらえた。母さんのレッスンは子供に対して行うには少々厳しいものだったと思うが、私はお菓子に釣られて、あとはまあ、母さんが褒めてくれたり抱きしめてくれたり撫で撫でしてくれたりみたいなのにも少しくらいは惹かれないこともなく、それなりに頑張って、母さんの期待に応える程度にはこなしたものだった。魔理沙はきっとすごいアイドルになるわ、ママが魔理沙のファン一号ね、パパが二号ね、みたいなことをよく言っていた。父さんも私をアイドルにすることに賛成だったみたいだし、お手伝いさんや親戚それにご近所の皆々様も、日々成長する私に、未来のアイドルの姿を見ているみたいだった。


 でもまあ、そのうち私も、ふと思ってしまったのだ。
 アイドルも別にいいけどなんかたまにはちょっと他のこともしたいぞ。そうだ、たとえば、空とか飛びたい。空とか。
 そりゃまあ移り気な子供である。ちょっとくらいの浮気はしょうがない。
 そんな感じで、空いた時間に魔法関連っぽい本を読んだりと、なんちゃって魔法使いとしての一歩を踏み出した……まではよかったのだが。
 まだまだ素直だった魔理沙ちゃん。ある時、その気持ちを母さんに直接伝えてしまったのである。だって私だってそこらへんの妖精みたいに空飛びたいんだもん! ちょっとくらい魔法やったってママも許してくれるよね!


 どっこい、母さんは許さなかった。
 母さんは、私がアイドル以外の何かをしようとすることを許さなかった。魔法使いはもちろん、お花屋さんをやってみたいとか、お菓子屋さんをやってみたいとか、友達に混じって身体を動かしたいとか、ちょっとガキ大将ポジションに憧れてるとか、母さんは、私がちょっとでも「やってみたい」と思ったことを全部聞き出して、そして、全部ダメよ、と当たり前のように言った。……いやしかし母さんは外の世界でどんな経験をしたんだろうね。今にして思うまでもなく、どうやらアイドルというものにけっこうな執着を持っていたみたいだけど。
 だが母さんはまだいいのだ……いや決して良くはないんだけど、私にとっては母さんのスパルタっぷりよりも、味方がまったくいなかったことの方が遥かにショックだった。
 父さんは私なんかよりも母さんの考えを尊重するだけ。赤ん坊の頃からの付き合いで、私が心を許していたお手伝いさんたちも「レッスンはちゃんとしなくちゃダメですよ」と窘めてくるだけ。近所の優しいおじちゃんおばちゃんたち、「魔理沙ちゃん、辛いのはわかるけどがんばらなくちゃね」と、いつもよりたくさんお菓子をくれたあの人たちも、明らかに母さんと同じ側に立っていた。香霖がいたらもしかしたらとは思うけど、あいつは既に里を出てしまっていた。……


 ともあれ、ちょっとレッスンゆるめてほしいなってくらいの気持ちで伝えた言葉は、逆にレッスンをたっぷり増やし私を縛りに縛った。
 空いた時間がなくなった。仕方ないので、睡眠時間をひっそり削ったりで時間を空けることを覚えた。私は、少なくとも私は、アイドル以外の何かをしたいという素振りを見せる私に母さんが怒ってるのか悲しんでるのかなんなのかももうよくわからなかったけど、なにかしらの理想を押し付け強制してくる母さんに、とにかく屈することはなかった。
 それはむしろ反骨心を育てるための時間だった。アイドルというものへの嫌悪感。私に『アイドル』という理想を押し付けようとするみんなへの反発が私を支えた。
 私はこんなのに負けないぞ、母さんなんかに絶対負けない!! と心の中で誓いながら、レッスンをサボって遊びに行ったらご飯を抜きにされるどころか家にも入れてもらえなかったので、やっぱり母さんには勝てなかったよ……と表面上は反省したように見せてレッスンもちゃんとするようにしたのだが、しかし心は屈しなかったというわけだ。私は、さしあたり反抗の一つとして、いちばん最初に『アイドル以外』として想ったことを。まずは空を飛んでやる、そのために魔法使いになるぞという気持ちを固め、育てていった。……


 ……そう、私が魔法使いになったのは、たぶん、なりたかったから、と言うよりも、母さんへの反発の結果だった。魔法使いは、あの頃の私にとって、やってみたいことの一つでしかなかった。……もし、もし母さんが、空を飛びたいと夢を語る私を、優しく笑って迎え入れて、しょうがない子ね、と頭を撫でたりしてくれていたら……。


 うん。まあ。
 そんなこんなしているうちになんか母さんが病気でぷつっと死んで、悲しいけどこれでアイドルアイドル言われなくなるのかなと心の片隅で息をついていたら、母さんの遺志を継いだ系の勢いで父さんが私をアイドルにしようと画策し始め周囲もそれを全力で後押しするという雰囲気だったので、調子こいてんじゃねえぞもう怒ったもう切れたもう決めた私は魔法使いになるぞほんとになるからなばーかばーか、というかんじにスパッと家を出てみた次第である。生きていく上での重要な決断は、意外とこうやってノリや勢いで為されるものなのかもしれない。

 いやあまあしかし、母さんの遺志なんか知ったこっちゃねえと家を飛び出した私だけど、人生何が役に立つかわからないというやつか、最終的には大嫌いになりもう思い出したくもなかった母さんからのレッスンは、実のところ魔法使いとしての私にも多大な恩恵を与えていたと思われる。
 当時は意識していなかったが、考えてみると、レッスンに伴う基礎体力作りなどは、家を飛び出し香霖の元へ転がり込み、そして程なく森の廃屋で一人暮らしし始めた私を、間違いなく助けてくれていたのだ。あれがなければ、見た目どおり幼女の体力しか持たなかった私が、香霖の助けがあったとはいえ森で生きていけるわけがなかった。また、ダンスレッスンで鍛えた身のこなしも様々なところで役に立っていると認めざるを得ないし、ビジュアルレッスンで鍛えた『魅せる』ことへの感覚は、美しさを競うスペルカードのアイディア出しや実際の構築において、おそらく少なくない影響を与えていた。


 そして今も。
 自分をよりよく見せるための企画力。勝負の世界の非情さやらなにやら。人気は実力だけでは決まらない云々と、かつて母さんに叩き込まれたアイドル座学的な知識と思考が霊夢を追い詰め。
 そしてこれまで直接的に役に立つことがなかったヴォーカルレッスンの経験すらも、霊夢を取り戻すための、私の最後の武器になったというわけだ。


 ──別に、
 認めたわけではないし感謝したわけでもないし何かを後悔してるわけでもない、本当になんでもないんだけど、そういえば母さんが死んでから一度も墓参りとかしてなかったかもしれないなんて、ふと思ったりもするのである。



  ◆  ◆  ◆



「ええええええええええええ!? なんでええええええええええええええええ!?」

 開票結果。
 票数を比にして51:49くらい。で、こっちの勝ち。めっさ驚いてる霊夢にドヤ顔を向けてやるが、正直予想よりもギリギリすぎてこいつどんだけみんなの支持集めてたんだよと心の中で冷や汗気味だ。

 そもそもパフォーマンス自体はこっちの方が総合的に遥かに上だった。それに飛び入り参加も含めたサプライズ、サプライズ、サプライズの連続。『霊夢は負けたら引退』という条件を紫やファンたちに伏せたまま勝負を敢行できたこと。勝負に際して霊夢の側には何の備えもなかったこと。さらに紅魔館や魔界民の身内票。そもそもこちらは三人なので、この中で誰か一人にでも惚れ込んでもらえば票を移動してもらえる……一票を奪いやすい、という優位。霊夢のステージから私たちのステージに移行、終了後ただちに投票のため、順番的にも霊夢のステージより印象に残っていやすいという優位。アイドルという存在がまだ浸透しきっていない幻想郷、霊夢のライバルであるかのように現われた私たちに、この先への漠然とした期待を込めて票をくれる層もいるだろう……そんな目算もあった。
 その結果、全部ひっくるめて51:49。幻想郷民はミーハーが多いと勝手に思っていたのだが、どうやらそれほどでもないらしい。

「ううう……はぁ。わかったわよ。負けは負けだしね。約束通りアイドルはやめて、……自由で誰にも縛られない巫女さん、とかいうのに戻ってあげるわよ」
「えっ……えっ? 霊夢なに? どういうこと?」
「ごめんね紫、かくかくしかじかなの」
「がーんっ」

 紫は倒れた。まあそういうことなんで悪いが諦めてもらおう。
 何か変な恨みを買ったりしないだろうなと少し警戒していたが、食えない奴だ、よよよとわざとらしく泣き崩れる様からは判断できない。……と思っていたら、「目指すべき目標、トップアイドルはプロデュースできなかった……けれど! 休んでいる暇はない!! 私を待っている娘が、まだまだいるのよ!!」スクッと立ち上がってグッと両の拳を握って存外早く復活した。なんという切り替え。これは特に気にしなくてよさそうだ。
 他に心配事があるとしたらアリスやパチュリーに借りを作ったことか……まあ、魔界や紅魔館の連中の支持があるし、あいつらもあまり愚痴愚痴とは言いにくいだろう。ひとまずまた後日改めて礼をしに行くとしよう。
 何はともあれ、目標は成し遂げたのだ。今は少しでいい、これからまた始まる神社での懐かしいグータラ生活に思いを馳せていたい……

「……なんだよ?」

 などと息をついていると、霊夢のやつがこっちをじーっと見ていた。私の顔に何かついてるわけでもないだろうに。

「べっつにー」
「なんだよ、気になるな」
「べつにー。……ただ、まあ。ほんっと」

 霊夢は、楽しそうに、笑いながら、はぁ、と溜息をついて。

「ほんとしょうがないわよねぇ、魔理沙って」
「あ?」
「……ふふ」

 いったいなんなんだこいつ、と私が訝しんでいると、霊夢は私にとてとて寄って来て、そして、手を上げた。
 その手を私の頭に下ろした。

 なでなで。
 なでなでなで。

「んなっ!? なにするんだ!!」

 予想外の行動に反応が遅れた。不覚。なんだかなんとなく不覚。以前はノリと空気が許せばお互いふざけて頭をなでなでしあったりなんてこともしたけど、今この場でのそれは不意打ちだろう。
 霊夢はなんでもないわと言って、そしてまた、ふふ、と笑って踵を返した。私が慌てて霊夢は余裕ぶっこいてるというのはなんだか腹が立つが、同時に私は、少し安心もしていた。
 結局のところ今のこの状況、私が霊夢にアイドルをやめさせたという構図に間違いない。覚悟はしてたし、霊夢は一度きっぱりやめたらあまり気にしないだろうとも考えつつ、それでもなんだかんだで、気落ちされてしまうんじゃないかと少し心配していたのだが……どうやら杞憂に終わってくれたようだ。

「それじゃ魔理沙、また神社でね」

 ああ、と答える私に手を振りながら、とん、と霊夢は軽く地を蹴った。
 ふわふわと空を飛び、神社へと向かう霊夢。
 きっと明日は、明日からは、神社では、楽園の素敵な、自由な、なにものにも縛られない巫女さんが、日がな一日茶を啜っているのだろう。


 ……とまあ、こうして。
 博麗霊夢は突如現れた弾幕アイドルとして幻想郷を熱狂の渦に包み込み、そして圧倒的な人気のままに電撃引退したのである。



  ◆  ◆  ◆



「なーんか、さー」

 ──その後のことを少し話そう。

「私だってさー、こう見えてけっこうがんばってるのにさー、お賽銭は入らなくなってきたしー、そもそも参拝客減ってきたしー、増えてもだいたい妖怪だしー、なんか里とかじゃあ博麗神社はやっぱり妖怪に乗っ取られたとか言われてるらしいしー」

 とは言え、変わったことなんてあまり無い。霊夢はいつものように酒を飲んで、アイドル時代に比べて減ってきている参拝客や賽銭についてだらだら嘆いてごろごろ転がったりする。

「まーりーさー、あんたほとんど毎日ご飯食べに来てるんだし、もうちょっとお賽銭入れてくれてもいいんじゃない?」
「おいおい何を言うんだ。お賽銭は入れてないがちゃんと食材は持ってきてるじゃないか」
「キノコ以外も持ってきなさいよー」

 何か変わったことがあるとすれば──霊夢NO.8が入れ替わったことだろうか。今の霊夢NO.8は鬱霊夢ではなくコスプ霊夢。発生頻度は月に一回程度。条件は、酒が入っていて、そしておそらく私と二人きりの時。……そう、霊夢はほどほど頻繁に、アイドル時代の衣装を引っ張り出して、ステージで輝いていた頃の姿を私に見せながら、適当な鼻歌を垂れ流すのだ。
 真意はよくわからない。アイドルに未練があるのかとおっかなびっくり訊いてみても、にっこり笑って私の頭を撫でてくるだけなので、私としてももう訊かないことにした。……少しもやもやはするけど、それなりに似合ってるし、なんとなく悪い気もしなかったし、そもそもそこまで口を出すのもおかしな話だと思い至ってからは、私も素直に酒の肴として楽しむことにしている。

「……ふふ」
「なんだよ、気持ち悪いな」
「べつになんでもないわよー」
「……ふふ、ははは」
「……ふふふ」

 ああ、あと、そういえば、霊夢のやつ、こうやってにやにやにこにこ笑うことが多くなったかもしれない。
 あいつの中の何が変わったのかは知らないけど、私にとって何か害があるわけでもないし、こうやってそのまま貰い笑いして、二人してくすくす笑いあったりすることもしばしばある。傍から見たら気持ち悪いことこの上ないかもしれないが。

 ……まあそんなこんなで。
 私と元アイドルの巫女はこうやってしょうもない時間を過ごしていて、そしてこれからもこんな日々を過ごしていくんだろう。

 笑いあいながら、私たちは杯を合わせる。霊夢はひどくご機嫌だ。今日もまた、お世辞にも上手いとはいえない歌を聞かされるんだろうなと、私は思った。
 
 
 
 




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